一通の礼状 1
学級通信「6年1組物語」 第100号
「6年1組物語」が100号になりました。区切りの号ということで今回はエッセーです。
私は元来筆マメな方ではない。特に学生時代には手紙を出すこと自体が少なかった。
はなはだしい時には、手紙をもらったのに返事をしないということもあった。今考えるとずいぶん失礼なことをしたものである。
今は別である。きっかけは教え子からの手紙である。やはり、卒業した子供たちからの手紙は特別である。その子たちと一緒にすごした日々が鮮明に浮かんでくる。だから、何よりも優先して手紙を書く。
仕事上でも同様である。それは、こんな話を本で読んだからである。
自分が感動した本や講演があったら、著者や講演者に対して礼状を書くといい。何も返事を期待するためではない。その本や講演の内容をもう一度自分なりに整理するためである。
このことを聞いて「なるほど」と思った。
本を読む。感動する。勇気がわく。そして行動する。
しかし、日常はそれほど変わらない。いつのまにかふだんの生活に戻ってしまう。
本を読んだあと、自分なりに考えを整理しておけば別なのであろう。しかも、読書ノートをつけるよりも礼状の方が、相手意識がある分、思考も深まるであるかもしれない。
ということで、このことを知ってから講演会や授業等で大変勉強になった時に、礼状を書くことにした。ただし、数はそれほど多くはない。ひんぱんに講演会や参観授業ができるわけではないからである。年に2~3回、礼状を出すくらいであった。
相手は著書がかなりある先生や全国的に有名な先生が多かった。つまり著名な実践家ほど勉強になることが多かったのである(当然であるが)。礼状を書いたものの、多忙な方ばかりなので返事など期待するのは失礼にあたると考えていた。
教師になって6年目の時に聞いた講演もそうだった。
研修会で熱く語る先生だった。
若い頃夜遅くまで教材分析をした話、 分厚い実践レポートを意欲的に書いた話、現在でも学び続けている話等、実に刺激的だった。
すでに還暦をすぎた方で現在はある市の教育長をなさっているという。
いろいろな講演会に参加した私ではあったが、その日の講演は特に胸にしみた。何か自分が教師として「もっと頑張らなければ」と勇気がわいたものであった。
たまたま講演資料の中に、住所があった。さっそく礼状を書き始めた。
「書きたい」という思いよりも、「わからないけど、書かざるをえない気持ち」からであった。人間、そんな気持ちになる時もあるのだ。
講演内容が自分にとってどんな点が参考になったかということを整理した。実に多くの内容が出てきた。
時間を忘れて夢中で書いた。1時間以上は書いただろうか。便箋はいつのまにか5枚を越えていた。
一気に書き上げたら5枚になっていたというのが正しいのかもしれない。もちろんその時にも返事などは期待をしていなかった。ただ、自分のために書いたという満足感でいっぱいだった。 (次号へつづく)
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