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2004.10.28

一通の礼状 2

学級通信 6年1組物語 101号より

 礼状を出して1カ月。
 いつものように日常は過ぎていった。私自身も礼状のことは忘れていた。
 そんな時、「書籍小包」のはんこが押されたB5版の封筒が我が家に届いた。中にはケースに入った本が一冊。「私の教育論」という題名のその本は、私が礼状を出した先生から送られてきたものだった。
 本を追うようにして、翌日、その先生の手紙が届いた。
 市の要職の方からの返事である。ご多忙な中を、講演を聞いた一教員からの手紙にわざわざ時間をさいてくださったのである。
 しかも葉書ではない。丁重なお便りが便箋3枚に綴られてあった。
 ありがたいことである。再び胸が熱くなった。

 その内容にも驚いた。私の手紙のことを評価した文面であった。
 その手紙に私は恐縮してしまった。同時にこの手紙に感動した。人間の誠意ということを学んだ。送られてきた著書を一気に読んだことは言うまでもない。

 「根を養えば樹おのずから育つ」

 その先生の応接間には、この書の額が飾られてあるという。
 教育に携わるものとして、実に含蓄のある言葉だと思う。著書にも、その言葉の意味が書かれていた。
「子どもの生き方の根本を深く耕せば、子どもは自己開発していくものだ」という。確かに学習技能をしっかり身につけさせれば、子どもたちは自分の力でどんどん学習を深めていくことができる。「人として大切なこと」をしっかりと身につけさせれば、学校での行動は適切なものとなる。

 我々はとかく、目に見える「樹」の部分を変容させようと試みる。しかし、それだけではいけない。あくまでも、見えない「根」の部分をどう変容するかまで考えなければいけない。
 その「根」の部分は何か。どんな働きかけを与えて育てていかなければいけないか。これらは、教師生活を続けながら探っていくべきことだと思う。

 このエピソードからすでに14年たった。その頃担任していた子どもたちは2年生。自分なりに「2年生の根」は何か考え、教育実践をした記憶はある。その子たちも、今年22歳。一社会人として働いている子も多いし、大学生だったら卒業である。

 この先生とは再会する機会がなかった。これからもないかもしれない。
 人との出会いはそういうものであろう。
 しかし、14年という年月がたっても、その時の感動や刺激は今も心の中で燃えている。そして、その時に感じたこと・思ったことを現在担任している6年1組の子どもたちにも実践することができたらいいと思っている。

★付記
 「自分の考えをまとめるために礼状を書く」という習慣は今も続いています。もっともその多くがEメールになりましたが、自分の思いは変わりません。文章中の先生と同様に「返信から学ぶ」という機会も、その後何度かありました。その度に礼状の大切さを痛感しています。


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