力不足
一昨日の学校公開授業について振り返る。
ここ3年間で社会科の授業を何度も公開している。校内研の授業、市教研の授業、地区社研の授業、そして取材授業等。十数回、指導案を書き公開している。もちろん一回一回題材は違うし、新たな提案もしてきている。そして終われば何らかの達成感があった。
しかし、一昨日の授業はその達成感が乏しかった。むろん子どもたちは本時までの調べ学習(未来の自動車)は一生懸命にしていたし、授業での発言もそれなりに出ていた。「3つの視点はどれも大切ですが、あなたならどれを優先させますか」という発問も有効だったと思う。
しかし、「手応え」がうすかったのである。
なぜか。一つ一つを見れば、いいように思われるのだが、「全体の単元構成・授業構成」という点で結局は力不足なのだったと思う。
1 子どもたちの調べ学習の位置付け
発展的な内容として子どもたちは「未来の自動車プラン」を出した。「問題点」「願い」「現在の取り組み」を調べ、これをもとに簡単な未来のプランを出すというものである。限られた時間で調べ、シートを作り発表する。公開等ではこのパターンは、「発表させて簡単なまとめをして終わり」というものが多い。しかし、そうはしたくなかった。それらはあくまでも「今後の自動車作り」を考えるための素材、これからが本番と思っていた。
しかし、それは教師の方。子どもたちはその意識が薄かったと思われる。これは単元の中での位置付けのあいまいさによる。単元レベルでゴールを明確にする。時々確認する。それらが必要だった。
2 学習課題の意識化の問題
1と関連するが、事前に子どもたちに「『環境』『人』『安全』の3つの視点がある。どれを優先させるべきか」と投げかけておいてから、調べ活動をさせたらまた別だっただろうと思う。他視点と比較したり、根拠となる資料を子どもたちは探して、それをもとにしたプランを立てたのではないかと思う。単に「プラン作り」させるだけではダメなのであった。
3 根拠となる資料の薄さ
本時で深める話し合いの時に必要なのは、社会の場合は根拠となる資料だ。自分の「思い」「願い」だけで話し合わせるのなら、今回のような場合には話し合いはかみあわない。教師の準備が不足してと思う。
こう考えると改めて力不足ということを感じる。
むろん、これで落ち込むとかめげるということはない。次のステップのために役立てよう。じっくりと構えているひまはない。
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