学級通信本のために、自分の過去の通信やレポートにあたっている。
今から9年前に組合の教研に持っていたレポートを改めて見た。35歳の時の自分のレポートだ。当時は「今が一番おもしろい時期だろう」と思っていた。今考えるとその後もっとおもしろいことにたくさん出会った。今考えるといろんな面で未知の時代だった。
さて、そのレポートの中に「文化を創る6つの視点」というのがあった。
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文化を創る6つの視点
1 実践記録としての学級通信
我々教師にとって実践記録を残すことは非常に重要である。しかしながら、現実的に記録に残す時間の確保はなかなか難しい。
学級通信に、学級の授業記録や学級経営の記録を載せるのは一つの方法である。
資料を掲載することにより、自分の実践が蓄積される。これは同学年を担任した時に大いに役立つ。また同学年の先生方にも通信を配布しているので、追試してもらうことも時にはある。そこから、教師同士の実践の交流が生まれる。
もちろん、親御さんからも「授業の様子がよくわかります」という声をいただく。授業参観以外は親御さんも授業を見る機会がなかなかない。そういう意味でも貴重である。
2 学級通信は子供を見る目を育てる
通信では全員の子供の様子をのせたい・・・そう思うのは当然である。しかし、よく話す子や行動が目立つ子に教師の目は行きがちである。
一人一人の様子を改めて学級通信に書こうとすると、自分がいかに子供たちを深く見ていないかがよくわかる。
逆に考えれば、「全員の子を学級通信にのせよう」と意識化することにより、子供を深く見ることになる。学級通信が子供を見るための効果的な一手段となっているわけである。
3 学級通信は父母との交流を深める
父母との交流を深めるには様々な手段があるだろう。学級通信はその中で大きな存在である。次のような点に配慮をしている。
・学級通信はあくまでも学級全体を対象としているので、並行して個人カード(一人一人の光る点をカードに記入)として出す。
・通信には子供たちのよさを掲載する。問題点は特例を除き控える。
・父母からの投稿は歓迎するが、強制することは避ける。
4 学級通信は子供の成長の足跡を刻む
学級通信には、子供たちの作文や詩といった作品をどんどん掲載するようにしている。
「1枚文集」みたいなものになる。現実的に文集を出すには手間ひまがかかる。1年間に1回発行するのが通常である。それが学級通信という手立てをとれば、子供たちの作品を気軽に伝えることができる。1年間通して掲載すると、子供の成長の足跡にもなる。そして、それは時には授業の指導にも生かすことができる。
5 教師としての軌跡を綴る学級通信
私の通信の大きな特徴の一つに、節目となる号(50号、100号等)に、今までの教師人生で印象に残るようなエッセーを載せるということがあげられる。
いわば教師としての自分史を独白するようなものである。
学級経営や授業の内容からは離れるものの、自分の教育論を理解していただく点では、大いに役立っている。
これらのエッセーは、親御さんよりもむしろ教師仲間からの反応が多い。特に先輩方から「若い頃、似たようなことがあった」といった声が時としてあり、教育談義の場となりうる。
6 学級通信は子供たちへのメッセージとなる
毎年、学年末の学級通信は子供たち一人一人へのメッセージと決めている。
通信表とは別の、1年間で思い出に残ったことを本音でズバリ書く。いわば、私からの「贈る言葉」である。
子供たちはその学級通信が配布された瞬間、自分の部分を食い入るようにして読む。自分のものだけではない。友達のものも読んで「そういえば、そうだったよな」といったセリフも飛び交う。私にとって嬉しい瞬間である。
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基本的にこれらの視点は今も変わらないと感じた。今はこれらにいくつかの視点が加わるだろう。
このレポートを教研で発表した時に「問題点をどんどん書いてもいいのでは・・・」と意見を言われ、必死に反論したことを思い出した。「自分の学級経営の柱は学級通信」と言っていた頃だっただけに、負けたくなかったのだ。今だともっと柔軟に対応するが。
このレポートを含めて、過去の自分の歩んできた道を思い出した。過去の文章にも「おー、こんなことを書いていたのか(いい意味で)」と思うものもあった。時間を十分にかけて学級通信を書いた頃のものだ。過去の自分があって今の自分がいるのだと改めて思った。
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