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2006.10.04

子どもの心を知る

学級通信 プロジェクトZ 100号より


学級通信が100号となりました。今回はいつもと違った内容です。
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私が学級通信を頻繁に書き始めたのは、教師になって2年目、4年生を担任した時からだった。この年は2学期からの発行だったが、最終的には178号まで出すことができた。子どもたちの様子だけではなく、授業のこと、自分の教育観等、何でもかんでも詰め込んだものだった。

 そんな4年生担任の時の思い出で、特に忘れられないことがある。それは、自分にとり、苦い思い出である。
 人間は自分の失敗や傷ついたことは、いつまでも印象深く残っているものである。私も同じで、その時の日記の文や子どもの表情までも思い出すことができる。
 どんな件だったか忘れたが、学級の子供たちにあることで聞いたことがあった。忘れてしまうことだったから、それは今考えると、ささいなことだったに違いない。
 でも、「何も知らない」という子どもたちに業を煮やした私は、次のように問い詰めた。
「知らないということはおかしい。この中に誰かウソをついている人がいる。」
 ぐるっと学級のみんなを見た。皆、背筋をピンと伸ばしている。そんな中で、良子(仮名)と目が合った。その表情に何となく違和感を覚えたが、彼女にかかわりがないことは確かだった。
 結局、誰からも「知っている」ということは出てこなかった。後味の悪さだけが残った。
 ところが、今度は私が問い詰められる番となった。翌日、良子の「私はそんなに悪い人か」という題の日記を見たからである。
 
 【先生は、「この中にだれかウソをついている人がいる」と言って、ジロッと私の方を見た。私はなにも関係ない。私はそんなに悪い人なのか。】

 思わず良子の顔を見た。そういえば、昨日のあの違和感はこの心のあらわれだったのか。何気ない私の所作が、彼女の心も傷つかせたのか・・・。
 私は自分の心を見透かされたような気がした。とにかく子供たちから事実を突き止めよう、悪い点は直そうといつのまにか問い詰めようとしていたのではないか。疑いを持って、子供たちに接していたのではないか。
 良子の日記はそのことに対する抵抗だったのだ。
 自分のしてしまったことは取り返しがつかない。日記におわびのコメントは書いたものの、この時のことがずっと心にひっかかっていた。

 それから3週間ぐらいしてからだろうか。私は、「魔の日」という題の学級通信を出した。その日の自分の実践がうまくいかなかったのを素直に書いたものだった。
 翌日見た日記の最後に、良子は次のように書いてきた。

【今日の「あすなろ」(学級通信の名前)を読むと、私と同じように先生もいろいろなことをなやんでいるということがわかりました。】

 スーと肩の力が抜けるような気がした。もちろん、私の心の中のわだかまりも抜けていった。
 自分の何気ない一言や動作にもっと敏感になること、もっと子どもの前に自分の素直な気持ちを出すこと、そんなことを良子から学んだ気がした。
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 このエピソードはもう20年近くも前のことです。その時に担任した子どもたちも30歳になる年です。何人かの子どもたちからは披露宴に招かれ、そのつど当時の思い出話をよくしています。やはり、担任した子どもたちのことはいつまでも忘れられないものです。

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