効率化と必要な「無駄」
教育ルネサンスにこのごろ注目している。
現場の様子を具体的に伝えているからだ。
今回は「大量の文書 指導時間奪う」というもの。「ああ、あるある・・・」と思っていたら管理職が・・・というものだった。もちろん管理職や教務主任ほどではないが、「文書がもっと減ってくれれば・・・」と正直思うこともある。その文書が子どもたちのためになるなら別だが。
教諭である自分は、文書について減らせる権限はないので、仕事術をアップしていかに効率的に文書を処理するかということをよく考えている。一番いいのは、やはりその場主義。見たら書けるものは書いて担当に提出する。
あとで書こうと思っても、けっこう「あれ、いつ提出だっけ?」と考えたり、「あの書類、どこにしまったっけ・・・」と探したりした経験があるからだ。そういう手間ひまを考えたら、出せるものは即出した方がいいし、担当者にも「先生は早い方だから」と思ってもらえる。
これは効率化の話。
同時に、一般的には「無駄」と思われることでも、仕事には必要と思われることがある。それは子どもや同僚との会話だ。
子どもたちとの雑談は、子どもたちとの人間関係を良好とするだけではなく、重要な情報を得たり、子どもたちへの働きかけのためには不可欠なものである。今日もちょっとした雑談から、生徒指導に関わる話を聞くことができた。だから昼休みは可能な限り教室で仕事をするようにしている。
同僚との会話も同様だ。貴重な情報交換の場だし、会話から実践のヒントが見つかることももちろんだ。仕事の効率だけを考えたら確かに「無駄」だが、それ以上に子どもたちのためになっていると思われる。
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