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2006.11.28

青い目の人形

学級通信 プロジェクトZ 第128号より

社会の学習は日中戦争や太平洋戦争のところに入っています。
 この中で戦時中のいろいろなエピソードが教科書に書かれています。疎開の話、教科書も軍国色が強いものになっていたこと、体育では「なぎなた」の学習が行われていたこと等です。
 そのようなコラムの一つに「青い目の人形」があります。今から80年近く前に友好のシンボルとして青い目の人形がアメリカから送られてきました。しかし、戦争によってほとんどが焼かれたり、捨てられたりしました。
 しかし、その中でも、青い目の人形を守った人たちがいました。岩手にも十数体あり、そのうちの一つが水沢幼稚園に保管されています。5年生の時に、「水沢の自慢CMを作ろう」の学習で概略を子どもたちは知っています。そのことを踏まえて、子どもたちは次の点を学びました。

・80年ぐらい前にギューリック博士が友好のシンボルとして送ってきた。
・日本からも人形がお礼として送られた。
・戦争が始まると、青い目の人形は敵国の人形だからということで、ほとんど焼き捨てられた。
・日本に残っているのは300体ほど。
・当時は英語を使うことも禁止され、野球などでは「ストライク」を「よし」と言った。

 実に大変な時代だったことがわかります。子どもたちに「君たちがその時代の小学生だったら、どうすると思いますか」と聞いたら、「今だったら大切にするが、その時の小学生だったら、同じように焼き捨ててしまうだろう」という子も半数にのぼりました。時代の流れというのは、やはり大きなものだと思います。そのことを子どもたちも実感しました。
 学習のまとめで子どもたちは次のような感想を書きました。

・この人形についてくわしくわかったような気がします。まわりから仲間はずれにされてまで守ることはできないだろうけど、平和を願うためのものならば一生大事にしたいです。
・私は、青い目の人形をずっと守っていきたい気持ちでいっぱいでした。焼いたり、踏みつぶされてしまうのはかわいそうだなあと思いました。
・青い目の人形はそのころの人たちには、とても非難されてかわいそうだと思いました。でも、私もそのころに生きていたら、かくし持っている勇気はないと思います。
・青い目の人形はやかれたり、捨てられたりしたけど、大切にする人がいて、その人は平和への願いがあって大切にしたんだと思いました。

 「青い目の人形」=「平和のシンボル」ということを子どもたちは、理解しました。水沢に残る大切なものとして、守り続けていかなければいけないと感じた授業でした。

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