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2008.10.30

我が原点・秋田

私は生まれてから23年間、秋田県に住んでいた。大学卒業+社会人の1年間である。
岩手で採用されて23年と7カ月。いつの間にか岩手での日々の方が多くなってしまった。
それでも秋田は私の原点である。
その秋田(市)に久しぶりに来た。11年ぶりである。東北教頭研究大会のためである。大学時代によく歩いた駅前もだいぶ変わっていた。

教師としての原点を秋田を考えるのであれば、やはり教育実習である。大学の附属小学校に2度配属された。当時の指導教官から学んだことで強烈に覚えていることがある。

■「育てる」ことの意味

初めての教育実習の指導教官のK先生。40代半ばのベテランの先生だった。

初日は授業参観だった。何度も目にしたのが、友達の発表に自主的に拍手をする子どもたちだった。
本当に感心して一生懸命に拍手する子もいたし、つられて拍手をする子どもたちもいた。あくまでも自主的だから、拍手をしない子もけっこういた。
むろん先生は「はい、拍手!」なんてことは言わない。
その様子に違和感を感じた私は、生意気にも「発表の意味も考えず拍手している子もいるようだ。形式的に拍手するのはよくないのではないか」と実習日誌に書いた。(実習生なのに、ずいぶん失礼なことを書いたものだと反省している。)

K先生は失礼極まりない私の日誌に丁寧にコメントしてくださった。
「確かに、発表を理解をしないで拍手している子もいるかもしれません。でも大事なのは、『拍手ができる子を育てる』ということなのです」。
このコメントを読んだ瞬間、ガーンとなった。
そうだ、自分は実習生だ。学生教育評論家気取りでいたのではないか。自分も子どもたちを育てる一員なのに・・・。
教育の「育」のもつ意味を考えた出来事であった。

■プロとアマの違い

2度目のY先生は算数が専門であった。
実習生の中にT君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択した。

そのT君が顔をゆがめる。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのであるが、子供たちは(わからない)という顔をしている。
T君は、さらに説明や質問を加えるものの、説明をすればするほど、子どもたちは困惑したような顔をする。
授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころころ変わったのでは、子供たちは混乱するばかりである。
ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。

やがてチャイムが鳴る。次の授業もある。
やむを得ない。Y先生の登場である。その説明、わずか1分。子供たちが「わかった、わかった」と生き生きとした顔でうなずく。
その様子を見ていたT君。実習生の我々の席に戻り一言。「悔しい」。
この時ほど、プロとアマの違いを感じたことはなかった。

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