初めて担任した子たちを4年間受け持った。3年から6年までである。2クラスの学級だったので、途中で組替えはあったものの、学年全員が担任のようなものだった。
その子たちが同級会を開くという。「先生もぜひ」と3カ月前に言われていた。
5時前に会場の満寿美屋へ。その時の子たちのうち7人は結婚披露宴に招かれており、その折々に何人かの同級生とは会っている。しかし、今度の同級会では20年ぶりに会う子もいる。12歳が32歳になっている。どんな風に変わっているのがこちらもドキドキである。
部屋に入ると幹事メンバーが待ち構えていた。「今日はありがとう」と労いの言葉をかける。そのうちポツポツと入ってくる。皆、小学校時代の面影をもっていた。一発で誰かわかった。その時のA君の担任の先生も来られた。ぐんぐんと記憶が20年前に戻されていった。
時は昭和の末である。2年間で4度受けた時の採用試験でようやく受かり、赴任した学校が江刺市立愛宕小学校。3年生の担任。全校児童が350人ほどの学校だった。授業の腕も学級経営も未熟だったが、やる気だけはあった。でもやる気だけで仕事ができるほど教員の世界は甘くはなかった。あれこれ失敗を重ねつつ、何とか毎日を乗り切った日々だった。
それには素直で頑張り屋が多い子どもたちの存在が大きかった。この子たちだったからこそ、教師としてのスタートが僥倖だったのだ・・・・そんなことを思い出した。これらは、「価値ある出会いが教師を変える」に書かれているし、ホームページにも書いた。
今回の同級会の参加者は30名あまり。よくこんなに集まったものだ。遠くは東京、千葉、埼玉から駆けつけた。
宴が始まったら次々に懐かしい顔が「先生!」と言いながら席に来る。
「先生、休みの日によくアパートに行って一緒に遊びましたね」
「体育が苦手だったけど、『風雲たけし城』をまねたアスレチックがホント楽しかった」
「先生のクラスになってから、厳しさも温かさも味わえてよかった」
「先生はとにかく平等だった」
「授業中に怒って先生が図書室に行ってしまった事件があった。みんなでどうする?ってなったよね」
「『朝の連続ドラマ』と言って、毎朝『窓際のトットちゃん』を読んでくれたなあ」
「弟を担任してもらった時に、先生でよかったって母が言ってました」
「毎日学級通信出していましょね。『あすなろ』」
「卒業式の日に全員へのメッセージを通信に書いて・・『すごーい』と思いました」・・・・・等々
当時の話は尽きなかった。むろん、私もほとんど覚えていた。細かい所まで話すと「先生、よく覚えているなあ」と驚いていた。当然だ。それが教師だ。
子どもたちが話してくれたことは本当に有り難い言葉ばかりだった。自分に力のない若き時代。「一生懸命に子どもたちに関わること・寄り添うこと」「思いを語ること」という姿勢だけは、子どもたちにぶつけていた。不器用だったけど、その姿勢だけは伝わっていたようだ。「これはおもしろい」という実践はすぐにまねて行った。試行錯誤の連続。子どもたちの喜ぶ声が一番の励ましだった。そんなことを思い出させてくれた。
それにしても子どもたちの成長ぶりは目を見張るものだった。
一人一人がそれぞれのフィールドで努力をしていた。心配していた子たちも、責任ある立場でがんばっていた。そして、突然の同級生同士の結婚発表というサプライズ。2次会でそろそろ・・・と思って時計を見たら、すでに25時を回っていた。こんなに時間の流れるのが早かったのは久しぶりだ。
帰りのタクシーの中で、教師冥利という言葉を噛みしめた。たくさんの元気とたくさんの栄養を初任の子どもたちからいただいた。みんな、ありがとう。これからも走り続けます。
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