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2010.05.31

教育直言

検索をしていたら、こちらのサイトに辿り着いた。
岡本薫氏と聞いて思わず注目する。5年前に長野で講演を聞いて、そのものの見方に感嘆したものだった。著書も数冊読ませていただいた。
ここのサイトに書かれて内容は講演でも触れていた話だし、著書でも読んだものだ。
こういう時「聞いたことがあるのでいいや」とは思わない。むしろ、「また、いい話に接するチャンス」ととらえる。実際にじっくりと読ませていただいて、あの時の熱弁そのもの講演が鮮やかに蘇ってきた。本も再読してみたいと思った。

この中で印象に残ったフレーズ。

手段選択のもう一つのポイントは、「目標と手段の混同」を避けるということ。この混同が起こりやすいのは、手段自身に価値があると誤解されているときで、その典型が教育。価値があるのは子供をある状態にすること(目標達成)であって、実は教育活動そのものではない。

これはよくわかる。
授業研究会で目標抜きで「手段」ばかりが論じられる場合がある。目標があっての手段なのに、手段そのものを目的化した話し合いがされている。このことを理解しているだけでも、校内研究会の話し合いはずいぶん変わると思われる。

このサイトは岡本氏の内容だけではない。他にもいくつか参考になりそうな文献が掲載されている。じっくりと読んでみたいと考えている。

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2010.05.30

一流から学ぶ

初等教育資料」(東洋館出版)の6月号を読む。
この冊子は、文科省の教科調査官の先生方が精力的に執筆されたり、文科省指定の学校の実践事例も多く紹介されたりしており、オーソドックスな知識を得ることができる。同時に「この人の話を聞きたい」と思うような方の原稿も掲載されている。
今回は2人に注目した。

一人は林成之氏。医学関係の教授で北京オリンピックの競泳チームに「勝つための脳」の講義をされた先生だ。
売れている著書も多数。「好きから始まる学習」というテーマで書かかれているが、参考になるところが多い内容だ。
特に印象に残った部分。北京オリンピックの競泳選手に向かって、「コーチはみなさんがオリンピックで活躍するために神様が使わせた人です」と言った。すると、コーチと選手たちが共に肩をくみ、「やってやる」と同期発火したそうである。オリンピックでの競泳陣の活躍はその通りである。
そして、このことを学校現場に言い換えている。

「普通は無理なのに、君、すごいよ」と先生は子どもに言ってあげ、子どもは先生を「自分がやがて世の中で活躍するために神様が使わせてくれた人だ」と思えばお互いを尊敬するようになる。

確かにこういう関係になったら、子どもたちは教師も学習も好きになるであろう。そして、これは大人の関係にも言えることであろう。

もう一人はラグビーの平尾誠二氏。同世代のラグビー選手だ。リーダーの心構えについて次のように説く。

リーダーはまず「これは正しい」と自分が信じていることをやることが大切です。でも、自分が正しいと信じていることを常に疑う姿勢をもっていないと、いいものはできません。そのことで自分が磨かれる。

一見矛盾するようなメッセージであるが、確かに固定化した考えでは成長はできない。特に型を身に付けたベテランには重い言葉である。その他にも「クラスの湿度(密着度合い)を高める」「一点に絞り、アドバイスをする」等、教育現場に参考になる内容が書かれている。やはり一流の方のメッセージは応用できるものが多いと実感した。

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2010.05.29

敬語は難しい

文書をチェックする立場になって、つくづく的確な文章を書くことは難しいものだと感じている。
先日も、社会科見学依頼の文書を見たのであるが、校長先生のチェックを見て、「ああ、そう言われればそうだなあ」ということがあった。

「ご健勝」と「ご清栄」の違いである。
2ケ所の見学に行くために、一つは所長あて、もう一つは会社あてだったので、校長先生はその違いを意識して、先の2つを使い分けてチェックしていた。
さっそく調べると、こちらにその違いがはっきりと書かれていた。もしかしたら、今まで自分はあまり意識しないで使ってきていたかもしれない。

こういうことは直接学ばなければずっとわからないまま使っていくことになる。「敬語を使えない教師の文書」ということを指摘されれば、信頼度も下がるであろう。
自分にできることは何かと考えて、職員向けに出している「コンプライアンス通信」に、コンプライアンス力のアップのためのミニ知識を掲載することにした。(この場合のコンプライアンスは「信頼される行動」という意味)
1回目は電話の受け方。十数年も前のことだが、かつて「校長先生はいらっしゃいません」と電話口で答えていたベテラン教師を見て、「教えられなければ、ベテランでもそうなってしまうよなあ」と思ったことがあった。
通信に書くためには自分も勉強しなければならない。一石二鳥になるのである。

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2010.05.28

NHKティーチャーズ・ライブラリー

今年は放送教育を学び直す機会をいただいている。プロジェクトに入っているわけではなく、あくまでも自主的な学びであるが、しばし遠ざかっているので、まずは情報収集から・・・と思っている。

先日、こちらのサイトから、NHKティーチャーズ・ライブラリーという存在を知った。授業用に学校放送番組を貸し出してくれるというものである。数多くの中から厳選されたものだろうから、「これは使えそう」というものも多い。子どもたちの指導のためのものはもちろん、塩谷先生や石原先生の授業もある。これが送料のみの負担で借りることができる。
担任ではないが、補欠授業のチャンスはいろいろとある。実践のチャンスだと思っている。

この情報は今年放送教育を学び直そうと思わなければ、自分にヒットしなかったかもしれない。やはりアンテナを広げることは大切だと実感している。

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2010.05.27

心に入ってくる言葉

どっと仕事に追われていた4月。運動会中心に動いていた5月。
それらが終わって、今週はいくらか時間的にゆとりが出てきた。あれこれ学校運営について考えたり、送付資料に目を通したり、幅広い読書ができるようになってきた。

読んだ資料や本の中に、今の自分を励ますような印象深い言葉が書かれていた。

・自分に合う仕事なんかないですよ。自分が仕事に合わせなきゃいけないでしょう。だってまるで経験のないひとが、あれもダメ、これもダメと言っていたら、やる仕事なんてありませんよ。だから仕事というものは、与えられたらそれが天職だと思って、一所懸命修業すればいいと思います。

昨日紹介した「プロフェッショナルたちの脳活用法」に書かれていたメッセージだ。
今の自分の仕事についての大事なメッセージだと思っている。今の仕事での「修業」。教諭時代に比べたらまだまだだ。

・教頭・副校長は何でも屋ではないのです。学校を動かしている歯車の軸であり、学校の要なのです。

教頭向けの冊子「学校運営」に書かれていたメッセージである。自分の中で「副校長の仕事は広範囲。何でも屋になろう」と思っているだけに、この言葉は痛烈だった。むろん、学校の中心としてがんばらなければいけないと思っている。ただ、それだけではなく、「何でも屋をするのは、学校がよりよく動いていくため」という点も意識しないといけないと感じた。

どちらのメッセージも日々の仕事に追われ気味の今の自分に、自分の立場を考えるきっかけを与えてくれた。
来週はもう6月。2カ月遅れではあるが、4月1日に記した今年度の初心を思い出して新たなスタートを切ろう。

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2010.05.26

お勧め新書2冊

本は休日に一気に読むことが多いが、このごろは平日にも読み進めることができるようになってきた。その中でのお勧めの新書2冊。

プロフェッショナルたちの脳活用法」(茂木健一郎 NHK出版)
新書は、もう一度読みたい箇所や気になったところのページの角を折っている。この本は折るところが多く、本がふくらんでしまうほどだった。やはり一流のプロの言葉は違う。スーッと心の中に入ってきた。仕事のヒントはもちろん、生き方のヒントもたくさん学んだ。紹介したい言葉が多くあるが、一つだけ。
「人の何倍も練習して、ここまでできるようになったんです。不器用だから、人よりも余分に考える。みんなが1考えるところを、3も4も考えるわけです。だから、かえって考えが深くなっていくのではないかと思いますね。」・・・自分も不器用な教師だった。だから人より時間がかかって覚えることが多かった。大いに共感する部分である。

育成力」(小出義雄著 中公新書)
書名と著者にひかれて購入。講演を聴いているような感じの本だった。「ほめて育てる」が信条の小出氏の魅力がたくさんで、読後に自分自身が子どもたちをほめる回数がかなり増えた。「いつ死んでもいい」と達観しているところも印象的。それぐらい人生を楽しんだということであろう。自分は到底その境地には行っていないが、生き方を考えるという点でも学ぶことが多かった。

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2010.05.25

昔見た景色が今につながっている

近くにある保育園の先生から、「副校長先生が紙芝居をされたことに感心しました」と言われた。
2週間ほど前に眼科検診があり、保育園も一緒に小中学校で行った。その時に、お医者さんが都合により10分ぐらい遅れることがわかったので、「じゃあ、待っている園児のために、紙芝居を読もうか」と思って、その場で読み始めたのだった。
珍しいからか園児は興味津々。引率された先生方も「初めて小学校の先生の(紙芝居を)聞きました」と言われた。まあ、時間があるのでそこを黙って待っている園児に申し訳ないなあと思って、すぐに思い浮かんだことだった。
これは以前からよくしていたことだった。読み聞かせだったり、ゲームだったり、クイズだったり・・・とその時々で違うが、昔見た景色がベースになっている。

1つは大学時代。研修施設に研究室で宿泊した時、待機する時間ができてしまった。その時に研究室の室長さん(3年生)が、「集団ゲームをします」と言って、あっという間に私たちを楽しい空間に巻き込んでしまった。
もう1つは、初任の時。やはり、眼科検診だったと思う。全校児童が10分ぐらい待ってもお医者さんが到着せず、さらに遅れるらしい・・・ということで教務主任の先生がとっさにゲームをいくつも行ってくれた。これまた大盛り上がりだった。「お見事」と思ってしまった。

その頃にその技を見たおかげで、集団ゲームやレクには興味をもつことができ、自分も実践することができている。よく見る風景だったが、自分にとっては価値のある景色だったと思っている。そして、その景色が今につながっているのだと改めて感じている。

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2010.05.24

判断の的確さ

ここ1週間で、「これはどう判断したらいいのだろう」と思えるようなことが2度あった。
法規や事務といったルールに照らし合わせることではない。イエスかノーか。価値観の違いでどちらでもOKなのであるが、自分だったら迷うようなことだった。
その時に納得できる判断をされた方がいた。それも瞬時にだ。
これは真似できないなあと思った。

多くの経験があれば、あるいは場数を踏んでいればその時のことを生かせるであろうが、そんなにあるものではない。では、何が必要かといえば「判断基準」である。これは新しい職になってまだ2年あまりたっていない自分には厳しい。改めて猛烈に勉強しなければいけないと思った。こういう思いにさせてくれる機会は自分を伸ばしてくれる。有難い機会である。

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2010.05.23

「当世給食事情」

教育ルネサンスの当世給食事情を興味深く読ませてもらっている。
というのも別ルートからの情報で「ああ、聞いたことがある」というものもあるからだ。
そういう時には「聞いたことがあるから別にいい」というスタンスではなく、逆に「聞いたことがあるから、注目して読んでみよう」という気になる。記事に親しみがわくのである。

特に「弁当の日」はかつてNHKで特集していた。学校全体では無理でも小学校高学年なら家庭科と関連づけて、学級レベル、学年レベルで実践できそうである。
自分もかつてマクドナルドの食育授業で、子どもたちに「理想の給食プラン」を考えさせたことがあった。栄養士と一緒の授業は強く印象に残っている。
それにしても、こちらのデータで私立小では給食が少ないことを初めて知った。当たり前と思っている公立校の給食は、公的支援があってのことと改めて感じた。自分自身も有難くいただいているを実感した。

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2010.05.22

最近の読書から

ON論 リーダーの器量」(張本勲著 青志社)
プロ野球関係の本は好きで昔からよく読んでいた。張本氏の本は初めて。中学校の修学旅行で後楽園球場に行き(確か巨人対広島)、外野席から張本選手を間近に見て興奮したことを思い出した。これを読むと、長嶋・王がいかに努力家だったことがわかる。最後に仕えた10人の監督のエピソードは管理職にも通じるものがあった。

錆びない生き方」(坂東眞理子著 講談社)
書名と著者名を見て思わず購入。一昨年とあるセミナーで名刺交換をさせていただいた。その気品に圧倒されたことを思い出した。内容はリタイア後の話であるが、自分の今の生き方についてあれこれ考えさせられた。

名人への道 社会科教師」(有田和正著 日本書籍)
この本を読むのは何回目だろう。100回までは行っていないが数十回であることは確か。附属小に転勤しての研究授業であれこれ指摘され悔しい思いをされたところは、何度読んでも印象的。

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2010.05.21

メールマガジン「学びのしかけ」

5年前、メルマガ「授業成立プロジェクト」の編集長をしていた。2年間である。
そのメルマガが発展的に移行し、今春「学びのしかけ」として創刊されている。
すでに3号。バックナンバーはこちら
石川先生@北海道が編集長で、新進気鋭のメンバーが副編集長・スタッフとして入っている。今後が楽しみである。
登録はこちらから。

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2010.05.20

発想の転換

何気なく教育関係のニュースを見たら、「なるほどなあ」と思ったものがあった。
読書活動に関わるニュースで、文科省から表彰された県内の小学校の1校が次のような活動をしていたというものである。

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摺沢小は、昨年から子どもが家庭で両親らに読み聞かせを行い、家族のきずなを強めている。千葉校長は「子どもたちが読書に向かう意欲を高めようと工夫している。読書経験を将来の宝物にしてほしい」と願う。
こちらのWebより

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本校も地区での読書活動が盛んだった。今も十分と思っているが、以前に比べたら低下気味なのは否めない。そこで「もっと親子読書活動を」「もっと親が読み聞かせを」と勧めているが、なかなか難しい。
このニュースでハッとした。「親が読み聞かせ」という固定観念にとらわれてはいけない。「子どもたちが家族に読み聞かせをする」。何とすばらしいことだろう。子どもたちも目的意識があるから、本選びも、読み方も変わってくるだろう。まさに発想の転換だ。

以前、ローカルニュースで、小学生が幼稚園に本の読み聞かせというものが入っていた。これもいいなあと思った。先のと同じ理由からだ。
ただ、簡単に幼稚園訪問はできない。しかし、家族なら毎日できる。本校でも検討していきたいアイデアである。

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2010.05.19

家庭訪問に思う

家庭訪問に異変」という記事が数日前にネットにあったので思わず見てみる。
記事を読むと、玄関先だけの対応が出てきているとのこと。
自分の経験から、そう言えば長女の転校前の小学校の担任が玄関先で話していたなあ・・・と思い出したり、私自身も受け持ちのうち1~2件は玄関での話だったな・・・と記憶が蘇ったりした。
家の中に入っても玄関であっても、話す時間が十分に取れれば同じなのでは・・・と思って読み返してみると、どうやら「忙しく事務的に対応してしまう教師」と「家の中に入れたくない保護者」の両方の傾向を伝えたいような記事のようだ。

なるほど。確かに教師にとってみれば家庭訪問は大変なものかもしれない。家を入念に調べ、それなのに迷って遅れたり、なかなか話す糸口がつかめなかったり・・・という経験を若い頃に自分もした。
だからこそ、「家庭訪問」についても「研究」したのもの事実である。
「信頼度を増す家庭訪問とは」
「話を十分にしながらもおおよそ時間通りに終わる方法」
「子どもたちのいい面中心の懇談方法」
等々。
前任校時代には、自分なりの家庭訪問スタイルもできていたら、ある家庭では訪問するなり、「最後の方なのに、先生が時間通り来てびっくりしました」と言われたこともあった。むろん、子どもたちの情報収集の貴重な場であった。

さらに「家庭訪問を通じて子どもを伸ばす」ということにも力を入れた。
一つは子どもたちのマナー。こちらに書いている通り。
さらに、保護者には事前に「お子さんのいいところを3つ考えておいてください」と依頼しておき、家庭訪問で聞き、翌日の学級通信に掲載していた。帰りの会で読み上げた時の子どもたちの嬉しそうな恥ずかしそうな表情や、周囲の「〇〇くん、すごいね」と拍手する様子は今も記憶に残っている。

教師にとって大変な家庭訪問も、研究したり、工夫したりすれば、学級経営の大きな武器になるのである。

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2010.05.18

一つの道を究める

 今から17年前に文部省(当時)若手教員派遣でアメリカ合衆国に2カ月間派遣されたことがあった。行き先別に団名がついていて、自分はオレゴン団。全国から29歳~35歳の教員が24人集まった。
 その中に、アメリカの生活科を研究したいという明確な意志をもって参加されていた先生がいた。「まずはアメリカの教育を見よう」としか考えていない自分にとっては、すごいなあ・・・と感心するばかりだった。帰国後のレポートも明快かつ分析がすばらしかったことを覚えている。

 その野田先生が日本教育新聞に「生活科の指導」でコメントを寄せていた。納得がいく話。今は、大学教授で生活科の学会の事務局長とのことである。学習指導要領の改訂にも参加されているようだ。まさに一つの道を究めているという感じである。
 コメントを読むと、生活科主任を低学年以外の担任でも行っていたとのこと。そして、そのような体制づくりの必要性を説かれていた。全くその通りだと思った。
 特定の学年にしかない教科、たとえば生活科や家庭科などはどうしても、低学年と高学年の教師が主任になる。その道の専門家がいても、「教科で教えていないから」ということで変わることが多い。それは学校にとっては損失だということがわかる。校務分掌を考えるうえで重要なことである。

 同時にこのように一つの道を20年ぐらい追究することの重要性を感じる。自分の場合、あちこちに手を広げ、「社会」を深めていこうと考えたのはほんの7年前だ。もちろん、自分の研究の中心教科ではあったが、「専門的に」とは考えなかった。ただまだ遅くはないと思っている。広げた領域で学んだことを社会科とミックスして考えることができるからだ。
 幸いなことに社会科関係で今年もいくつかの仕事が入ってきている。専門性を深めるチャンスだと思っている。

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2010.05.17

一流アスリートのオフ

日曜日の朝ラジオを聞いていたら、マラソンの高橋尚子さんの声を聞こえてきた。パーソナリティを務める番組である。
その中で、「アスリートのオフ日の過ごし方」について話していた。
タイプは2つに分かれるとのこと。
1つは全くそのスポーツの練習をしない派。たとえば水泳の北島選手やスケートの長島選手など。「スポーツを忘れてリフレッシュする」というパターン。
もう1つはそのスポーツをリラックスしてする派。浅田真央選手やご自身も・・・とのこと。これは「練習」とはまた違うとのことだった。たとえばオフ日に30km走るにしても、ふだんの練習とは違って楽しめる。だから気分の切り替えとなる・・・ということを話していた。

これを聞いて、自分も学校の仕事以外の場は後者のタイプと同じだと感じている。
原稿を書くのは真剣勝負なので別だが、それ以外の「教育書や関係書を読む」「ブログ等で発信」というのは、半分はリラックスしてやっている。そのスタンスだから続けていられるんだなあ・・・・そのことに気づいた番組であった。

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2010.05.16

教育雑誌から

教育雑誌を読む。早くも6月号だ。

授業づくりネットワーク」(学事出版)
特集が「授業づくりの発想」。「授業づくりネットワーク」誌のバックボーンと言える同名の書がある。20年も前に自分も授業づくりの参考にした。授業の見方・考え方を深めるために、授業実践書だけではなく、このような授業理論書を読むことの必要性をこのごろ痛感する。
なお、「「力をつける授業」成功の原則」が書評で紹介されていた。感謝!

現代教育科学」6月号(明治図書)
向山行雄氏の学校づくりの原稿が光る。自分の学校でできるヒントをいくつも見付けた。学校の「発信力」は重要である。このような原稿が一つでもあればその雑誌を読む意義がある。

学習情報研究」(学情研)
特集が「毎日無理なく続けるICT活用」。子どもたちに力をつけるICT活用が、継続しないのであれば意味はない。その点でこのような特集は現場にぴったりである。まさに日々の授業改善に直結する。

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2010.05.15

すばらしい運動会だった

今年もすばらしい運動会だった。

通常の小学校の種目、中学校の種目自体もいいのだが、
小中一緒の種目のすばらしさが際立った。
長縄跳びで小学校1年生の手を中学生がもち、一生懸命に跳ぶ子どもたち。最初は数回を跳ぶのも難しかったのに、どんどん上達していった。
小中一緒の応援合戦も同様。単なる応援ではない。それは一つのパフォーマンス。振り付けも隊形もよく短期間で仕上げたものだと思う。中学校の子たちの励ましと小学生のがんばり。
先輩方のすばらしい姿を小学生は見ている。小学生はやがて中学校に行った時に自分たちがしてもらったことを後輩たちにする。これはもう立派な伝統だ。脈々と受け継がれているすばらしさである。

それにしても今年も地域が強力な学校のサポーターであった。
6時から巨大パネルの取り付け、テント設営のためにPTA会員のお父さん方が作業を開始。
PTA会員は二十数世帯であるが、十数人ものお父さん方が集まった。チームワーク、そして作業力も抜群で、どんどん仕事を進めていく。後片付けも同様。本当に有難かった

さらに、保護者や家族だけではなく、地域の皆さんが運動会を盛り上げた。子どもたちのがんばりぶりに拍手をしたり、笑ったり・・・・にぎやかな観客がいれば運動会も盛り上がる。
「子どもたちのがんばりぶりに元気をもらった」と言う声があったが、それは逆も同様。地域の皆さんのバックアップに学校が元気をいただいた運動会であった。

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2010.05.14

一言メモ

本校での勤務は3年目である。
「安定期」である。いい意味でも、違う意味でも。
いい意味は言うまでもないが、違う意味というのは「マイナス面で」ということである。
安定期というのは仕事に慣れている。しかし、それが落とし穴。毎年同じことを行っていて平気になってしまう。
その落とし穴に落ちないように過ごそうと思っているが、今年度新しい提案はまだの状態である。

ただ、方向性は決まっている。
自分の学級経営と同じ手法を仕事の点で生かしていこうと思っている。

たとえば・・・・
「学級通信を日刊していた」→「職員向けの通信をどんどん出そう」
「一言メモで励ましていた」→「同様に一言メモで子どもたちのよさを伝える」
「家庭学習ノートにコメント」→「週録にコメント+様々な機会にコメント」

副校長や教頭は「職員室の担任」とも言われる。ならば担任時したことを実践していけば・・とずっと思っていたが、なかなか実行できていなかった。それをしっかりと実行しようというわけである。

一言メモといえば、20年近く前に同僚だった教頭先生を思い出す。
その教頭先生とのコミュニケーションで,実に印象的なことがあった。今と同様に毎日学級通信を発行していた。学級通信は管理職,その他教務・研究・生徒指導担当の先生方用に5部提出することになっていた。ほとんどの場合,提出して終わりである。
ところが教頭先生は,時々その学級通信に一言コメントを書いて戻してくれていた。「読ませますね~」「いい実践です」「ユーモアたっぷり。いいね子どもの作文は」といった本当に短いコメントだ。教頭先生からすれば,担任が子どもたちの家庭学習ノートに赤ペンを入れるように,先生方の通信を読んで赤ペンを入れたくなったのであろう。実際にその時にお会いした,この思い出話をしたら「そうだった。担任ができないから,少しでもその気持ちに近づくたくてしていた」と話されていた。

これも担任感覚から出たもの。担任ではなくても担任感覚は様々な面で生かせるはず・・・と思っている。

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2010.05.13

運動会練習も佳境

あさってが本校の運動会。練習も佳境に入っている。
管理職になってから、練習は当事者というよりも「見る」感じになっているが、それでも「いいなあ」と思うことがしばしばだ。

・小中一緒のパフォーマンス。中学校の演技スタイルなのであるが、小学生も一生懸命にがんばっている。今年中学校に入った1年生が随所でいい声掛け。小学校では見られなかった姿に「中学生になると一気に成長する」と実感。

・小学校だけの応援合戦もある。昨日、練習での勝負をした。審判は先生方。圧倒的に一方の組の勝利だった。悔しそうな別の組。でも、これも大切。奮起して今日の練習では、昨日の何倍もいい応援をしていた。「悔しさ」はやはり原動力だ。

・「見る」だけではなく、今日は人数不足の中学校の競技に混ぜてもらった。やはり楽しい。参加してこそ運動会だと感じた。

・機器チェックでトラブル。無事1時間半後には解決。これが予行前日でよかった。初任の時に、文化祭前日に「放送の音がおかしい」ということで、電気屋さんに修理をお願いして夜10時近くまでかかるという失敗をしたことがあった。機械のチェックは早め早めにこしたことはない。簡単に変更、購入はできない。

・明日は予行。あさってが本番。子どもたちのいいパフォーマンスに期待したい。

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2010.05.12

連絡が早いと担当は助かる

今年は町副校長会の事務局をしている。
事務局仕事は地区社会科研究会を長い間行った。組合でも社会分科会の事務局をしていたこともあり、校内研で社会をしていなくても毎年何らかの発表や研究授業の場があった。貴重な場だったことは間違いない。その他にも地区図工研、海外研の事務局等も担当をした。多い時には事務局を3つ、4つと掛け持ちをしていた。

事務局仕事で助かるのは連絡が早い時である。
昨日、副校長会での重要な仕事で連絡をとった。人選の依頼なので「早くても3日間ぐらいはかかるだろう」と思っていたら、何と今日の朝のうちにはすべての連絡が来た。これには驚いた。「忙しい先生方への連絡だから時間がかかる」という思い込みがあったからである。

「忙しい先生」でも「仕事ができる忙しい先生」はこのような連絡のスピードも速いのだ。決断したら、即連絡。「あとで連絡します」というのは結局お互いに2度手間になる。ならば、はやい方が間違いなくよい。
そして、このようにいいリズムで仕事をしている人と一緒に仕事をすると心地よい。今回の事務局仕事はいいリズムでできそうである。

これは逆に言えば、いいリズムではない時には担当に負担が行くということである。何度も報告を求めても連絡がない時などは、事務局としてつらい。そういう経験をすると、「事務局は避けたい」と思うのは当然である。心したい。

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2010.05.11

ささいなことではあるが

とある原稿を書き続けている。
参考図書も読み続けている。その中で、計算記号の書き方について言及している参考図書があった。「+」「-」「×」「÷」である。
注目したのはその大きさである。

「数字よりやや小さくします」とある。

考えてみればこのような計算記号を教える時に、書き方ばかり指導をして、その大きさについては指導をしたことがなかった。
あわてて今教えている3年生の教科書のわり算のところを見た。「数字よりやや小さくします」といった旨のことは書かれていなかった。「教えていな部分があったのでは・・・」ということではなかったのでホッとしたものの、「数字よりやや小さく書く」のは、今回初めて知ったことだった。
改めて教科書を見てみると、確かにその通り印刷されている。無意識ながら、それが自然な感覚だった。また、自分自身も式を書く時は板書で計算記号は自然に小さくなっている。
ただ、言葉ではっきりと知識としてこのような基本を知り、子どもたちに伝えているか否かというのは大きいと思う。これは一つの例であるが、その姿勢そのものが子どもたちのノート指導に与える影響は大きいであろう。数日前に書いたラジオ体操と同様に「素材研究」をすることの大切さを感じている。

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2010.05.10

思わずラジオに耳を傾けた

日曜日の夜は8時台に軽米に移動する。
その時にはNHKラジオを聴くパターンが多い。「渋マガZ」という若者をターゲットとした番組である。(ちなみにあの「生協の白石さん」もコーナーをもっている。)

その中で、「企業の初任者の研修」のレポートが2つ報告されていた。
1つは「教えない教育」(協和発酵)、もう一つは「竹とんぼ作り」(TDK)。ネットで探すと情報が出ていたから、注目されている研修なのであろう。
その中で「教えない教育」は人材育成のヒントになるのではないかと熱心に聞いた。私自身も授業でかつて学んだ「大事なことこそ教えない」をキーワードにしてきた。逆説的であるようだが、「教えない」ということはレベルの高いことである。当たり前だが、本当に「教えない」のではなく「教えないで自主的に学ぶように仕組む」ということだからだ。
中でも、「『知識を得たい』という気持ち、知識に対して『渇望状態』にいかにさせるか」という点がポイントという点には、全く同感である。
大事なことを教えるのも人材育成で大事だが、一番いいのは「その気」「やる気」のある状態に育てることである。
その点では、このような企業の研修の方法から学ぶことも多いのではないかと思う。

また、この番組の後半では「就活情報」を特集している。4月に東京駅近くのスタバに入ったら、就活真っ最中らしい学生さんが必死になって参考図書を読んでいた。また、我が子も大学に入り、「就職状況」という情報も自然と目に触れるようになってきた。そうなると、このような情報も興味が出てくる。「企業が求めている人材」といっても教育界と大きく違うわけではない。(今回は第一に「コミュニケーション能力」、次が「意欲」だった。)これまた耳を傾けるような話だった。いい情報はあちこちから入るものである。

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2010.05.09

最近の読書

 4月29日の昭和の日から今日までは「原稿集中週間」と位置づけていた。
 遅れ気味だった大物原稿をようやく執筆できるペースになったので、休日の多いこの時期に一気に進もうと考えていたのである。11日間のうち休みの日が8日間。連載原稿、依頼されていた原稿、そして大物原稿。先の2つは締切があるので終了したが、大物原稿は8割まで書き進めることができた。残りは運動会練習のためペースが鈍るものの、一週間ぐらいあれば何とかなるのではないか・・・と思っている。

 さて執筆に力が入っている時には読書量が減る。特に新刊は読まないパターンである。
 ただ、どうしても読まないと栄養が不足する気がして、かつて読んだ本でヒットしたものを再び読むことが多い。数冊読んだうち、やはり紹介したいなと思うものを2冊出そう。

教師のための実践マナーブック」(有村久春編 教育開発研究所)
とあるブログに引用されていて、「なるほどなあ」と思って再読した本。
「教師は世間知らず」ということを言われることがあるが、確かに来客時や電話時の対応は「あれ?」と思うことが昔からあった。それらをトレーニングされる機会もないからなのであるが、そうであれば自分で学ぶしかない。
自信のない人にお勧めである。なお、そういうマナーだけではなく、同僚や保護者への対応も書かれており、教師のテキストとしたい本である。

ミドル教師 ニューリーダーとしての自己啓発ノート」(向山行雄著 明治図書)
向山先生は今は全国小学校校長会の会長である。その役職としてのコメントが教育関係の新聞によく掲載されており、重みのある発信をされている。
この本は「ミドル教師」のための啓発書であり、自分よりちょっと下の世代にはぜひ読んでほしい本である。ではなぜ自分が読んでいるか。それは本校の先生方がまさにこの世代であり、どういうことを伝えればいいのか、そのヒントがずばり書かれているからである。管理職にとっては、どのような本も後進育成のためのヒントとなることを実感。

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2010.05.08

「悔しさ」が原点

ここ一週間ぐらいで、目にした情報で「悔しさが自分を変えた」というものに3つも出会った。
一つぐらいなら、よくある話で聞き流すが、これぐらい続くと「何か自分に関係があるのでは・・・」と思ってしまう。
気づいてみれば年々「悔しがる」ということが明らかに減っている。

・授業がうまくいかない自分に悔しがる
・隣の学級の歌声のすばらしさに比べ、自分の学級がそのようにならない。自分の指導力に悔しがる
・研究会で自分の主張がうまく言えなくて悔しがる
・レポートや原稿がうまく書けなく悔しがる

20代、30代は「悔しがる」こともしばしばだった。もちろん表向きには悔しがっている様子は出さなかったが、内なるエネルギーとして「もっと学ばねば」と思ったものだ。確かに学びの原動力になっていたのである。

今、そういうことが減ったにはいろいろな力がついたからではない。たとえ力がついたとしても、目標が上がれば悔しがる機会は変わらないと思う。管理職になっても、管理職なりの目標設定をすれば・・・とも思う。
「わざわざ悔しがらなくても・・・」と思うかもしれない。この場合の「悔しさ」とは、「自分の原動力になる思い」である。枯してはいけない。

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2010.05.07

わずか10分間の指導だが

岩手県の大部分の小中学校は5月に運動会が行われている。
本校も15日の運動会に向けて、連休明けから運動会モードになっている。
準備運動はラジオ体操である。
先生方の指導を見て、自分の担当者の頃を思い出した。

若い男の先生というだけで体育担当になるのだが、自分自身は運動は苦手だった。
ラジオ体操も小さい頃にやっただけ。それでも初任校では10分間の指導を全校の前でしなければいけなかった。
これは大変苦痛だった。年配の先生方はラジオ体操が上手だった(特に50代。今の70代の皆さん)。その前での指導であるから間違ったことは教えられない。もちろん、ありきたりの指導だけでは子どもたちも伸びない。

まずは朝NHKでテレビ放送されているラジオ体操を録画して、何度も何度も繰り返し視聴した。これは基本的な動きを覚えるためだったが、自分の覚えていたラジオ体操がいかにいいかげんだったかがよくわかった。
また、ナレーションの言葉がきちんと運動の目的を言っていることに気づいた。自分にとってはこれは大きなことだった。「形を教えるようにしても運動にならない。運動の目的を理解させることが大事なのでは」と考えるようになった。運動の目的を言うことによって、子どもたちの動きも変わった。そして不思議なことに、動きも揃うようになってきた。
さらに手引書を読むと、「〇〇のようにします」という表現が目についた。「すいかが入るくらい足を開きます」「空から手をひっぱられているように伸びます」といったたとえを使うと子どもたちの動きも変わると実感した。

わずか10分間だけの指導であるが、ラジオ体操の教材研究には多くの時間を費やした。「ラジオ体操そのものの理解」「体操の目的を言う」「たとえを使う」この3つで初任校での指導を切り抜けることができた。特にもラジオ体操そのものの理解で繰り返しビデオを見て考えたのは、「素材研究」とも言える。教科の指導と同じだと感じた。
そして、その指導法はその後の各学校での指導にも役立った。強制的にでも役割を与えられることは指導のチャンスなのである。

ちなみに今はビデオ録画したり、手引きを購入したりする必要はない。
ネットでラジオ体操が動画で見られるし(ということは子どもたちにも見せられるということだ)、解説のサイトも充実している。これまた便利な時代になったものである。

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2010.05.06

教科書通りに学習問題設定

 急遽入った高学年で社会をすることとなった。
 「学習問題をつくろう」という部分だった。
 教科書を見ていくと、単元での学習計画の立て方を学ぶところだった。
 よく読んでみるとここの教科書の構成は実にわかりやすい。

・学習問題を作ろうとしている子どもたちの写真。パンフレットや写真、参考書をもとに話し合っている様子がわかる。参考になりそうなファイルもある。
・学び方コーナーにはカードを使ったKJ法による学習問題の方法が示されている。
・学習計画の黒板への板書例もノートの記入例も示されている
・子どもたちの発言が絶妙。「調べたこと」→「つぶやき」→「課題」というように一人一人が関連したものになっている。

 この見開き2ページを教科書通り学習していけば単元の問題解決型のスタートは切れると感じた。
 この学習課題を作る部分は教師によっては簡単に終わってしまうかもしれない。時間的に厳しい面もあるし、どうのようにして行ったらいいか難しいという気持ちも働くであろう。
 確かに研究授業でもなかなか選ばれない場所である。私自身も社会の研究授業では一度しか学習課題設定の場面は行っていない。
 しかし、教科書通りに行えばある程度の見通しをもって行うことは可能である。そして、このような学習が先日書いた社会科があまり好きではないという子を少なくすることにもつながるのではないかと思っている。

 ※なお、「社会科教育」4月号の特集は「新社会科“価値ある学習問題”テーマ100選」だった。
  私も「社会科授業と学習問題づくり=疑問に答えるQA」というテーマで4ページ執筆した。この原稿があったからこそ、ここの部分に特に注目したのかもしれない。

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2010.05.05

余白を考えるから目立つ

5連休は遠出をせずに、家にいることが多かった。
自分自身がふだん単身赴任なだけに、「帰省する」という感覚だし、大学に行っている長女も帰省するということもあったからである。
休みの日は遅れている自分の仕事を進める・・・こういう流れも断ち切るためにも、この連休中は仕事の「負債」を減らすように取り組んだ。目標の9割ぐらいは達成。いつもはよくて8割ぐらいだから、これには満足している。

さて、今集中的に取り組んでいるのはノート関係の原稿。
すでにノートの書籍は発刊しているのだが、それがあるからこその依頼を受けている。
以前発刊したノート本の原稿を書いたのはもう6年前。その頃に比べたら、新しいノート関連の教育書も多く発刊されているので、学び直しをしている感じである。「原稿を書かなれければいけない」ということがなかったら、これらの本をこんなに真剣に読むことはなかったと考える。
そう思えば、やはり依頼されるということは有難いことである。

ちなみにアンテナが働いてる時には、何気ない言葉にもピンとくるものだ。
今朝、日テレ「ズームイン朝」で「書道甲子園」をしていた。優勝校へのコメントが、「余白をよく考えているから、文字が目立ちます」というものだった。なるほど、ぎっしり詰めこむと却って文字の印象が薄くなるよな・・・と共感した。
さらにこれはノートも同じ。子どもたちには常々「ノートはぜいたくに使おう」と言っている。それは「余白を作ろう」と言っているのと同じだ。余白を工夫して作ることによって、書いている文字も目立つ。これもノートの原稿を考えていたから入ってきた言葉だ。
広くアンテナをもっていると入ってくる言葉も広がるのである。

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2010.05.04

不人気だから需要がある

こちらのブログを見ていたら小5の教科の好き嫌いが出ていた。
上位の「体育」「家庭」「図工」などは、「確かにそうだろうなあ」と思う。しかしながら、「社会」の最下位にはちょっと驚いた。決して人気は高くはないものの、最下位とは。
佐藤学級で時々教科の好き嫌いを雑談ですることがあった。社会は常に好きな教科の上位に入っていた。(トップはやはり体育だった。ちなみに音楽が常に最下位。これは指導技量からして当然のことだが・・・)

社会そのものが嫌いという子もいるだろうが、教師が社会の授業を魅力あるものにしていないのも一因にあるだろう。「社会を教えることが苦手」という教師がけっこう多いのでは・・・と推定する。

さて、この結果を見て、自分のすべきことの重要さを感じている。社会が不人気であるのなら、「好き」になるような授業を広めるのも自分の役目。
かつて靴のセールスマンのエピソードを本で読んだことがあった。ある島に行った時に、島民ははだしの人ばかりだった。あるセールスマンは「これでは靴は売れない」と嘆いたが、別のセールスマンは「ここには無限の可能性がある」と考えたというものだ。
嫌いな比率が高いほど社会の指導法には無限の可能性があると思っている。

それにしてもこのブログの出典もチェックしたが、興味深い内容の資料が多い。教員の日常生活や意識は参考になる。

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2010.05.03

生徒指導主事が何をすればよいかわかる

この連休中は、自分の時間は原稿を書くことに決めている。読書をしたいという気持ちもあるが、いい波にのっているうちに遅れてしまった原稿をどんどんと書いていかなければ・・・という現実がある。

しかし、ずっと原稿ばかり書けるわけではないので、少しずつインプットもしている。
今日は以前玉置先生がHPで紹介してくださったこちらのファイルを読んだ。
校務分掌で「生徒指導主事」は各学校に必ずいるのだが、学校によってずいぶんと仕事の量が違う。教務主任や研究主任はある程度同じであるが、生徒指導主事はその取り組み方によってどんどんいい仕事をする場合もあるし、「表だった問題行動が見られないから」とあまり仕事が反映されていない場合もある。そのどちらのタイプ(もちろん中間も含めて)にも、読んでほしい冊子である。
具体的に生徒指導主事が何をすべきか。そしてその仕事の質をあげるコツが具体的に書かれている。中学校編ではあるが、小学校でも十分に役立つ考え方・内容であるし、管理職にとっては生徒指導主事へのアドバイスのヒントが盛り込まれている。

それにしてもこういう冊子もすぐに無料でダウンロードできる。一昨日のブログではないが、本当にいい時代になったものである。

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2010.05.02

過去の自分に励まされる

かつて佐藤学級を訪問された先生から、新刊書の感想をいただいた。
「その頃は何をしていたっけ」とふと思い、当時の自分の足跡をたどった。

その先生の訪問された時には、実に動きまわっていたことが分かる。他校(県外)への飛び込み授業、一日参観授業、研修会の模擬授業、プロジェクトの授業検証、そして地区の特別活動の授業研究会もしていた。その他にも情報テキストの指導書作成、プロジェクトのビデオ作品作りやレポートもしていた。
むろん、6年担任として実務が最優先。日々の授業や学級経営、日刊の学級通信に加え、通知表書きや卒業アルバム作りも。ブログや仕事日記も毎日更新。
今の自分とは比べものにならないほどアクティブだった。原稿と同様に「勢い」というものがあり、それが様々な活動をする原動力になっていたと思う。

何も「昔はよかった。そのように自分を戻すべき」ということではない。今は今の立場でできること、すべきことがある。
しかし、この時のことを考えたら、「自分はもっともっとできるのではないか」と思ってしまう。過去の自分から今の自分へのエールにもなっているのである。

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2010.05.01

「学校教育の情報化に関する懇談会」

堀田先生のブログから、「学校教育の情報化に関する懇談会」の動画や資料が公開されていることを知った。こちら
この分野に興味をもつ人にとっては必見だと思っている。様々な分野の方々の主張が資料からも伺える。

それにしても有難い世の中になったものだ。文科省のこのような懇談会が自宅でリアル情報として手に入れられる。
十数年前だったか、県の教育委員会の社会教育主事だった方が教頭になった。「県の教育委員会にいると最新の情報が入ってくる。トップランナーという気分だった」と話されていた。当時は紙ベースの資料送付だったら、確かにそうだったろう。そして、各学校に入る情報も遅かったであろう。
今は、へき地の学校に勤務していても、その気になればこのような情報はいち早く手に入れることができる。書籍もネットで即購入できる。情報の格差は圧倒的に少なくなった。有難い時代である。

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