若い人に贈る言葉
昨日の贈る言葉の続きです。
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(4) 「出会い」に気づく
初任以来、数多くの出会いが自分を育んだ。
職場や地域の先輩教師、著名な先生方、同期の仲間、同僚や後輩、保護者や地域の皆さん、そして教え子。
特に若い頃は、諸先輩の言動に大きな影響を受けた。
こう書くと、「自分にはそういう出会いがない。何と恵まれない教師人生だろう」と嘆く人もいるかもしれない。
それは半分事実かもしれないが、半分は事実ではないと思う。
きっと恵まれた「出会い」が今までにもあったのだ。
それに気づかなかっただけである。
自分の場合には、幸いにも「出会い」に気づくことができた。この「気づき」が教師人生での分岐点だと思う。特に若手教員時代の出会いの重要さは言うまでもない。
一番身近な「出会い」は、今勤めている職場の先生方であろう。
若手教師であれば、多くの先輩方と毎日接していることになる。
その中に、「この先生は尊敬できる」と思う先輩が一人でもいたら、それはすばらしい出会いである。
その先生の言動をすぐに真似た方がよい。
尊敬できると感じるにはその理由があるはずだ。
「子どもたちに対して一人の人間として接している」「後輩に対しても常に謙虚である」「教えを乞うと熱心に語ってくれる」等、自分もそのようにするのである。
私が20代で出会った教務主任は、まさに尊敬できる先生だった。
どの先生方にも明るく一声かける。担任の代わりに教室に入ると、子どもたちとよく遊ぶ。だから先生方からも子どもたちからも大変慕われていた。
お願いされた仕事はどんなに忙しくても断らなかった。地区の社会科研究会の授業者が決まらなかった時には、担任ではないのに「では私がしましょう」と学級を借りて飛び込み授業を行ったほどである。
先生方の相談にも熱心に耳を傾けていた。
私だけではなく多くの同僚が尊敬していた。
わずか1年間の同じ勤務だったが、この時に受けた影響は実に大きいものだった。少しでも近づこうとその言動を真似たものだった。そして、今も真似ている。
(5) あこがれの人をもつ
著書を読んで「この先生はすごい。あこがれるなあ」と思ったら、ぜひ会ったらよい。
全国に知られている実践者は遠い存在に思えるかもしれない。
しかし、積極的にアプローチをすれば決して遠い存在ではない。
私が出会った最初のキーマンは有田和正先生だった。
最初に講演を聞いたのが、教師になって2年目の県の社会科教育研究大会だった。その実践に魅了され、まさに「あこがれの人」となった。
「ぜひとも授業をみたい」という思いが募り、翌年には当時筑波大学附属小学校の有田学級を参観に行ったほどだった。当時は私と同じ思いの若手教師が多くいて、授業公開会場は大変な熱気だったことを覚えている。
「あこがれの人」に出会うメリットは、何と言っても「一流のすごさ」を感じ取ることができることである。
有田先生との出会いは自分にとって教員生活最大のターニングポイントとなった。そして、その時に自分の目で見た有田学級は自分の担任時代の目標になったのである。
(6) 「プラス・アルファ」の努力を
自分の3年目までの歩みをエピソードと共に振り返った。
「3年目までが勝負」という恩師の言葉を励みに自分なりに努力をしたつもりであった。
しかし、その後の教員生活を考えたら「それぞれ節目節目で勝負はある」と感じている。
ただ、3年目までに教員として修業する習慣が身に付いたのは大きかった。
そういう意味の励ましだったのだと今は思う。
もっとも努力といっても、人の何倍もしたわけではなかった。
他の人と比べたら「プラス・アルファ」の努力だ。
■他の人が研究授業を2回するのなら、自分は3回行う
■指導案に参考資料を自主的に添付する
■学級通信に月に1本は授業記録を残すようにする
■給料の2割を本代に費やす
このような努力でも、1年1年が積み重なると、蓄積した
努力はいつの間にか他の人の2倍、3倍になる。
その「プラス・アルファの努力」の習慣づくりが3年目までで
大切なことなのである。
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