一人一人の学びから授業を考える
昨日、事務局を務める地区の社会科研究会の第2回セミナーを行った。
夏休み、2学期、冬休みと3回のセミナーを当初から企画していた。
今回の特色は何といっても講師の先生による飛び込み授業。社会科教育界で著名な鎌田先生に依頼をした。
5年生対象の食料生産の示範授業。
社会科として学びの機会の提供が本セミナーの趣旨であるが、私個人にとっても大きいものだった。
自分も年に数回、飛び込み授業を行う。今年も1月に久慈、6月に花巻、先月は浜松で行った。冬休み明けには秋田で行う予定である。しかしながら、こと社会科の飛び込み授業は有田先生が行うものしか見ていなかった。おそらく各地で行われているはずなのだが…。
そんな個人的な興味もあり、実に楽しみにしていた。
実際の授業から学ぶことが多かったことはもちろんだったが、授業のビフォー・アフターに衝撃を受けた。
というのも、授業の2週間ほど前に「何か子どもたちの姿が見える資料があったら…」と依頼を受けて、食料生産に関わる部分のノートのコピーを学級全員分送付をした。ちょっとした資料だったが、鎌田先生は一人ひとりの学びの姿をそこから想定し、授業にその内容を取り入れていた。
私自身飛び込み授業で、学級の授業の進度に合わせたり、学習規律を事前に見たり、子どもの名前を可能な限り覚えてから飛び込み授業を行うが、このように一人ひとりを事前に見取ることはなかった。
しかも、セミナー終了後の限られた時間で事後に回収されたノートを読まれて(37人分!)コメントまで書かれていた。その中から、特に授業で変容した子のことを話題にしていた。これには驚いた。
担任時代もおそらくこのようなスタイルで、一人ひとりの学びを見ていたのであろうと想像してしまった。
授業力の基本として、発問・指示・ノート指導・対応等はもちろん大事だ。それと同時にすっかり自分が遠ざかっている「一人ひとりの学び」をしっかりと見取ることの大切さを学ばせていただいたセミナーであった。
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