教育実習の日々1
昨日の続き。今までも掲載したことがあったが、原点を忘れないように掲載したい。
■その1 教官に怒られる
教育実習の初日のこと。
誰が何の授業をするのか割り振りをすることとなった。
同じクラスに配属された実習生6人で話しあうのである。
そうじの前に、そのことについて放送があった。
「実習生の皆さんに連絡します。授業計画用紙をできるだけ早く出してください。」と。
目の前で子供たちは机を運び始めた。実習生6人は、そうじに行ったらいいのか、計画作りを優先させたらいいのか、わからなかった。
そのうち一人が言った。
「実習生室に行って相談しよう。」
そうじの時間に、授業計画はできた。そして、5時間目の授業に臨んだ。
ところが放課後、担当のY教官に怒鳴られてしまった。
「子供たちのそうじも見ない実習生がどこにある!」
(こっちにはこっちの理由があるのに!)と思ったが、教官が怒った真意をよく考えてみた。
子供たちが学校にいる限りは、何事も子供たちのことを優先すべきという当然の原則がある。私たちはそれを間違えていたのである。何も「今すぐに」授業計画を出すのではない。
「そうじを優先させるべきだった」・・・このことを悔やんでも後の祭りである。
この件で実習生たちはがっくりしてしまった。アパートに帰ってからも怒鳴られたショックが尾を引いた者もいた。
「いやだなあ」と思いつつ、翌日Y教官に接すると、昨日のことには全く触れない。それどころか、子供たちに接するのと同じ笑顔で私たちにも接する。
「ふだんはやさしいが、怒るとこわい」・・・教師にとって大切な資質を私たちにも示してくれた教官だった。
■ 45分間の授業が1分の説明に負ける
怒鳴ったY教官は算数が専門であった。
実習生の中にT君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択した。
そのT君が顔をゆがめる。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのであるが、子供たちは(わからない)という顔をしている。
T君は、さらに説明や質問を加えるものの、説明をすればするほど、子どもたちは困惑したような顔をする。
授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころころ変わったのでは、子供たちは混乱するばかりである。
ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。
やがてチャイムが鳴る。次の授業もある。
やむを得ない。Y教官の登場である。その説明、わずか1分。子供たちが「わかった、わかった」と生き生きとした顔でうなずく。
その様子を見ていたT君。実習生の我々の席に戻り一言。「悔しい」
この時ほど、プロとアマの違いを感じたことはなかった。
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