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2016.03.13

学級通信2年生版 その2

時にはこういう話題もいいかな・・・

学級通信 ピーターパン 第128号 10月12日

      コーヒーブレイク

 たまには休息。

■その1 「正しい日本語」

 子供たちが時々使う変な日本語。
 例。「ぼくのほうが、ちょう大きいぞ」「この本は、ちょうおもしろいなあ。」
 新聞にも、巷でも「超~」という言葉が流行っていると出ていた。
 しかし、子供たちと一世代違う私は、違和感を感じてしまう。
 この間の図工で、A君。
「ぼくの作品は、ちょうすばらしい。」
「その『ちょうすばらしい』の『ちょう』の使い方は正しくないよ。『ちょう』はつけなくてよろしい。」
 そうしたら、B君。
「えっ、じゃあ、算数の『ちょう点』(習いたてのほやほや)はただの『点』でいいんだ!」
 これにはがっくり。

■その2 「やらせ?」
 先週の木曜日のこと。
「今日は大事なお客様が学校に来ます。教室にも、来るでしょう。」
 いつもと違うことがあると、子供たちは必ず何かしら期待をする。
 ところが、1時間目になっても2時間目になっても教室には来ない。休み時間にも、誰も会わなかったと言う。
 3時間目。机をコの字にして、文化祭で作る工作の話し合いを始めた。話し合いが盛り上がってきたところで、C君が突然、戸の方を指さして、
「アッ、きた!」(そ、そんな大声で・・・)
 それだけで終わるかと思ったら、大きな声で、
「こんにちは!」(あらあら、授業中だぞ・・・)
 そうしたら、まわりもつられて、一斉に、
「こんにちは!」(ムムム・・・・)
 それは、まるで事前に練習したかのように、ぴったりと声がそろってしまったのである。自然のままなのに、「やらせ」と思われたのではないかと、担任はまたがっくり。

■その3 「チャチャチャ」
 朝の会の宿題点検が盛り上がらない。「全員持ってきました」とその日の班長が言った時に、その班に対して祝福の意味の拍手を送ってほしいのだが、いつもぱらぱら拍手。
 手のひらが小さくてそうなのかと言えば、そうでもない。「手が痛くなるくらい拍手をしなさい」と言えば、ちゃんと盛大な拍手ができる。
 そこで、「かけ声手拍子」に変えることにした。次のように。
「全員持ってきました。」
「イイゾ!チャチャチャ!」
(イメージしにくい方は、全日本バレーの「ニッポン、チャチャチャ!」を思い浮かべてください。)
 そうしたら確かに盛り上がる。そして、宿題点検の結果に前より期待をこめるようになった。さらに付け加えるのなら、朝の会のムードも活気づいてきて、「やるぞ」という気分になる。
 しかし、すぐに悪ノリするのが子供。休み時間、見ているとさっそく違うバージョンを作り出した。
「ワルイゾ!チャチャチャ!」「おもちゃの!チャチャチャ!」
 三たび、担任はがっくり。
 しかし、それを楽しいなあと感じている今日この頃です。

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150号記念を「3」という数字でくくってみました。

学級通信 ピーターパン 第150号 11月9日

「3」にこだわって ~感謝のうちに150号~

 150号です。一つの区切りです。
 教師生活も今年で8年目です。(注:今はもう何年も過ぎています。)その中で学級通信が150号を越えたのは5度目です。例年は雪が降る中での150号なのですが、今年は紅葉の中での150号。もちろん新記録です。
 これも読者の皆様のお陰と感謝しております。
 さて、節目の号です。「3」という数字にこだわってみました。

その1 子供の努力は3ヶ月で実を結ぶ
 この間、校内の研究会で大脳生理学のことが話題になりました。
 人間がある行動を習得するためには、大脳細胞に同じ刺激を100回ぐらい与えなければいけないということです。たとえば、逆上がりができるようになるまで、毎日練習をしていれば100日ぐらいでできるようになるということだそうです。
 100日と言えば3ヶ月。この間、根気強く取り組むことが必要だということです。
 かけ算九九も完全にマスターするのも100日。つまり3ヶ月です。
 この話を聞いて、教育とは長い目で見なければいけないものだということがわかります。
 教師の役目は、子供達に、具体的な努力の方法を教え、継続させるように励まし続けることだと思います。逆上がり、かけ算九九とも現在子供たちが取り組んでいるものです。長い目で援助していきたいと思います。

その2 教師は3年目までが勝負だ!
 大学卒業時に恩師にこう言われました。最初の3年間の勉強ぶりで、40年近い教師生活が決まってしまうのだと。
 社会生活に旅立つ若人たちへの、厳しいはなむけの言葉とその頃は受け取りました。そして、教師というのは常に研修が必要なのだということもその言葉から読み取りました。
 さて、その3年が過ぎ、その倍の6年も過ぎました。来年度は、その倍の9年目になってしまいます。(注:今はもうこれから何年もすぎています。しつこいようですが。)
 しかし、不思議なことに経験年数が増えるほど、学びたいことも比例して増えていきます。だから、2年生の担任も2回目ですが、毎日が新鮮です。

その3 努力は人に見せるものではない
 「3」という数字が似合うある野球選手の言葉です。そう、長嶋茂雄さんです。
 天才的といわれた人ですが、実は自他共に認める努力家だったとのこと。そして、自戒の意味でその努力を見せるべきではないと考えていたそうです。
 何か、イメージしている性格とは違うようなエピソードです。そのギャップが、私がこの言葉を好きになった理由かもしれません。

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いろいろと出張に行きます。その研修記を通信に書くこともあります。

学級通信 ピーターパン 第161号 11月27日

        研 修 記

 3日間、研修をさせていただきました。
 3日間以上の出張は教員になってからこれで3度目です。前の2回は、研修をしながら、「子供たちは、しっかりと勉強しているかな?」とつい考えてしまいました。今回もやはり同様でした。
 訪問した学校は、〇〇県のI小学校と〇〇県のT小学校です。

I小学校は実は昨年度の10月に学校公開授業を見に行った学校です。生活科の授業の公開でした。その時に見た授業が1年生の「落ち葉で遊ぼう」でした。
 そして、今回も授業を見せてもらいました。やはり1年生の「落ち葉で遊ぼう」です。「また、同じような授業かな?」と思ったら、実はぜんぜん違っていました。
 昨年度のものは、落ち葉でいろいろな模様や飾り物を作るものでした。今回は、教室の真ん中に落ち葉をたくさん集めて、「落ち葉のベッド」を作っていました。ベッドといっても、30人の子たちが全員入って遊べるぐらいの広さです。寝転がったり、落ち葉を投げ合ったりする様子を見て、「落ち葉のプール」と言った方がいいかなと思いました。
 そこで、子供たちは思い思いの遊びをします。遊びが発展していって、大きなビニール袋や両面テープを使って、すてきな洋服を作ったり、自分たちでゲームを考えたりして授業は進んでいきました。残念ながら時間の都合により、2時間続きのうちの1時間しか見ることができませんでした。
 毎年、同じことをするのではなく、新しい教材を開発していくという心掛けに感心しました。

 T小学校は4年前に校舎が新築されたばかりの学校でした。
 その設備には目を見張るばかりでした。教室の廊下側の壁がないオープンスペース。開放的な感じがしました。250人が入ることができるランチルーム。(私は大学の食堂を思い出してしまいましたが。)
 そして、床暖房に会議室は畳部屋。廊下は広く、体育館は二つありました。まあ、学校の設備を見にいったわけではないのですが、「こんな学校があるんだなあ」と皆で目を丸くしたものでした。
 ここでも、授業を1時間見せてもらいました。国語の作文、それも同じ2年生の授業でした。「自分が生まれたときの様子」の説明文を書くというものでした。落ち着いた教師の語りかけに、学級全体がしっとりとした雰囲気で学習をしていたのが、印象的でした。私自身も自分の話し言葉を見直すいいきっかけになりました。
 この3日間で学んだことを今後に生かしていきたいと思います。

■人面魚、あらわれず
 T小学校を訪問した後に市内のお寺を見学しました。普通のお寺と思っていたら、『人面魚の里』という看板が目に入りました。「あ~、ここが去年一大ブームになった人面魚のあのお寺か・・・」。
 全員張り切って、お寺に向かいました。ところが、お寺には池らしきものはありません。
そうしたら、また看板。「池まで700m」
 山の中の700mですから、けっこうな距離です。しかし、珍しいもの見たさに誰も文句を言わずに雨の山道を歩いていきました。そして20分ぐらいしてようやく池につきました。
 が、どうやら人面魚の機嫌が悪かったらしく見ることができませんでした。
 世の中、そんなに甘くない。

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「子供のよさ」をメインキーワードに実践をしていたころの通信です。

学級通信 ピーターパン 第202号 2月12日

   友だちの「よさ」を認め合う

 友だちの「よさ」を認め合う。
 このことは、学級の人間関係における望ましい状態だと思います。
 ところが、最初からそのような人間関係はできません。やはり教師が働きかけることによって、育つものだと思います。

 一昨日、私にとってさわやかなことが二つありました。
 その1.国語での音読の場面。説明文の「たこあげ」です。
 一斉に音読させた後、「ここを読みたい人?」と聞きました。
 ここで、全員の手が一斉にピンと挙がると嬉しいのですが、この時は7人の子の手が下がったままでした。私の場合、どうしても手を挙げない子の方に目が行ってしまうのです。
 この場合、「どうして挙げないの・・・」などと聞くのは野暮です。音読の時に「自信がない」のですから。誰だって自信のないものは尻ごみします。それならば、教師の役目はその子たちに自信をつけさせることです。

「手を挙げなかった人、立ってごらん。君たちは、少し自信がないだけです。でも大丈夫。
 他の人たちが、君たちの音読のよい点に拍手をします。さあ、読んでみよう。」と言い、その7人の子たちが一人一人、不安そうに緊張しながら読みました。
 音読の後、どの子にも拍手がありました。逆に言うと、私の方で「拍手が絶対にある。そのような子供たちだ。」と信じているから、先のようなことが言えるわけです。
 友達の拍手は、友達を認めることになります。自信のない子たちにとって、それは大きな励ましになります。もちろん、読み終わったあと、「それでいいんだよ」と私も励ましました。

 その2。音楽。無伴奏で「さよなら」を一人一人歌わせたときのことです。
 この音楽や図工、そして体育といった教科は、友達同士が認め合う機会が多いものです。一人一人の発表の場が多いからです。図工の作品も、意味なく教室に掲示しているわけではなく、お互いによい点などを鑑賞させています。
 半分の子たちが歌い終わった時に、残りの半分の子たちに、「君たちが、もう一度聴いてみたい人は誰ですか?」と聞きました。「頭声的発声がきれいに出た子が出てくるだろう」と思ったら、意外にも次のような意見のほうが多かったです。
・「(もう一度聴きたいのは)A君です。前よりもきれいな声が出るようになったからです。」
・「B君です。大きな口をあけて歌うようになったからです。」
 ひとつの尺度に合わせてその人を見るのではなく、個々の進歩を認める考えが出てきたのです。2年生で、このような価値観が出てきたことは驚きでした。

  1年生・・・自分の気持ちをあらわす 
  2年生・・・よいと思ったことをまねる
  3年生・・・グループで相談して決める
  4年生・・・活動を分担して進める
  5年生・・・相手の立場に着目する
  6年生・・・友達のよさを引き出す、他に貢献する

 上の表は、ある小学校の「認め合いの発達段階表」です。(実際には20項目あります。)
 低学年では、まず自分の心の中を表現することが基礎となり、よさを認め合うことを学ぶのが大事ということです。
 これからも、日常の指導の中で、認め合う場面を増やしていきたいと思います。

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