学級通信エッセー集1
【HP移行のためのリバイバル掲載です】
★ 教師2年目。子どもの日記から自分の鈍感さを教えられた出来事です。
子どもに教えられる① 学級通信「ガリバー」100号(H3・9・18)
■ 学級通信に子どもの失敗を・・・
教員になって2年目のことである。
この年、4年生を担任していた私は、学級通信作りに燃えていた。子どもたちの様子はもちろん、授業のこと、私の教育観など、何でもかんでも学級通信につめこんだ。
一日に2枚発行したこともあり、最終的には178号までいったものだった。
ある日のこと、学級内で次のような出来事があった。
朝の会で歌担当の係が、新しい曲をその日からすることになっていた。
曲名は「四季の歌」である。
ところが、次のような歌声が聞こえてきたのである。
「愛を語るハイネのような僕のヘンジン」
係の子どもたちが書いた歌詞の模造紙を見ると、「恋人」が「変人」になっていたのだった。
私は苦笑し、小説「青い山脈」のラブレターの話(「恋しい恋しい」を「変しい変しい」と書き間違えた話)をした。
そして、翌日の学級通信もこのことをネタにして、「小4の子どもたちが『愛』『恋』といった言葉が入った選曲をするのは斬新。異性を意識し始めたのかも」というようなことを書いた。
ところが、いざ配布という段になって私は「カァー」と体中が熱くなった。
歌詞を間違えて書いた洋子の「私のわがまま聞いてください」という題の日記を読んだからである。
【(何が変人よ。変人でわるかったわね)と思った。
だって朝の会でまちがえた からって、みんなまちがえたままうたうんだもん。
わたしは、むねがあつくなるのを感じた。
みんなわたしを見て、わらった。先生もわらった。
それだけならいいけど、先生わざわざ変人のはなしするんだもん。
早紀ちゃんもオルガン係なのに、私の方を見て笑ってた。そりゃ、まちがってかいたのは、私だけど・・・。
私は泣きそうになった。でも、ぐっとこらえた。(以下省略)】
私は自分自身の不明を恥じた。一人の子がこんな思いをしているのに、さらにそのことをネタにした学級通信を出そうとは。
なんて鈍感な教師!
当然、その場で学級通信はボツにした。
また、洋子に対しては次のような返事をするのが精一杯だった。
「まちがいはだれにでもあります。私にも洋子さんにもあります。問題はそれをはずかしがるかどうかです。洋子さんは、だいぶ気にしていますが、ほかの人は気にしていないものです。クラスのうち、大部分の人が昨日のことは忘れていると思います。もう忘れなさい。(といっても気にかかるでしょうが)」
(つづく)
子どもに教えられる② 学級通信「ガリバー」101号(H3・9・19)
■ 共に育つ関係をつくる
子どもとは有り難い存在である。
このような私の返事に対して、洋子は次のように日記に書いてきた。
【先生、昨日の返事、うれしかったです。やっぱり先生に話してよかったです。
むねのもやもやもきえました。
わたしが今まで日記をつづけていられたのは、先生の返事を読みたいからだと思います。
3年生のはじめは、『美恵先生(1・2年の担任)ほどいい先生はいない』と思っていましたが、今は佐藤先生にかわりました。本当に佐藤先生のクラスになってよかったです。】
洋子の日記を読んで、「子どもに教えられるというのは、このようなことなんだな」と感じた。
知らず知らずのうちにしている教師の失敗に対して、子どもたちはそれを失敗と思わず、自分の力で乗り越えようとする。子どもの持つ力の偉大さを垣間見た思いだった。
そんな洋子に対して、次のような返事を書いた。
「このような日記を読むと、私も励まされます。ありがとう。教師も君たち子どもと同じで成長をするものです。特に、私のような若い、経験のあまりない先生たちは、成長しければいけません。洋子さんの昨日の日記を見て、考えさせられる点がありました。
昨日のような日記をどんどんえんりょせず、書いてください。」
よく「教育」は「共育」という言葉に置き換えられる。
これは教師と子どもの関係にもあてはまる言葉だと思う。
お互いに教え合い、そして共に育つ・・・教師にとって、いつも忘れてはならない大切な心構えではないだろうか。
洋子との一件以来、私は子どもに対して、もっと敏感であろうと努めている。表面的な子どもだけではなく、心の動きに対してもである。
それが、私にとり、教師として育つ場であることには間違いない。
(文中の氏名は私以外はすべて仮名です。) (おわり)
これは、私が新採用で3年生を担任し、持ちあがりの4年生の時のことです。この子たちとは、その後、5・6年と続けて持ちあがり、異例の4年連続の担任となりました。
この子たちも、すでに20代半ば。結婚したという子も数名います。
偶然、まちで会うと、一人一人の思い出が鮮明に蘇ってきます。一人一人の個性はいつまでも忘れられないものです。
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★ 教育実習の日々
今まで教育実習生を二人受け持ちました。自分が今まで学んだことを、実習生にはできる限り還元しようと努めました。自分が教育実習生の時に指導してくだ
さった先生方に、そうされたのと同様にです。
これらの学級通信は、教育実習生を受け持った時に発行したものです。
★ 学級通信「トゥモロウ」 130号(平成11年11月4日)、131号(5日)より
教育実習の日々
■その1 教官に怒られる
教育実習の初日のこと。
誰が何の授業をするのか割り振りをすることとなった。
同じクラスに配属された実習生6人で話しあうのである。
そうじの前に、そのことについて放送があった。
「実習生の皆さんに連絡します。授業計画用紙をできるだけ早く出してください。」と。
目の前で子供たちは机を運び始めた。実習生6人は、そうじに行ったらいいのか、計画作りを優先させたらいいのか、わからなかった。
そのうち一人が言った。
「実習生室に行って相談しよう。」
そうじの時間に、授業計画はできた。そして、5時間目の授業に臨んだ。
ところが放課後、担当のY教官に怒鳴られてしまった。
「子供たちのそうじも見ない実習生がどこにある!」
(こっちにはこっちの理由があるのに!)と思ったが、教官が怒った真意をよく考えてみた。
子供たちが学校にいる限りは、何事も子供たちのことを優先すべきという当然の原則がある。私たちはそれを間違えていたのである。何も「今すぐに」授業計画を出すのでは
ない。
「そうじを優先させるべきだった」・・・このことを悔やんでも後の祭りである。
この件で実習生たちはがっくりしてしまった。アパートに帰ってからも怒鳴られたショックが尾を引いた者もいた。
「いやだなあ」と思いつつ、翌日Y教官に接すると、昨日のことには全く触れない。それどころか、子供たちに接するのと同じ笑顔で私たちにも接する。
「ふだんはやさしいが、怒るとこわい」・・・教師にとって大切な資質を私たちにも示してくれた教官だった。
■ 45分間の授業が1分の説明に負ける
怒鳴ったY教官は算数が専門であった。
実習生の中にT君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択した。
そのT君が顔をゆがめる。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのであるが、子供たちは(わからない)という顔をしている。
T君は、さらに説明や質問を加えるものの、説明をすればするほど、子どもたちは困惑したような顔をする。
授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころころ変わったのでは、子供たちは混乱するばかりである。
ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。
やがてチャイムが鳴る。次の授業もある。
やむを得ない。Y教官の登場である。その説明、わずか1分。子供たちが「わかった、わかった」と生き生きとした顔でうなずく。
その様子を見ていたT君。実習生の我々の席に戻り一言。「悔しい」
この時ほど、プロとアマの違いを感じたことはなかった。
■ 気になる子
考えてみると、私が教育実習に行ってから16年も経つが、子供たちの名前はけっこうすらすら出てくる。
担任の先生に「学級委員長がそんな態度でどうする!」とよく怒られていた大川君(仮名)。私の家庭科の授業で子どもがなかなか集中せず「まさとし先生がかわいそうだった」と言ってくれた仲田ヨシノさん。(仮名)いつも、ひょうきんなことを言って、実習生たちを笑わせてくれた西君(仮名)・・・・といったようにである。
ところが逆に名前は忘れてしまったが、その子の発言や表情を特に覚えている子がいる。
その女の子は、実習生の誰に対しても心を開くことがなかった。それどころか、何か話しかけると怒ったりするものだから、実習生の中には、「私、あの子には話しかけたくない」と言う者も出る始末だった。
その子はマラソンが得意だった。ちょうど実習期間中にマラソン大会があり、その子は2位に入った。
廊下でその子に会った時に、私は「2位になってよかったね」と声をかけた。そうしたら、その子はニコリともせず、「(1位になれない)イヤミだ、イヤミだ」とつぶやいて怒るように走って行った。
私もムッとしたが、その場はそれで終わった。
実習最後の日、子供たちが実習生全員に書いた手紙をもらった。その子がどんなことを書いているか興味があった。読んでみると・・・。
「マラソン大会のことで、声をかけてくれてありがとう。わたしはなかなか自分から先生たちと話ができません。だからとてもうれしかったです。」
実習生に対するすねた態度は、「自分にも声をかけてほしい」というサインだったのである。
子供たちは、誰でも先生と話したがっている。そして、先生にどんな態度をとっても、子供たちは教師の声がけを待っているものなのだ、ということを感じさせてくれた子であった。
■ 担任の思い
中学校の教育実習はわずか1週間であった。
そのころは「荒れる中学生」という言葉がマスコミをにぎわせ、校内暴力の嵐が全国に吹き荒れていた。大学の教官からは、「あなたたちが教壇に立つ頃は、小学校高学年で校内暴力があるかもしれない。」と脅かされたりしたものであった。
さて、その中学校は校内暴力はないものの、あまりよいとは言えない状態であった。
3年生の学級に配属されたが、まず担任の話を聞こうとしない。帰りの会など、平気で席を立ったり、変な声をあげたりしている。
担任の女の先生が、「静かにしなさい!」と声をふりしぼっても、子供たちには関係なし。日直の「さようなら」という声で、教室は飛び出すように出ていってしまう。私たちはビックリしてしまった。
その様子を見たのは実習初日。放課後、担任の先生との打ち合わせがあった。
さぞかし、「困ったものです」といった言葉が出てくるのかと思った。ところが、その先生は開口一番、次のように言われた。
「あの子たちは、一人一人見るととてもいい子たちです。ただ、集団になると歯止めがきかなくなるだけです。」
確かに一人一人と話をするととても感じがよい。担任の言っている意味が、わずか1週間であったが、よくわかった。
「子供たちを信じる」・・・たとえ、どんな状況でも担任である限り、このことは大切にしなければいけない。そんなことを感じさせてくれた中学校の教育実習だった。
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