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2016.04.16

学級通信エッセー集1

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ 教師2年目。子どもの日記から自分の鈍感さを教えられた出来事です。

子どもに教えられる①   学級通信「ガリバー」100号(H3・9・18)


■ 学級通信に子どもの失敗を・・・

 教員になって2年目のことである。
 この年、4年生を担任していた私は、学級通信作りに燃えていた。子どもたちの様子はもちろん、授業のこと、私の教育観など、何でもかんでも学級通信につめこんだ。
 一日に2枚発行したこともあり、最終的には178号までいったものだった。

 ある日のこと、学級内で次のような出来事があった。
 朝の会で歌担当の係が、新しい曲をその日からすることになっていた。
 曲名は「四季の歌」である。
 ところが、次のような歌声が聞こえてきたのである。

 「愛を語るハイネのような僕のヘンジン」

 係の子どもたちが書いた歌詞の模造紙を見ると、「恋人」が「変人」になっていたのだった。
 私は苦笑し、小説「青い山脈」のラブレターの話(「恋しい恋しい」を「変しい変しい」と書き間違えた話)をした。
 そして、翌日の学級通信もこのことをネタにして、「小4の子どもたちが『愛』『恋』といった言葉が入った選曲をするのは斬新。異性を意識し始めたのかも」というようなことを書いた。

 ところが、いざ配布という段になって私は「カァー」と体中が熱くなった。
 歌詞を間違えて書いた洋子の「私のわがまま聞いてください」という題の日記を読んだからである。

【(何が変人よ。変人でわるかったわね)と思った。
 だって朝の会でまちがえた からって、みんなまちがえたままうたうんだもん。
 わたしは、むねがあつくなるのを感じた。
 みんなわたしを見て、わらった。先生もわらった。
 それだけならいいけど、先生わざわざ変人のはなしするんだもん。
 早紀ちゃんもオルガン係なのに、私の方を見て笑ってた。そりゃ、まちがってかいたのは、私だけど・・・。
 私は泣きそうになった。でも、ぐっとこらえた。(以下省略)】

 私は自分自身の不明を恥じた。一人の子がこんな思いをしているのに、さらにそのことをネタにした学級通信を出そうとは。
 なんて鈍感な教師!
 当然、その場で学級通信はボツにした。
 また、洋子に対しては次のような返事をするのが精一杯だった。

「まちがいはだれにでもあります。私にも洋子さんにもあります。問題はそれをはずかしがるかどうかです。洋子さんは、だいぶ気にしていますが、ほかの人は気にしていないものです。クラスのうち、大部分の人が昨日のことは忘れていると思います。もう忘れなさい。(といっても気にかかるでしょうが)」
                                          (つづく)


子どもに教えられる②  学級通信「ガリバー」101号(H3・9・19)

■ 共に育つ関係をつくる

 子どもとは有り難い存在である。
 このような私の返事に対して、洋子は次のように日記に書いてきた。

【先生、昨日の返事、うれしかったです。やっぱり先生に話してよかったです。
 むねのもやもやもきえました。
 わたしが今まで日記をつづけていられたのは、先生の返事を読みたいからだと思います。
 3年生のはじめは、『美恵先生(1・2年の担任)ほどいい先生はいない』と思っていましたが、今は佐藤先生にかわりました。本当に佐藤先生のクラスになってよかったです。】

 洋子の日記を読んで、「子どもに教えられるというのは、このようなことなんだな」と感じた。
 知らず知らずのうちにしている教師の失敗に対して、子どもたちはそれを失敗と思わず、自分の力で乗り越えようとする。子どもの持つ力の偉大さを垣間見た思いだった。

 そんな洋子に対して、次のような返事を書いた。

「このような日記を読むと、私も励まされます。ありがとう。教師も君たち子どもと同じで成長をするものです。特に、私のような若い、経験のあまりない先生たちは、成長しければいけません。洋子さんの昨日の日記を見て、考えさせられる点がありました。
 昨日のような日記をどんどんえんりょせず、書いてください。」

 よく「教育」は「共育」という言葉に置き換えられる。
 これは教師と子どもの関係にもあてはまる言葉だと思う。
 お互いに教え合い、そして共に育つ・・・教師にとって、いつも忘れてはならない大切な心構えではないだろうか。

 洋子との一件以来、私は子どもに対して、もっと敏感であろうと努めている。表面的な子どもだけではなく、心の動きに対してもである。
 それが、私にとり、教師として育つ場であることには間違いない。 

 (文中の氏名は私以外はすべて仮名です。)                  (おわり)

 これは、私が新採用で3年生を担任し、持ちあがりの4年生の時のことです。この子たちとは、その後、5・6年と続けて持ちあがり、異例の4年連続の担任となりました。
 この子たちも、すでに20代半ば。結婚したという子も数名います。
 偶然、まちで会うと、一人一人の思い出が鮮明に蘇ってきます。一人一人の個性はいつまでも忘れられないものです。 

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★ 教育実習の日々

  今まで教育実習生を二人受け持ちました。自分が今まで学んだことを、実習生にはできる限り還元しようと努めました。自分が教育実習生の時に指導してくだ
 さった先生方に、そうされたのと同様にです。
  これらの学級通信は、教育実習生を受け持った時に発行したものです。

★ 学級通信「トゥモロウ」 130号(平成11年11月4日)、131号(5日)より

    教育実習の日々

■その1  教官に怒られる

 教育実習の初日のこと。
 誰が何の授業をするのか割り振りをすることとなった。
 同じクラスに配属された実習生6人で話しあうのである。
 そうじの前に、そのことについて放送があった。
「実習生の皆さんに連絡します。授業計画用紙をできるだけ早く出してください。」と。
 目の前で子供たちは机を運び始めた。実習生6人は、そうじに行ったらいいのか、計画作りを優先させたらいいのか、わからなかった。
 そのうち一人が言った。
「実習生室に行って相談しよう。」
 そうじの時間に、授業計画はできた。そして、5時間目の授業に臨んだ。

 ところが放課後、担当のY教官に怒鳴られてしまった。
「子供たちのそうじも見ない実習生がどこにある!」
 (こっちにはこっちの理由があるのに!)と思ったが、教官が怒った真意をよく考えてみた。
 子供たちが学校にいる限りは、何事も子供たちのことを優先すべきという当然の原則がある。私たちはそれを間違えていたのである。何も「今すぐに」授業計画を出すのでは
ない。
 「そうじを優先させるべきだった」・・・このことを悔やんでも後の祭りである。

 この件で実習生たちはがっくりしてしまった。アパートに帰ってからも怒鳴られたショックが尾を引いた者もいた。
 「いやだなあ」と思いつつ、翌日Y教官に接すると、昨日のことには全く触れない。それどころか、子供たちに接するのと同じ笑顔で私たちにも接する。
 「ふだんはやさしいが、怒るとこわい」・・・教師にとって大切な資質を私たちにも示してくれた教官だった。

■ 45分間の授業が1分の説明に負ける

 怒鳴ったY教官は算数が専門であった。
 実習生の中にT君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択した。

 そのT君が顔をゆがめる。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのであるが、子供たちは(わからない)という顔をしている。
 T君は、さらに説明や質問を加えるものの、説明をすればするほど、子どもたちは困惑したような顔をする。

 授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころころ変わったのでは、子供たちは混乱するばかりである。
 ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。

やがてチャイムが鳴る。次の授業もある。
 やむを得ない。Y教官の登場である。その説明、わずか1分。子供たちが「わかった、わかった」と生き生きとした顔でうなずく。
 その様子を見ていたT君。実習生の我々の席に戻り一言。「悔しい」
 この時ほど、プロとアマの違いを感じたことはなかった。

■ 気になる子

 考えてみると、私が教育実習に行ってから16年も経つが、子供たちの名前はけっこうすらすら出てくる。
 担任の先生に「学級委員長がそんな態度でどうする!」とよく怒られていた大川君(仮名)。私の家庭科の授業で子どもがなかなか集中せず「まさとし先生がかわいそうだった」と言ってくれた仲田ヨシノさん。(仮名)いつも、ひょうきんなことを言って、実習生たちを笑わせてくれた西君(仮名)・・・・といったようにである。

 ところが逆に名前は忘れてしまったが、その子の発言や表情を特に覚えている子がいる。
 その女の子は、実習生の誰に対しても心を開くことがなかった。それどころか、何か話しかけると怒ったりするものだから、実習生の中には、「私、あの子には話しかけたくない」と言う者も出る始末だった。
 その子はマラソンが得意だった。ちょうど実習期間中にマラソン大会があり、その子は2位に入った。
 廊下でその子に会った時に、私は「2位になってよかったね」と声をかけた。そうしたら、その子はニコリともせず、「(1位になれない)イヤミだ、イヤミだ」とつぶやいて怒るように走って行った。
 私もムッとしたが、その場はそれで終わった。
 
 実習最後の日、子供たちが実習生全員に書いた手紙をもらった。その子がどんなことを書いているか興味があった。読んでみると・・・。
 
「マラソン大会のことで、声をかけてくれてありがとう。わたしはなかなか自分から先生たちと話ができません。だからとてもうれしかったです。」
 
 実習生に対するすねた態度は、「自分にも声をかけてほしい」というサインだったのである。
 子供たちは、誰でも先生と話したがっている。そして、先生にどんな態度をとっても、子供たちは教師の声がけを待っているものなのだ、ということを感じさせてくれた子であった。

■ 担任の思い

 中学校の教育実習はわずか1週間であった。
 そのころは「荒れる中学生」という言葉がマスコミをにぎわせ、校内暴力の嵐が全国に吹き荒れていた。大学の教官からは、「あなたたちが教壇に立つ頃は、小学校高学年で校内暴力があるかもしれない。」と脅かされたりしたものであった。

 さて、その中学校は校内暴力はないものの、あまりよいとは言えない状態であった。
 3年生の学級に配属されたが、まず担任の話を聞こうとしない。帰りの会など、平気で席を立ったり、変な声をあげたりしている。
 担任の女の先生が、「静かにしなさい!」と声をふりしぼっても、子供たちには関係なし。日直の「さようなら」という声で、教室は飛び出すように出ていってしまう。私たちはビックリしてしまった。
 
 その様子を見たのは実習初日。放課後、担任の先生との打ち合わせがあった。
 さぞかし、「困ったものです」といった言葉が出てくるのかと思った。ところが、その先生は開口一番、次のように言われた。

「あの子たちは、一人一人見るととてもいい子たちです。ただ、集団になると歯止めがきかなくなるだけです。」

 確かに一人一人と話をするととても感じがよい。担任の言っている意味が、わずか1週間であったが、よくわかった。
 「子供たちを信じる」・・・たとえ、どんな状況でも担任である限り、このことは大切にしなければいけない。そんなことを感じさせてくれた中学校の教育実習だった。

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