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2016.04.17

学級通信エッセー集2

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

有田和正先生との出会いが私の教師人生を決めました


先達に学ぶ  学級通信「トゥモロウ」51号(平成11年6月21日発行)より

■ 「先達に学ぶ」ということは、どのような場合でも大切と言われる。これは、教師の世界でも同様である。
  有田和正氏。筑波大学附属小学校教諭、愛知教育大学教授を歴任されて平成11月の3月にご退職された。私にとっては、授業そのものについて目を開かさせてくださった大恩人である。

■ 昭和60年。教師になって1年目。氏の名前を知った。実践を多く公開されているらしい。著書もたくさん。だから、雲の上にいる人という印象だった。

■ 教師になって2年目。わざわざ宮古に講演に来るという。「絶対見逃せない。」
  当時江刺に住んでいた私は車で3時間以上かけて、話を聞きにいった。子どもを見る目の大切さ、子どもの意欲をどう育てるかについて熱弁をふるってくださった。それもユーモアたっぷりにである。まさに名講演。「自分も何かをしたい」という気持ちにさせられるようなすばらしい講演だった。

■ 教師になって3年目。多くの著書を読んでいくうちに、「やはり氏の授業をみなければならない。氏が鍛えた子どもたちを見なければならない。」と感じ、友人と東京の有田学級に参観に出かける。
  2月。夜の新幹線から外を見ると雪であった。
  氏の授業は9時からである。全国的に有名な氏のことである。学校では授業できない。参観者が数百名にのぼるからである。だから、当日は7時に会場に行った。それでも私たちより早く来ている人が20名ほど。
  授業が始まってからは、子どもたちの熱気ある発表ぶりに圧倒されっぱなしであった。3年生の社会科。教師が問いを発するたびに、次々と自説を主張する。「教師に対しても論争を挑んでいる・・・」そんな感じに映った。
 「どうしたら、あれほど表現力のある子たちが育つのだろう」
 「どうしたら、あれほど調べてくる子たちが育つのだろう」
  感動と疑問が大きく、大きく残った。

■ それから授業で、有田氏を追うことを始めた。
  氏が授業したとおりに資料を使い、同じ問いをする。まずは真似をすすることから入ったのである。しかし、有田学級のような子どもたちにはならない。当然である。下地が違うのだから。
  そこで、子どもたちの実態に応じて自分なりに変化を加えてみた。問いもオリジナルのものを加えてきた。
  少しずつではあるが、社会科では楽しい授業ができるようになってきた。現在でも、社会科は自分が特に力を入れている教科の一つである。
  
■ 自分がたくさんのことを学ばせてもらったお礼に有田先生に手紙を書いたことがあった。
  すると、和紙に毛筆のご返事をいただいた。これには恐縮してしまった。
 超多忙な生活の中から一教師への返信を出していただけるとは・・・。
  後で知ったことであるが、有田先生は一日に十数通は手紙を書いているとのこと。頭が下がる思いである。

  教師として一つのテーマを持つことです。それも、より具体的なものがいいです。たとえば、発問だったら、発問をずっと研究していけばものになります。がんばってください。

  こう書かれていた手紙は、私にとっての宝物になった。

■ 有田先生に学んだことは大きかった。「人から学ぶ」ことの大切さを実感できたからである。
  そして、有田先生のお話を初めて聞いた小学校に我が娘を通わせている。これも一つの縁と感じている。

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★ 礼状を書くことの大切さを岩手の大先輩から学んだエピソードです

■学級通信「カルチェ・ラタン」第150号(H6・3・8)より

  一通の礼状より ①

 私は元来筆マメな方ではない。特に大学時代は、手紙を出すことなどまれであった。
 はなはだしい時には、手紙をもらったのに返事をしないということもあった。今考えるとずいぶん失礼なことをしたものである。

 今は別である。きっかけは教え子からの手紙である。やはり、卒業した子供たちからの手紙は特別である。その子たちと一緒にすごした日々が鮮明に浮かんでくる。だから、何よりも優先して手紙を書く。

 また、仕事上でも同様である。それは、こんな話を本で読んだからである。

  自分が感動した本や講演があったら、著者や講演者に対して礼状を書くといい。何も返事を期待するためではない。その本や講演の内容をもう一度自分なりに整理するためである。
 
 このことを聞いて「なるほど」と思った。
 本を読む。感動する。勇気がわく。そして行動する。
 しかし、日常はそれほど変わらない。また、いつもの生活に戻る。
 本を読んだあと、自分なりに考えを整理しておけば別なのであろう。しかも、読書ノートをつけるよりも、礼状の方が相手意識がある分、思考も深まるであるかもしれない。
 ということで、講演会や授業等で大変勉強になった時に、礼状を書くことにした。ただし、数はそれほど多くはない。ひんぱんに講演会や参観授業ができるわけではないからだ。年に2~3回、礼状を出すくらいであった。
 しかも、相手は著書がかなりある先生や全国的に有名な先生が多かった。つまり、著名な実践家ほど勉強になることが多かったのである。(当然であるが) 礼状を書いたものの、返事など期待するのは失礼にあたると考えていた。

 その時の講演もそうだった。
 研修会で熱く講演をしてくださった方がいた。若い頃夜遅くまで教材分析をした話、分厚い実践レポートを意欲的に書いた話等、刺激が多かった。
 すでに還暦をすぎた方で、現在はある市の教育長をなさっているという。
 けっこういろいろな講演会に参加した私ではあったが、その日の講演は特に胸にしみた。何か自分が教師として「もっと頑張らなければいけない」と勇気がわいたからである。
 たまたま講演資料の中に、住所があった。さっそく礼状を書く。講演内容が自分にとってどんな点が参考になったかということを整理してである。
 「書きたい」という思いよりも、「書かざるをえない」という気持ちからであった。人間、そんな気持ちになる時もあるのだ。
 時間を忘れて夢中で書いた。1時間以上は書いただろうか。便箋はいつのまにか5枚を越えていた。
 一気に書き上げたら5枚になっていたというのが正しいのかもしれない。ただ、その時も返事など期待していなかった。                     (次号へつづく)


■学級通信「カルチェ・ラタン」第151号(H6・3・9)より

 一通の礼状より ②

 礼状を出して1ヶ月。
 いつものように日常は過ぎていった。私自身も礼状のことは忘れていた。
 そんな時、「書籍小包」のはんこが押されたB5版の封筒が我が家に届いた。中にはケースに入った本が一冊。「私の教育論」という題名のその本は、私が礼状を出した先生から送られてきたものだった。
 本を追うようにして、翌日、その先生の手紙が届いた。
 市の要職にあられる方からの返事である。ご多忙な中を、講演を聞いた一教員からの手紙にわざわざ時間をさいてくださったのである。
 しかも葉書ではない。丁重なお便りが便箋3枚に綴られてあった。
 ありがたいことである。再び胸が熱くなった。

 その内容にも驚いた。私の手紙のことを評価した文面であった。
 その手紙に私は恐縮してしまった。と同時に、この手紙に感動した。そして、人間の誠意ということを学んだ。送られてきた著書を一気に読んだことは言うまでもない。

 「根を養えば樹おのずから育つ」

 その先生の応接間には、この書の額が飾られてあるという。
 教育に携わるものとして、含蓄のある言葉だと思う。
 その著書にも、その言葉の意味が書かれていた。
「子供の生き方の根本を深く耕せば、子供は自己開発していくものだ」という。

 我々はとにかく、目に見える「樹」の部分を変容させようと試みる。しかし、それだけではいけない。
 あくまでも、見えない「根」の部分をどう変容するかまで考えなければいけない。
 その「根」の部分は何か。どんな栄養を与えなければいけないか。
 これらは、教師生活を続けながら探っていくべきことだと思う。

 このエピソードから3年(注:現在は10年)たった。この先生とは会う機会がなかった。おそらくこれからもないかもしれない。
 人との出会いはそういうものであろう。
 しかし、この感動や刺激は今も心の中で燃えている。そして、別の形ではあるが、同じようなことを担任している子供たちにも与えることができたらいいと思っている。

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★ 子供の心を知る

 何げない教師の行動で子供が傷つく場合があります。この通信には子供の心の見方を深めることとなったエピソードです。「子供から学ぶ」というのは事実です。

★学級通信「トゥモロウ」 第151号(H・11・11・30発行)

              子供の心を知る

■私は4年生担任が3度目である。
 最初はもう13年前であり、その子たちはもう23才である。
 今の4年生と同じように、学級集会をよく行ったり、子供たちの発想でおもしろい係活動をしたものだった。学級通信をひんぱんに書くようになったのもこの時からであり、この年は2学期からの発行だったが、最終的には178号まで出すことができた。

■そんな4年生担任の時の思い出で、特に忘れられないことがある。それは、自分にとり、苦い思い出である。
 人間は自分の失敗や傷ついたことは、いつまでも印象深く残っているものである。私も同じで、その時の日記の文や子供の表情までも思い出すことができる。

■どんな件だったか忘れたが、学級の子供たちにあることで聞いたことがあった。忘れてしまうことだったから、それは今考えると、ささいなことだったに違いない。
 でも、「何も知らない」という子どもたちに業を煮やした私は、次のように問い詰めた。
「知らないということはおかしい。この中に誰かウソをついている人がいる。」
 ぐるっと学級のみんなを見た。皆、背筋をピンと伸ばしている。そんな中で、良子(仮名)と目が合った。その表情に何となく違和感を覚えたが、彼女にかかわりがないことは確かだった。
 結局、誰からも「知っている」ということは出てこなかった。後味の悪さだけが残った。

■ところが、今度は私が問い詰められる番となった。翌日、良子の「私はそんなに悪い人か」という題の日記を見たからである。
 
 【先生は、「この中にだれかウソをついている人がいる」と言って、ジロッと私の方を見 た。私はなにも関係ない。私はそんなに悪い人なのか。】

 思わず良子の顔を見た。そういえば、昨日のあの違和感はこの心のあらわれだったのか。何気ない私の所作が、彼女の心も傷つかせたのか・・・。

■私は自分の心を見透かされたような気がした。とにかく子供たちから事実を突き止めよう、悪い点は直そうといつのまにか問い詰めようとしていたのではないか。疑いを持って、子供たちに接していたのではないか。
 良子の日記はそのことに対する抵抗だったのだ。
 自分のしてしまったことは取り返しがつかない。日記におわびのコメントは書いたものの、この時のことがずっと心にひっかかっていた。

■それから3週間ぐらいしてからだろうか。私は、「魔の日」という題の学級通信を出した。その日の自分の実践がうまくいかなかったのを素直に書いたものだった。
 翌日見た日記の最後に、良子は次のように書いてきた。

【今日の「あすなろ」(学級通信の名前)を読むと、私と同じように先生もいろいろなことをなやんでいるということがわかりました。】

 スーと肩の力が抜けるような気がした。もちろん、私の心の中のわだかまりも抜けていった。
 自分の何気ない一言や動作にもっと敏感になること、もっと子供の前に自分の素直な気持ちを出すこと、そんなことを良子から学んだ気がした。

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