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2016.05.31

5月終了

月末の振り返りである。

・あっという間の5月だった。学校自体は1学期最大の行事である運動会に向かって全校一丸となった進んだ。学校が変われば運動会も変わる。本校のよさを感じた運動会でもあった。

・自分の立場で4月~5月中旬ごろまでは事務量や夜の会議、休日の出動が多いものである。それらも何とか終了。退庁時刻もようやく前任校と同じぐらいになってきた。

・執筆活動では、ようやく本の次回作に着手。今月上旬におおよそのプロットができて、こつこつと書き始めている。今のところ3割ぐらいまで執筆。自分はいったん途切れると再開にエネルギーを注いでしまうので、書き続けることが大事だと考えている。

・修論については、下旬からようやく重点的に取り組んだところ。4・5月でどんどん書く予定だったが、遅れ気味。さらに講師役も4・5月に今年のあれこれをインプットしておく予定が、不十分だった。次々と到着する正式な講師派遣依頼状やメールを見て、少し焦っているが、挽回するしかないであろう。

・読書量の少なさは反省点である。平日、日々の疲労が蓄積して、土日に体調回復の時間が必要になってしまっているという現実もある。これらを今後どうするか、自分の課題である。

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2016.05.30

未来社会

先週の土曜日は東北大学での「情報リテラシーセミナー」に参加させていただいた。
3月から3回連続である。

その中で「Microsoft: Productivity Future Vision」という動画を知った。こちら
未来社会だが、もう十数年後にはこのような社会になっているのではないか…と本当に思ってしまう。
それぐらい情報社会の変化は激しいと感じる。

今の子どもたちは、20代になったらこのような社会で生きていく。
日々の仕事ばかりに目を注いでいると、このような視点はなかなか出てこない。
自分は何ができるのか考えたセミナーであった。

そういえばかつて自分が5年生を担任していた時に、未来の自動車を考えさせたことがあった。「運転手がいなくても自動で走る車」「前の車にぶつからない車」といったことを子どもたちは発表した。十数年前のことだ。
今は、それらが実用化され、テレビで宣伝されている。
きっと先のような未来社会が現実に訪れるのだろうな…。

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2016.05.29

アメリカ研修記10

【ホームページ移行のためのリバイバル掲載です】

2 オレゴン州の教育(1993年の報告)

(1) オレゴン州について

 オレゴン州は、アメリカ合衆国の北西部に位置している。州の面積の半分がダグラスモミ等の森林で覆われており、その他にも海岸あり、平原ありとたいへん自然に恵まれている。年平均気温は12度と気温は温和であり、草木は1年中緑色を保っている。

 州の経済は、林業・農業・観光業といった豊かな自然環境に依存した産業を中心に発展してきた。最近は、海外からの投資が活発となり、ハイテク産業を中心とした製造業が成長し、産業構造の多角化が図られてきた。オレゴン州への投資の魅力としては、豊富で低廉なエネルギーと水、質の高い労働力、環太平洋諸国との貿易の玄関口、州政府をはじめとする行政機関等の積極的な企業誘致製作等が挙げられる。日本との貿易もさかんであり、穀物・木材・パルプ等を輸出し、自動車およびその部品・電気機器等を輸入している。

 オレゴン州の日本への関心はきわめて高く、各種団体による日本関係の行事、フェスティバル等がよく開催されている。また、日本語教育の面では質量とも、国内では有数のレベルである。

(2) オレゴン州の教育の現状

 先に述べたように、アメリカ合衆国の具体的な学校運営は、地区あるいは学校そのものに委ねられている。オレゴン州も例外ではなく、同じ州内の学校でありながらも、一日の時間数、単位数が異なる。つまり、地区の実態に合わせた教育が可能となるわけである。ただ、我々が見た範囲においてはオレゴン州は二つの特徴を持っているように思われた。

 第1は、柔軟性に富む教育を行っているということである。

 中学校は高校では、数多くの選択教科が用意されており、生徒はその中から自分の能力や興味に応じて自由にカリキュラムを組めるシステムの学校が多い。また、同じ教科でも何種類かのレベルの違った授業があるので、能力に応じた教育が実践されている。小学校においても、専科の時間を除いては、教科の授業時間は教師の裁量によって決めることができる。だから、教える内容によって弾力的な運用が可能となるわけである。

 この柔軟性は、公立初等・中等教育だけにとどまらない。一般社会人でも、コミュニティカレッジに通って単位を取得している人も数多くいる。特に、ポーランド・コミュニティカレッジのシルベニア校の学生の平均年齢は32才という。学びたいときに学べるシステムであり、生涯教育が浸透していることの証左であろう。このほかにも、日本にはないシステムとして、ホームスクーリングの制度がある。これは、親が自分の子に学校教育と同じ内容の教育を施すものである。州全体の1%がこの制度を利用しているという。このような権利を認めているのも大きな特色である。

 第2の特徴としてあげられるのは、社会的弱者に対して教育を受ける権利を保障しているということである。

 たとえば障害児教育。障害を持った子どもは、就学年令に達すれば、障害の程度に関わらず、その学区の小学校に入学することができる。そして学校は、その子どもが学習できる環境整備を図る義務がある。地区で持っているスクールバスの中には、車いすのまま乗降できる装置を備えているものもある。社会全体が人権の保障に理解を示しているこの国ならではのシステムである。

 また、ここ数年増加しつつある海外からの移民者に対する教育制度も整えられている。その子たちは英語が話せないので、ESL(English as Second Language)と言われる英語を特別に教える教育が実践されている。様々な国から移民してきた子たちなので、ESLの教師の他に他国語のアシスタントがつく場合もあるという。

 そのほかにも、クリスティースクールという情緒障害児を扱う学級もあった。この学校は、アルコールや麻薬などのために家庭が崩壊したり、家族から性的、肉体的、精神的虐待を受けて情緒障害になった子たちが寮生活をしながら学んでいた。アメリカ社会特有の背景がそこにはあるが、そのような子たちにも援助の手をさしのべているわけである。

(3) 地区ごとに特色のある教育

 先に述べたように、アメリカ合衆国では、同じ州内の同じ地区の学校でも、その様子は異なっていることが多い。
 ただ共通して言えることは、自分の地区の実態に合わせた教育を行っているということである。
たとえば、ポートランド市リッチモンド小学校の日本語教育を我々は参観した。世界でも難しい言語とされている日本語をなぜ教えるのかという問いに対する答えは、「最初は他の小学校でスペイン語教育を始めた。そうしたら、『次は日本語教育を』と親が希望するようになったからだ」というものだった。このようなところにも、地区の特色を生かしていく姿勢が伺える。

3 21世紀の教育に向けて

 州では、2010年までという長期的展望にたった教育改革を、1991年からスタートさせた。その改革の内容には、現在180日前後の授業日数を段階的に増やし、最終的には220日にすること、自己学習力・思考力・表現力を高めること、コンピュータ教育をさらに充実させること等が盛り込まれていた。州教育でも、その改革を遂行するために、各学校で訪問しているが、実際の現場では、古い型の教育と新しい型のものが混在しているとのことであった。

 ただ、この教育改革にも大きな問題が一つある。州の教育予算が、十分ではないということである。財源確保のために消費税導入の投票がホームスティー終了後にあったが、75%の反対で導入は見送られた。その改革も予算の規模が縮小されたら、小さな形でやらざるを得ないという話であった。

 しかしながら、限られた予算の中で、各地区の特色を生かしながら教育改革を進めようとしているオレゴン州の教育から学ぶ点は多かった。日本も新指導要領の全面実施にあたり、新しい教育を模索中である。
 今後の我々の教育実践の参考にしたい。

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2016.05.28

アメリカ研修記9

【ホームページ移行のためのリバイバル掲載です】

オレゴン州の教育事情(1993年のもの)

1 アメリカ合衆国の教育

  アメリカ合衆国の教育制度は州ごとによって異なる。我々が訪れたオレゴン州の教育制度が、そのまま他の州にあてはまるわけではない。そこで、オレゴン州の教育事情を述べる前に、アメリカ合衆国全体の教育について記す。

 アメリカ合衆国では、教育は州の責任事項とされ、各州がそれぞれ独自の教育制度をとっている。また、州は、教育に関する権限のうち、かなりの部分を地方に委託している。具体的に、初等・中等学校をどのように編成するかといった場合、多くは、地方教育行政機関(学区、school districts)が決定してきた。だから、地域により、様々な形の初等学校、中等学校が作られているわけである。
 義務教育に関する規定も州によって異なっており、オレゴン州は6~18歳までが義務教育であった。

 公立初等・中等学校の教育課程の作成は、州および地方の責任事項であり、連邦政府の教育省は関与しない。教育省の教育に対する権限はさほど大きくなく、主な役割としては、各州の教育事情の調査・研究そして教育についての提言などに限られている。
 州は、州の教育法などにより、公立学校で教えるべき教科等について大まかな規定を設けている。地方学区は、その規定に基づいて、学区内の公立学校で教える標準的な教育課程を作成する。各学校は、それらの指針に基づいて、教育課程を編成をするわけである。

 教育財政制度に目を向けると、公立初等・中等学校の教育費のほぼ全額が公費で負担されている。公費は、連邦、州および地方学区の三者で構成されている。以前は、地方学区が教育費の主たる負担者であったが、最近は州の負担率が学区のそれを上回るようになった。また、連邦政府の支出が減少傾向にあるため、州の負担額は増加し続けている。
 さらに、地方の教育財政は、住民の財産税に大きく依存している。そのため、児童・生徒一人あたりの教育費は州によって大きな格差がある。
 そのために、安定した財源の確保および格差是正のための財政制度の確立が急がれている。

 このようにアメリカ合衆国の教育制度は、地方分権的な特徴を備えており、その特質は、国土が広大で国民の構成や文化が複合的な状況に適合するものとして受け入れられてきた。そのため、他の先進諸国と比べると、極めて多様性と柔軟性に富むという特徴を持っている。このことは、我々24人のレポートを見てもわかることであろう。
 また、常に変革を指向していることも大きな特徴である。特に近年は、国民の意識の高まり、移民の増加、社会の価値観の多様化、国際競争力との関連等の要因が教育改革の方向にも反映されている。

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2016.05.27

33年前の大地震

昨日は「5.26」。
「3.11」「1.17」と同じように自分にとっては忘れられない大地震の日である。

ネットにも日本海中部地震の記事が掲載されていた。こちら

記事にも書いているように、小学校関係者には大きな出来事となった。
秋田に自分がいた頃だ。
自分もそうだったが、当時の秋田では、「津波は太平洋岸のこと。日本海とは関係ない」と思っていた。実際に秋田では地震があっても津波の被害はほとんどなかった。
それだけに、当時の小学校の関係者も地震が起きたから津波がくるとはあまり意識しなかったであろう。
当時学生だったが、教員を目指していたから、「自分も同じ判断(予定通り海に近づいた)をしていたかもしれない」と感じた。

それだけに子どもたちを守ることの重大さをこの5.26から学んだ。
自分の安全教育の原点です。

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2016.05.26

コスト意識

毎月読んでいる「教職研修」6月号の特集は、「学校に余裕を生み出す管理職のコスト意識」というもの。
このような内容は、学校で話題になることは少ない。
それだけに刺激的な話が書かれている。
いくつか印象に残ったものを抜き出す。

・非効率な時間は、学校のコスト比重の高い人件費等を無駄にしていることと等しい。
・1回の授業あたり約4万円(つまり生徒一人当たり約千円)かかっている。あなたの授業は1回4万円とれるものになっているだろうか。
・あなたに1時間あればA先生にはできない、もっと別の付加価値の高い仕事ができるのであれば、そちらのほうに時間を割くべきだ。
・人は何かに忙しくしていると「仕事をしている」と考えます。
・(12万円で)それだけの価値を生み出す意味がある会議かどうかを吟味する。

自分の仕事に照らし合わせても反省すべきこと、これからの仕事で心掛けることがこれらの文言の中にある。
目の前の事務に夢中になって「仕事をしている」という感覚になってはいけない…これは今の職になってから痛感していることである。

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2016.05.25

教え子と偶然の再会

昨日は他校で会議があった。
1時間ほどで終了し、帰りに何げなく、その学校の靴箱が目に入ってきた。

見ると、「実習生〇〇〇〇」という名札がある。9年前に担任した子の名前だ。
最後に担任した学級の教え子の一人である。
「もしかして、教育実習に来ているのか?」と思い、慌てて戻って副校長に確認する。
すると、確かに教育実習で来ているという。

お願いをして、職員室で呼び出してもらい、久しぶりに再会する。
小学校の時と同じ笑顔でやってきた。背も私と同じぐらい高くなっていた。

聞くと中学校の数学教師を目指しているとのこと。
「いい教師になれるよ」と励ましがっちりと握手をして別れた。
教師として嬉しいひとときだった。

それにしても、その日に会議がなければ、そしてその中学校に行かなければ、そして、帰りに目がくつばこにいかなければ再会ができなかった。
これは偶然ではあるが、必然のような感じもする。
出会うべき必然性があったのである。

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2016.05.24

日本庭園

テレビ番組で、日本庭園のランキングの話が出ていた。
取り上げられていたのは、島根県の足立美術館。調べてみると、安来市にある。人口4万人足らずにある美術館だが、来場者はかなり多いようだ。
実際のランキングもこちらにあるように、堂々たるもの。

先の番組でも、その日本庭園のすばらしさが紹介されていた。
・日本画の世界をイメージした日本庭園
・木が成長して日本庭園の様子が変わるので、そのための交換の木々をストックしていること
・バックとなる山も買い取っていること
・管理している庭師さんの仕事ぶり…
日本庭園自体には自分は興味はそれほどないが、一度は見たくなるような番組であった。

ちなみに先の日本庭園ランキングに岩手はないのか…と見ていくと毛越寺がランキングされていた。
我が家から車で30分あまり。再度見てみたくなった。

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2016.05.23

アメリカ研修記8

【旧HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ 質素

 「豪邸」に住んでいるアンであるが、その生活ぶりはきわめて質素である。
 まず食べ物は絶対に残さない。
 彼女は私の母親と同じくらいの年齢である。私の母も食べ物は絶対に残さなかった。食べ盛りの時に戦中・戦後でちょうど食糧難だったことが影響しているのであろう。

 それに対してアンはおそらく食糧難を経験してはいないだろう。
 それでも食べ物に厳しい。いつだったか、チキンの丸焼きを食べたことがあった。そうしたら、骨が見えるところまで肉を一つも残さず食べるのである。それから、スープなどが残っていてもまず捨てることはない。いくら少量でも、冷蔵庫に入れて、また飲むのである。
 外食はまずしない。
 私がホームスティー中は一度も行かなかった。必ず自分で作った。時には、2日分の食事を作っておいて、2日連続で食べることもあった。ただ、苦手な食事の時は私にとって、地獄の責め苦のようなものだったが・・・。
 お菓子にしても同様で、ワッフルやクレープなど自分で作って食べていた。

 食べ物だけではない。
 とにかく一緒に買い物に行った時には、安くていい物をさがしていた。ドッグフードにしても、ベッドのマットレスにしても、自分のセーターにしてもである。
 彼女と一緒にして、「ムダだなあ」と思ったことは一度もなかった。
 電気にしても必要な分しかつけない。
 天気のよい日にはバスを使わずに学校に歩いていく。
 お金のかかる趣味を持っているわけではない。ちなみに、趣味はウオ―キング、テニス、スイミングである。テニスとスイミングは週に1回ずつクラブに行っているが、かかる費用は合わせて5000円ほどである。

 ただ、彼女はケチというわけでもない。
 立派な服はたくさん持っているし、ソファーやテーブルなどの家具類は、かたくて丈夫で、しかも見た目もいい。
 つまり、ずっと長く使うものにはお金を惜しみなく注いで、安くあげれるものは安く済ますという精神のようである。これは実に合理的である。
 彼女の暮らしぶりを見て、我が暮らしぶりを考える。実にムダが多い。貯金もなかなかできないわけである。
 ライフスタイルを少し考えなければ・・・・。

★ あいさつ

 日本とアメリカの文化の違いを特に感じるのはあいさつの時である。
 アメリカでは、まず初対面の時に握手をすることが多い。「ナイス・ミート・ユー」と言って。「はじめまして」というのは、「ハウ・ドゥ・ユ・ドゥ」と中学校以来思っていたが、あまり使わないようである。
 その握手の時に、必ず相手の目を見ていること。目を見ていないと、逆に失礼にあたるそうである。
 というわけで、アメリカにいる間、たくさんの人と握手をすることになった。

 それから知らない者どうしでも街角ですれ違う時には、「ハイ!」と声を掛け合う。
 すべてのアメリカ人がそうするというわけではなく、歩いていて目と目が合った時に、自然に「ハイ!」という言葉が出てくる人が多いようである。
 はじめは、一方的に声をかけられる方だったが、ホームステイーをして2週間もするとこちらから自然に声が出るようになった。

 こう考えると、アメリカ人のあいさつは我々日本人よりは接触度が高い。
 ただ、私にはアメリカ式の「だきつく」「ほっぺたにキスをする」というあいさつは見ていてとてもなじめなかった。幸いなことに、私はそのどちらもされることはなかったが、アンが同僚の男の先生を家に招いてさよならをする時に、その先生のほっぺたにキスをする時には、思わず目をそむけてしまった。
 恥ずかしかったからではない。生理的に受け付けなかったのである。
 日本式のあいさつが一番と考えた。
 やはり私は日本人なのである。

★ ホームパーティー

 ホームステイ―中に、アンの息子のスティーブンのバースディーパーティーがあった。
 スティーブンは誕生日を迎えると23才。オレゴン大学で英文学の勉強をしている。背がとても高く(190cm)、いつもニコニコしている好青年である。
 オレゴン大学は、アンの住んでいるポートランド市から160km離れたユージーン市にあり、姉のベッツィと一緒に住んで、大学に通っている。

 さて、バーティーの日。この日は、すでに結婚してサンフランシスコに住んでいる長女のジェニファーもかけつけてきた。聞くと、全部で12人集まるという。
 ほとんどが初対面の人で、しかも英語、英語の嵐なので少し気が重かったが、アメリカ人の若者たちのパーティーを見るのも悪くないだろうと気を取り直して参加した。

 パーティーの開始時刻は7時。その10分前からポツポツと人が集まり始めている。でも、アンは全然料理を作り始めない。テーブルの上には、グラスと皿をきれいに並べたのにである。
 集まった人は、皆リビングに行って話をしている。
 各自ビールやら、ジンやら、ワインなどをそれぞれ飲んでいる。食べるものはクラッカーだけ。私のほかにも、初対面の人どうしがいるみたいで、ホッとする。日本のことについて、いろいろと聞かれるので、答えているうちに1時間半がすぎてしまった。

 みんなが席についたのは8時半。それから料理とワインが出てくる。といっても、豪華な料理というわけではない。2種類のパスタとサラダだけである。なるほど、これならば7時になっても準備する必要はないわけである。
 すぐにみんな食べ終わるのかと思ったら、なかなか食べ終わらない。量が多いからではない。みな、会話を楽しんでいるのだ。本当によくしゃべる。

 だいたい食べ終わったところで、ケーキに23本のローソクが立てられる。そして、型通りの「ハッピーバースディー」の歌と共にスティーブンがローソクを吹き消す。
 あとは、そのケーキを食べるのだが、これまたなかなか食べ終わらない。なぜか。そう、例によって会話を楽しんでいるからである。

 気がつくと、みなカードをスティーブンに渡している。私は、ミニだるまをプレゼントした。「あなたが幸せになった時に、片方の目を入れてください」というメッセージを添えて。

 結局、パーティーが終わったのは11時半。4時間半もあの料理とケーキだけで楽しんだわけである。
 つまり、こちらのパーティーは、料理よりも会話や雰囲気を楽しむのが第一なのだ。我々がバースディーパーティーを聞いて連想するのは、豪華な食事とプレゼントであろう。ところが、彼らにはそのどちらもない。
 実に質素であり、そして気軽である。

 いつだったかアンにスクールカウンセラーのホームパーティーがあるから、そこで夕食をとろうと言われて、行ったことがあった。
 集まった人は約20人。各自が一品ずつ料理を持ってくる。ある人はピザを用意し、ある人はサラダ。また、別の人はコーヒーやケーキを用意するといった具合。あとは、各自が好みに合わせて選び、会話を楽しむわけである。
 なるほど、これなら手軽である。

 会合というと、すぐにどこかのお店の予約を連想するけど、時にはこのような会を開くのもいいものだ。もっとも、そのためには、かなり広いリビングが必要だけど・・・。

★ 散歩

 このホームステイ中に覚えた楽しみの一つに散歩があった。
 ポートランドでは、10月でも晴れの日が多く、雨が降った日は5~6日ぐらいしかなかった。曇りの日も少なく、雨が降らない日はだいたいが晴れだった。
 特に土日は5回あったが、すべて晴れだった。この休日に、散歩するのが何よりの楽しみになった。

 何が楽しいのか。周囲の風景を見るだけで楽しいのである。
 まず、一つ一つの家が美しい。そして、実に個性的である。形もそうであるが、壁の色もそうである。
 しかも家を飾りつける小物にもこっている。これは、私自身が自宅を新築したばかりであったから、興味があった。

 そして、それらの家を引き立たせてくれるのがポートランドにはあった。
 庭と木々である。どの家も必ずといっていいほど、庭を持っていた。鮮やかな緑色の芝生である。
 庭があるのとないのでは、家の雰囲気も変わってくる。庭があると、そこには当然木々と花々が植えられることになる。それがまた、家と調和されるのである。

 こんな美しいところを、しかも快晴の中できれいな空気を吸うことができる。・・・こちらの人々が散歩好きになるのも当然だ・・・そう思った。
 事実休みの日になると、ウォ―カーがどっと増える。しかも見知らぬどうしでも、目と目が合うと、「ハイ!」とあいさつする。心と心が通い合うわけである。
 サンキュー、グッドウォーキング!

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2016.05.22

アメリカ研修記7

【旧HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ 日本料理?でもてなす

 ホームスティをして12日目。先週末に泊まりに行ったフランクが来るという。ホストマザーのアンに、「先週楽しませてくれたお礼に、今日は私が夕食を作りましょう。」と申し出た。
 アンは例のオーバーな表情で、「本当!それはすばらしい!」と言い、さらに「楽しみだわ!」と付け加えた。ただ、料理をするだけなのだが、大いなるリップスティクと感じた。

 問題は何を作るかである。日本料理のための材料は、ほとんどスーパーに売っている。豆腐だって、味噌だって、ちゃんとポートランドのスーパーに売っている。
 アメリカ人は、日本料理と言えばすぐに「スシ」を連想する。フランクもかなり食べたことがあるらしく、「テッカマキ。マグロ」などと口にする。
 そこで寿司はやめて、イージークッキングをすることにした。「釜飯・野菜炒め・シューマイ」である。この組み合わせ、どこが日本食だと思われるかもしれないが、「日本ではポピュラーな食事」ということで、勝手に「日本食」にさせてもらうことにした。

 さて、どれも調理は簡単。釜飯は「かまめしの素」を入れてご飯を炊くだけだし、野菜炒めも調味料と醤油で味付けするだけ。シューマイにいたっては、電子レンジで3分間待つだけである。
 それでも、二人とも大いに気に入ってくれた。特にアンおばさんは、野菜炒めを「グッドテイスト!」とほめまくってくれた。(その割にはなかなか量が減らなかったが)

 私も一つ一つ説明をした。
「これらは深いポットで作るご飯で、日本では有名なのです。」
「これらは野菜を炒めたもので日本では人気があるのです。」
 フランクも喜んでくれて自分の名前を日本語で書いてくれという。日本だったら私の字の下手さ加減がばれるが、幸いここには日本語がわかる人は誰もいない。そこで、大きく「フランク」とカタカナで書いたら、「ビューティフル」と言ってくれた。

 いずれ日本料理のおもてなしは大成功。自分も久々のご飯に喜んでたくさん食べることができた。これからも、日本食を紹介するという名目でどんどん料理しようという気になった。
 ちなみに第二弾はカレーライス。これまたイージークッキングであった。

★ 忘れ得ぬ人 ジェフ

 アメリカ合衆国の有名大学ですぐに思い浮かぶのがハーバード大学である。
 私がホームスティーをしている時、身近なところにハーバード大学卒の人がいた。ジェフである。
 彼はアンの妹ベッツイのボーイフレンドで、私がホームステイをしてから1週間ほどして、アンの家に遊びに来た。背はアメリカ人にしては低いものの、立派なヒゲを生やしている。29才のコンピュータプログラマーである。

 その彼が、「マサ、今度の金曜日、ダウンタウンに連れていってあげよう」と言う。(まあ、ハーバード大学卒業の人と話すのも最初で最後だろうから・・・)と思い、興味津々で「OK」と返事をした。

 さて、その金曜日、彼はボロボロの車で来た。
 まあ、車はそうでも、もしかしたら食事は高級レストランだろうと予想していた。ところが、車は薄暗い街角でストップ。あたりは、高い工場が並ぶようなところである。
 とても高級レストランがあるようには見えない。

 やがて、ある工場の入り口に。人々の歓声が聞こえてくる。
 中に入ると、そこは倉庫を改造したビヤホールだった。床はコンクリートのまま。
 そして、テーブルが所狭しと並べられている。メニューはビールとピザのみ。でも、空いている席がないほどのにぎわいである。中には立ちながらビールを飲んでいる人もいるほどである。

 何とか席についてから話し始める。
 彼とは話しやすかった。彼の英語が聞き取りやすいからである。あまりにも流暢に英語を話されると聞き取りにくい。単語と単語がくっついて発言されるからである。
 ところが、彼は大事な単語の前で一呼吸おく。だからわかりやすい。

 エクアドル旅行の話、今の仕事が忙しいという話、二つの大学に通った話、アメリカの教育問題のこと、そして恋人のベッツイのこと。
 あっという間に1時間がすぎ、彼が「行こう」と言った。「今度は別の酒場だろう」と思ったら、何と本屋に行くとのこと。

 ポートランド一の本屋ということだったが、確かに大きい。東京の八重洲ブックセンターの比ではない。県立図書館ぐらいの規模である。
 本も高いところまであるので、人々は脚立で本をとって、そこで立ち読みをしている人もいるぐらいである。各国の本のコーナーは数十ヶ国あり、日本のコーナーにも数百冊。

 ジェフ。ハーバード大学卒業といえども庶民的。しかも、知的な香りのする人であった。

★ 写真

 映画やテレビでこんあシーンを見たことはないだろうか。
「アメリカで働くエリートビジネスマン。エレベーターを颯爽と降りると、彼はオフィスに向かう。ドアをあける。彼の目に真っ先に飛び込んでくるのは家族の写 真・・・」

 日本人だったら照れがあって仕事場で家族の写真を掲げている人は少ない。
 ところがアインソワ―ズ小学校ではそのような人が珍しくない。
 ポーリン先生。ちなみにこの先生がアインソワ―ズ小学校では、一番若いように見えた。
 その彼女の教室の机の上には、ハズバンドの写真。
 それだけではない。教室の壁面にも、スキー姿のツーショット写真。堂々としたものである。
 彼女だけではない。他の先生方でもやはり家族の写真をかざっている人が何人もいた。

 そもそもスティー先のアンの家もそうだった。
 すべての部屋が写真だらけである。
 たとえば、私がよく使った部屋(6畳ぐらい)には、本棚の中に5枚もの大きな写真が飾られている。そして、机の上にも様々な6枚の写真。それが珍しくないのである。
 一番多く貼られている場所は冷蔵庫。とっての部分を除いてはほとんど写真で埋め尽されている。おかげで、サンフランシスコにいる娘のジェニファーに会わないうちに、すっかり顔を見たような気になってしまった。
 
 その国民性を反映してか、店には写真立てを売っているところが実に多い。私もその気になって、写真立てを買った。
 しかし、帰国後に教室ではそれが使われることがなかった。やはり、国民性の違いなのだろうか。

★ これが普通の家?

 ホームステイーの初日、アンの家についたのは夜の9時半ごろ。
 どんな家だろうと思って入っていく。外側から見ると、ニ階建ての普通の家だろうなと思って入った。
 ところが中に入ってみると思いのほか広い。
 次から次へと部屋が出てくる感じなのである。
 そして、「ここがあなたの部屋だよ。」と言われて、「ワンダフル!」と言ってしまった。というのは、部屋の窓から遥か遠くにダウンタウンの夜景が見えるからである。
 う~ん。毎日夜景を見ながら眠りにつくことができるというのは何というぜいたく!
 
 アンの家は次のような部屋からできていた。
■ リビングルーム・・・20畳ぐらい
■ テレビルーム・・・6畳
■ プライベートルーム・・・6畳が4部屋、8畳が1部屋、12畳が1部屋
■ ディナールーム・・・6畳
■ キッチン・・・12畳(食事もできる)
■ バスルーム(トイレ・シャワー・洗面所がセット)・・・3つ
■ 地下室・・・1部屋とランドリー
■ サンデッキ
■ 車が二台入るガレージ

 日本でもこれぐらいの家となるとなかなかないであろう。もし、あったら人はそれを「豪邸」と言うであろう。
 ちなみに海外研修の年に建てた我が家は、アンの半分の広さしかない。いや、3分の1だろうか。
 これが、このあたりで立派な家かというと、そうでもない。
 ごくごく普通の家らしい。
 試しに近所を散歩してみたら、アンの家よりはるかに大きい家が次から次へと出てくる。むしろ、アンの家が普通より小さく見えるほどである。

 アメリカの教師たちの収入は、私たちとそんなに変わらない。しかし、アンはこんな大きな家に住んでいる。
 さて、そうならば値段が気になるところである。聞けば、現在でも我が家が建てた価格の6割でこのような家を建てることができるとのこと。
 日本の物価は高いとポートランドに来て思っていたが、この時ほど高いと思ったことはなかった。

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2016.05.21

すばらしい運動会だった

「教師が目立たない運動会がよい運動会」とある本に書いていて共感した記憶がある。
今日はまさにそのような運動会。用具係やリレー担当といった必要最小限の時だけ教師が目立ったが、それ以外は子どもたちが実に目立った運動会。本当にすばらしい運動会だった。

「教師ががんばっているなー」と感じる運動会は逆の見方をすれば、それだけ事前指導が不足していたとも言える。事前指導を行い、子どもたちの力を伸ばしたのであれば、子どもたちに任せることができるのである。

もう一つ。保護者さんのマナーぶりもよかった。新しい学校ということで、今までの課題を事前にお聞きしていた。しかし、朝の整列やシート敷きは整然としたものだった。

教師と子どもと保護者で創り上げたすばらしい運動会。懇親会までの間に写真と御礼を学校ブログに気持ちよくアップさせていただいた。こういう更新は嬉しいものである。

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2016.05.20

「薫風」を感じる

現任校は学区内にある。
ここでしたかったことの一つは、「自転車通勤」である。
4月から5月上旬は寒い日もあり、さらに外勤する機会も多そうだったので、1度もできなかった。
5月の今週は学校にずっといるので「天気がよかったら…」とチャンスをうかがっていた。

一昨日からさっそく自転車で通勤。
自動車とは違って見える風景が違う。
同じ通勤路であっても新鮮である。

大学時代、当時の研究の教官が、「自動車通勤をやめて自転車に変えたら、今まで見えてなかったものが見えてきた。道端の花、受ける風…いいものですよ」といつだったか話されていたことを思い出した。
確かに今の季節である「薫風」を感じている。

前にも現任校にいた時、4月から5月で1ケ月以上続けたことがあったが、梅雨になってやめてしまった。
(その後はずっと自動車)。
さて、今回はどれぐらい続くか。時々でもいいから風を感じてみたいと思う。

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2016.05.19

探したら身近だった

「がっちりマンデー」で株式会社の「デンソー」が出ていた。
大きな工場内での自動車の部品製造に多くのロボットが正確な部品を作りだしている様子は、今の工業を表していて壮観だった。それと共に、人づくりにも力を入れている様子も映し出していた。

「5年生の社会科でちょっとした教材になるかもしれないなー」と感じて探してみた。
そうしたら、本市の隣町に岩手工場があるのではないか。そういえば、富士通の工場が別企業に代わる話を聞いていたが、それがデンソーだったんだなあと納得した。(すぐそばにトヨタの工場もあり、子どもたちは社会科見学で学んでいる。)

さらに、教育にも関わりがあることも知った。こちらはどのような活用ができるのか。想像してみるだけも楽しくなってくる。

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2016.05.18

「学校運営」誌4月号

教頭・副校長向けの雑誌(といっても40ページほどの薄い雑誌)が毎月1回配付される。会費を納めているので、定期的に送られてくる。4月号がようやく届いたので見てみると、今回は執筆者が豪華だった。
本や雑誌原稿を読んだことのある筆者が続々である。

特に「視点」に書かれている4人の方の原稿のうち、ご講演を聞いたことがある方が3人。これはこの雑誌にしては、珍しいことである。

その中で玉置崇先生のメッセージが特に印象に残った。

●私がいう元気な管理職の定義は、「守りに終始せず、攻めの学校経営をしている人」。

転勤して1ケ月半。守りには入っていないが、十分に攻めているとも言い難い。どんな攻め方をしようかと感じた。

また、小野寺正利先生はこんなメッセージを書いていた。

●明るい顔をして、「どんと来い!トラブル」と受けて立つ姿勢を見せる義務が、副校長や教頭にはあるのだと思うのです。

まさにその通りであろう。現任校で大きなトラブルはまだないが、いつでもそういう姿勢でいようと思っている。

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2016.05.17

書く機会は学ぶ機会

今年度は、「社会科教育」誌に連載をしている。
連載といえば、「好きな内容を」書いている印象をもつかもしれない。
しかし、今回自分がいただいているテーマは「アクティブな授業づくり」である。
「授業づくり」の中で、課題設定や活動場面などは今までもいろいろな原稿を書いていて、ある程度のメドがついて執筆をしていた。

しかし、授業づくりの中で欠かせない「評価」については、原稿について書いてきたのは、他の項目よりは少ない。
それでも外すわけにはいかないので、改めて今までの少ない原稿を見直したり、文献や書籍を取り寄せて、自分なりにまとめた。
これは自分にとっては貴重な機会となった。今まであれこれ考えていたことが、少しではあるが形となってまとめることができたからである。

若い頃、原稿依頼が来た時には、関連書籍を買い集め、原稿料以上の費用を使っていた。それが自分の学びとなった。今回はそれと同じ。書く機会は学ぶ機会である。

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2016.05.16

PTAウィーク

先週は5日間の出勤のうち4日間がPTAに関わる仕事が入っていた。

・市PTA連合会総会
・学校のPTA役員会
・区PTA連合会総会
・学校のPTA常任委員会

これらが毎日勤務後を中心に夜行われた。
まさにPTAウィークであった。

今の職は学校でのPTAの事務局を担う。今までの学校でもそうだったが、今年度は特にPTAの業務について時間を割いている。
時間を割くことは、他の業務の時間が少なくなるということであるが、メリットもある。それは、保護者とのつながりをもつということである。
これは学級担任ではない自分にとっては大切なことである。保護者の声を聞くという点でも大切だ。各種委員会では、保護者の皆さんの考えを知ることができる。それは結果的に子どもたちのためのものになると思いながら、聞いている。

幸い、本校も保護者の皆さんは学校に対して協力的である。担当としてこれは有難いことである。

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2016.05.15

アメリカ研修記6

【ホームページ移行のためのリバイバル掲載です】

★ 車社会

 アメリカは車社会である。車がないと何もできないと言っても過言ではない。
 私は徒歩で通勤したが、その20分間、人とすれ違うことはほとんどなかった。普通の住宅街を通っていくのにである。すべての移動は車、車、車である。

 子供たちの多くはスクールバスで通っている。日本のように、数kmの範囲から子供が通っているわけではない。
 何しろ広い国である。歩いて通う子供たちは限られている。自転車で通ったりしたら、危なくてしょうがないので中学生もスクールバスである。
 このスクールバスは、他の車両より優先されている。ずいぶん、渋滞するなあと思ったら、スクールバスが止まっていたのである。
 なんだ、追い越せばいいのにと思うが、スクールバスが止まっていたら、後続車も対向車もストップすることになっているのである。
 なるほど、このようにして子供の安全を守っているわけである。

 さて、車社会というのは日本も同じであるが、いくつかの違いがある。
 まずフリーウエイ(日本の高速道路みたいなもの)。アメリカでは、至るところにフリーウエイがあって、すぐに乗り入れることができる。
しかも日本との違いは、お金が不要ということ。文字通り、フリーウエイ(ただの道)である。
 それからガソリンが安い。日本のおよそ3分の1(当時)くらいである。車検代もあまり費用がかからないので、維持費は安いものである。
 だから、教師たちも平均のサラリーは私たちよりやや低めであっても、いい車に乗っている。
 んー、何とも羨ましい限りである。

 おもしろいと思ったのはガソリンスタンド。人件費を浮かすために、セルフサービスのところが多い。私もぜひガソリンを入れるのをこの手でしてみたかったが、アンおばさんはそういうガソリンスタンドに
はいかなかった。残念!(1993年時。やがて日本にもこの手のガソリンスタンドが出てきて、今は当たり前になっている。)

★ ガレージセール

 10月2日。この日は研修先のマリーハースト大学から、各自ホームスティー先に連れていってもらうことになっていた。
 私のスティ先のアンは、ラストから2番目に大学に来た。そして、いきなり大学生の息子たちのところに連れていくという。
 息子のスティーブンがいるところは、約160km離れたユージーンというところである。着いてから、近くの公園へスティ―ブンの運転で行くことになった。
 川の流れを見て、しばしの休憩。おなかもすいたので、帰ることとなった。柔らかな日差しが差し込み、快適なドライブである。

 ところが、急にアンが「ストップ!」と言う。そして、何やら看板を見つけて早口でしゃべっている。そしたら、今度はスティーブンがきた道と違う方向に運転する。いったい、どこに行くのだろう。
 何やら探しているようである。やがて、一軒の家の前で車を止めた。そこでは、ガレージセールをしていたのである。この言葉は耳にするけど、見るのは初めてだった。
 本当に自分の家のガレージに、自分の家で不要になったものをきれいに並べて売っているのである。(当たり前のことであるが)
 しかも安い。子供の服は1ドルぐらいだし、本は50セント。おもちゃも似たようなものである。
 高いものはイス、それもアンティックの立派なもので5ドルぐらいである。日本だったらすぐに買っている!

 翌日の日曜日もアンは、ガレージセールの看板を見つけ、4軒もまわった。
みな近所である。そこで、すてきなスタンドをアンは6ドルで買った。そして、さっそく職場に持っていき、自分のオフィスで使っていた。

 この気軽にリサイクル精神。我が家では不要になれば、小さなものはもえないゴミに、大きなものは市の処理場に持っていく。もったいないと思いつつ「でも、これを使う人もいないだろうな」と考えるからである。
 このリサイクル精神は、アメリカ社会全体に根付いている。その仕組みもきちんとできている。そういう点でアメリカに学ぶ点が多い。

★ 初のテレビ出演

 「10月14日、夜の7時30分にミーティングをするから集まること」という連絡が、オレゴン団5班班長の梶本さんからあった。何やら教育関係者のミーティングらしい。日本だったら、教育委員会とのあいさつと考えればいいのだろうか。
 それにしても、夜の7時30分とはちょっと遅いのではないか。会場までは、スティー先からはけっこう離れている。

 そんな疑問を感じながら、指定されたコンベンションセンターに向かう。班の4人がそろうと、梶本さんが行っている小学校の先生に連れられて、エデュケーショナルサービスセンターに向かう。
 会場に入っていくと、何やら10人ぐらいの人がデイスカッションしている。彼らの前には傍聴席が数多くあり、「まるでテレビのスタジオみたい」と思っていたら、何と本当にテレビカメラが3台あるではないか。

 すると、案内役の人が来て説明をする。
 7時30分から、このデイスカッション番組は地元の教育テレビで放送されるとのこと。ということは・・・・テレビに出るのだ!まあ、でも顔が映るだけだからたいしたことはないか。それにローカルテレビだし。

 ということで、我々4人は、次週に一回会うことや、ホスト先のレセプションの話をしていた。
 8時をまわり、案内役の人が紹介をするという。スタジオに入り、演説台の前に4人が立つ。
「この人たちは、日本の若手教員たちです。このポートランドで1ヶ月、学校で研修をしています。私たちから記念品を贈ります。」
と言われてプレゼントをいただいた。

 これで終わりだと思ったら、「何か一言を」と言う。そしたらグループリーダーの梶本さんがノートを開いて、あらかじめ書いておいた英文を読み上げた。
「さすが、グループリーダー。こういうこともあろうと準備したんだ。抜け目ない。」と思っていたら、「他の者も一言を」とのこと。
「えっ、何も考えていない!」
と思っても時は止まらない。マイクの前に立たざるを得なかった。考えながらのスピーチは日本語でも難しいのに、英語なんて!
 でもとにかく話し始めた。

  私はサトウマサトシです。アインソワ―ズ小学校に行っています。
  日本では5年生を担任しています。
  アインソワ―ズ小学校の子たちはとても元気がいいです。また、ホストマザーと学校の先生方は私にとても親切です。
  私はとても幸せです。サンキュー。

 実に簡単な英文である。でも、これがその瞬間に考えることができた精一杯のスピーチだった。

 ホストマザーのアンに「最終のバスで帰るから遅れるよ」と電話すると、スピーチの様子をテレビで見ていてくれて、「あなたの英語、とてもよかったよ。すばらしかったよ。」と言ってくれた。お世辞でも嬉しかった。
 電車に乗り、最終のバスを40分待って、家についたのは夜の10時ごろ。市の中心部に帰る旅行者と自分は違うんだ、普通の家にいる「住人」なんだということを改めて感じた。

★ 教会とオぺラ

 このアメリカ研修で、マラソンの他に初めて経験したことがいくつかある。
 日曜日の教会通いとオペラ鑑賞である。
 アンにホームステイの初日に、「こちらの人と一緒の生活を送りたい」と言っていた。そこで、クリスチャンであるアンと一緒に教会に通うことになったわけである。
 といっても全てのクリスチャンが教会に通うというわけではなく、一部だそうである。町のほとんどの店は日曜日の午前中は閉店である。これは、教会へ行きやすくするための配慮もあると思う。

 その教会。祭壇で話している司祭の言っていることは英語だから、ほとんどわからない。ただ、みんなで集会活動の呼びかけみたいに話したり、美しい賛美歌を歌っているうちに、「1週間に一度、1時間でもこのような心が洗われる時間を持つことは貴重だな」と感じてきた。

 私の日常生活を振り返ってみて、そのような時間はないに等しい。だから、この経験をしてからは、「自分なりに己の人生を考える時間を30分でも確保するようにしよう」と考えるようになった。

 オペラ鑑賞は、ホームステイに入る前、英会話の研修をしている時に、キャロライン先生が、「夜、何で楽しみましょうか」と言った時に出てきたものである。日本でもなかなか見ることができないと思い、行くことにした。
 「カルメン」である。チケットは53ドル。高い席は87ドル、安い席は27ドルからあるという。
 この値段が高いのか安いのかはわからない。ただ、森下さんの話しだと、「日本で見たら、1~2万円はするだろうな」ということなので、きっと安いのであろう。

 さて、いざオペラ。フランス語なので、全然言葉の意味がわからない。でも大丈夫。ステージの上の部分に英語のスーパーが出てくる。まわりの観客もそれを見ながら鑑賞している。
 印象に残っているのは、ストーリーよりも、主演男優、主演女優の迫力のある歌声である。あの広いホールに響きわたるのであるから、すばらしいものである。
 そして、それを支える観客たち。立って「ブラボー!」と拍手するあの雰囲気の中で、自分も貴族に近づいた気持ちになった。

 ただ、恥ずかしかったことが一つ。
 キャロライン先生が、「カジュアルな服装でいい」というので、みんなでラフな格好で出かけた。
 ところが、シアターに来てみると、ほとんどがフォーマルな服装をしているではないか。中には黒のタキシードと白のドレスのカップルもいる。
 わが身はトレーナーにチノパン。 早くライトが消えてほしいと思ったものである。

★ 絵葉書

 研修中の楽しみの一つが葉書書きである。ポートランドやワシントンDC、ボストンの名所の絵葉書を買っては、せっせと書いたものである。
 一通に費やす時間はおよそ10分間。わずかの時間だったが、葉書を書いている時間だけは、日本にいるような気がして幸せな気分に浸ることができた。
 特に家族である妻と娘には毎日書いた。書いていて落ち着くことの他にも次のようなメリットがあることを知った。

その1 アメリカの名所の写真が自分の財産として残る
 絵葉書は、プロの写真家によって、写されたものである。当然、美しいものが多い。それが手元に残ることはやはりいいものである。

その2 毎日の日記の代わりになる
 毎日、指定された様式の研修日誌というのは書いていた。これは主に、教育に関わるものを書くものである。それに書かないような「文化雑感」的なものを葉書に書くことにより、日々の日記の代わりのようなものになっていった。

 しかも一通あたりのコストはわずか40セント(当時43円ぐらい)。エアメイルなのに、日本の葉書代とほとんど変わらないのである。
 クラスの5年1組の子供たちにも一通一通書いた。ほとんどの子がはじめてのエアメイルだったので、大いに喜んだ。
 私の父母、兄弟、そして同僚、友人たちにももちろん書いた。最終的には200枚ぐらい書いたことになる。

 今改めて手元に残った絵葉書をながめる。その日、その日のことが鮮明に蘇ってくる。
 旅に出たら絵葉書ー習慣になりそうである。

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2016.05.14

アメリカ研修記5

【旧HP移行のためのリバイバル掲載です】

第2章  アメリカ文化を丸ごと体験

★ お酒

 ホームスティー前日に、研修のガイド役のミセス・ホンマが印象的な話をしてくれた。
 我々の中にビール好きの人がいて、「ホームスティー先の人がお酒を飲まない人だったらどうしよう」と話したのがきっかけである。

 ミセス・ホンマは次のように言った。
「そもそもアメリカでは、お酒を飲む飲まないを話題にすることはない。日本では、よく『昨日は飲みすぎて・・・』と言ったりするが、ここではナンセンスなこと。」
 その時には、その意味がよくわからなかった。
 「アメリカ人は、あまりお酒を飲まないのか?」と思った。
 しかし、店では数多くのワイン、ビール、ウィスキーが売られている。しかも安い値段で。ビールなど、日本よりもかなり安い。
 そもそもポートランドのダウンタウンを夜歩くと、多くの人が楽しそうにビールを飲んでいるではないか。

 その疑問はすぐに解けた。
 実際にホームスティーをして、お酒がどんな意味を持つのかがわかったのである。
 彼らにとっては、それは実に気軽な飲み物なのである。たとえば、家庭でおいしい料理を作る。それに合うお酒をたしなむ。ただし、量は多くない。つまり、お酒も料理の一つとして味わうわけである。
 だから、酔うという感じはないし、まして酔ってベロベロになる人などほとんどいないのである。
 これは店で飲む時も同じである。

 我々日本人にとって店で酒を飲むことはやはり特別の意識が強い。(むろん、日常という人もいるだろうが)
 一つの店に入って、普通2~3時間は費やす。二次会、三次会となるともうかなり酔ってしまう。
 もちろん、車の運転などできない。費用もかかる。毎日の生活の中ではちょっとした行事である。
 時には大事な会合だってある。酒が入ると、初対面の人でも緊張がとれて仲良くなれるという理由から、お酒が利用されることもある。

 彼らアメリカ人にとってお酒は、我々にとってのコーヒーと同じようなものと感じた。

★ プレゼント

 日本にいる時に、ホームスティー先が決まるはずだったが、なぜか私は決まらなかった。
 そして、そのままアメリカに行かざるをえなかった。
 そこで、スティー先や学校へのプレゼントには何がいいか、いろいろと迷った。スティー先の家族が何人で、何才ぐらいの人がいるかわからなかったからである。
 そこで、どんな人でも受け入れそうな無難なものをいくつか買い揃えていくことにした。

☆ おみやげリスト

 ■スティー先へ
  ・きり絵の壁掛け  ・浮世絵コースター  ・浮世絵ハンカチ  ・風鈴   ・岩手の絵葉書

 ■小学校へ
  ・きり絵の壁掛け  ・子供の作品(絵、習字、手紙、折り紙) ・そろばん  ・風呂敷  ・各種ガイド(市のもの)  ・日本の教科書  ・日本の地図

 ■両方に共通
  ・日本のおもちゃ(けん玉、おはじき、こま、竹とんぼ、万華鏡)

 これらの他にスティー先の人に日本食を食べさせようと、しょうゆやインスタントみそ汁、のり、本だし等を持っていったものだから、行きの荷物は重いものとなった。
 もっとも帰りも今度は日本のおみやげで重くなったが。

 さて、アメリカに行き、ようやくスティー先が決まった。
 アンという女性の家であり、3人家族ということがわかった。ただし、二人の子供たちは、今100kmはなれたユージーンという市で、大学の講師と大学生をしているとのことである。
 そこで、アンには壁掛け、ハンカチ、絵葉書を、講師である娘のベッツイには風鈴を、息子のスティーブンにはコースターを送ることにした。
 
 3人にプレゼントをして驚いたのは、渡された瞬間にもうパッケージをはがして、中身が何かを見ているところである。
 日本だったら、「あけていい?」と聞くか、あるいはプレゼントした人が、「どうぞ、開けてください」と言うところであるが、すぐに中身を見るのがこちらの礼儀のようである。
 そして、3人ともおおげさに喜んでくれた。
 「オー、ワンダフル」「ビューティフル」というように。

 特に、ベッツィは、「プリティサウンド!」と言って、風鈴をさっそく部屋のどこにかけようか動き回っている。
 ここがいいと言って、すぐにネジを差し込み始めた。そして、風鈴を付けて、「リンリン」と一緒に歌っている。
 ちなみにベッツィは25才。25才の女性に200円の風鈴では申し訳ないと思ったが、どんなささやかな物でも、こちらの人は大喜びすると知った。

 プレゼントのもらい方にも文化の違いが出るものである。

 その後、ベッツィに2度会ったが、そのたびに、「マサ、リンリン、グッド!」と言われた。たった200円なのに、恐縮する思いだった。

★ ポートランドマラソン

 生まれて初めてマラソン大会に参加した。おそらく、自分の人生の中でもこの一回限りであろう。
 といっても、42.195kmを走ったわけではない。5マイル(約8km)のレースである。

 9月26日。ポートランドについてから5日目がそのマラソンの日である。
 前年度もオレゴン団は、このマラソン大会に参加していたので、今年も全員で参加することになった。
 全体の中での順位ははるかに遅い方である。とてもここには紹介できない。それなりにトレーニングしている方々が参加しているのだから、当然である。

 さて、このマラソン大会が市民のものであるということを感じさせるシーンがいくつかあった。
 まず、家族総ぐるみでのマラソン参加が多いということである。たとえば、お父さん・お母さん・赤ちゃんといった組み合わせて走る家族もいる。
 お父さん、お母さんはいいとして、どのようにしてベイビーが走るのか。何と、マラソン専用のベビーカーがあるのだ。
 乗るところは、普通のベビーカーと同じだが、車輪が違う。回転しやすいようになっているし、タイヤも少し大きくなっている。これを押して、他のランナーと同じスピードで走るわけである。
 その様子に、「この赤ちゃんもランナーか?」と聞くと、「そうだよ。未来のね!」とユーモアたっぷりの答えが返ってきた。

 ここにアメリカ人の考え方の一つを知ったような気がした。
 まず赤ちゃんがいても、「家族みんなでマラソンを楽しむ方法はないか」と考える。しかし、赤ちゃんは走れない。だったら、赤ちゃんも走れる方法を考えればよいという発想になる。
 私だったら、赤ちゃんをどこかに預けるという考えになってしまう。
 この「マラソン用ベビーカー」は珍しいわけではなく、少なくとも10台以上は見かけた。のぼり坂ではハーハー言っている私を、ベビーカーを追い越していくお父さんがいた。ん~、アメリカのお父さんは強い!

 それから市民が声援を送る点も印象的だった。といっても、旗をパタパタさせて「ファイト!」などと言うのではない。
 橋の上でバンド演奏をしたり、大きなスピーカーを道路に出して、サイモンとガーファンクルの歌をかけて踊ったりとさまざまである。
 その様子を見ているだけで、走っている疲れも吹き飛ぶようだった。

★ 日本の進出

 アメリカにいて思ったことの一つに、「ずいぶん日本の情報が少ないなあ・・・・」ということがある。テレビを見ても日本の様子が映し出されることはほとんどなかったし、新聞にも記事はほとんど掲載されない。日本ではあれほどアメリカのことがマスコミで取り上げられているのに・・・・。国のスケールの違いだろうか。

 だからアメリカ人は日本のことをあまりよく知らない。初対面の人によく、「日本に来たことがありますか?」と質問したものだった。そうすると100%、「NO」という答え。
 ちなみに「他の国は?」と聞くと、ヨーロッパや南アメリカの国をあげる人が多かった。彼らの目は、そちらを向いているのである。
 先の質問に続いて、「日本について何か知っていますか?」と聞くと「スシ」「ジャパニーズカー」というのが多かった。この二つは確実にアメリカに根をおろしているということであろう。

 たしかに、ポートランドでもワシントンDCでも数多くの日本料理(ほとんどが寿司やさん)の店を見つけることができた。そして、それらは結構繁盛していた。また、ポートランドでは数多くの日本車を見つけた。ホンダ、トヨタ、ニッサンが多く、ガイドさんによると3割が日本車ということである。
 アメリカでは古くなった車でも平気で乗る人が多い。私たちに英会話を教えてくれた先生は、シビックの一番古い型の車に乗っていた。また、日本ではもう見ることができない30年近く前のブルーバードも見かけた。だからアメリカにいると、日本車の歴史を見ることができる。

 ただ、日本のことで知っているのが、寿司と車だけではさびしい。もっともっといろいろなことを知ってほしいものである。

★ エイリアンなのに

 アメリカは他民族国家である。街をあるいているといろいろな人種に出会う。学校でも同じである。私の行った小学校は白人が多かったものの、黒人もアジア系の子も必ずクラスにいた。いろいろな人種が交じり合っているのが、ここアメリカでは普通なのである。
 だから我々が団体で行動しても珍しがられることはなかった。
 これが日本だったら、やはり違うであろう。数人の白人がお店に入ってきたら、やはり珍しがって、そちらの方に目がいってしまうに違いない。
 さて、アメリカ人は我々をエイリアン(外国人)とは見ない。そこで、いろいろなことを聞かれた。

 その1 「今、何時か?」
 電車を待っているときのこと。数メートル離れたところで、黒人が「ファット・・・・!」と言っている。そのまま聞き流していると、また同じことを言っているみたいである。
 そしたら、今度は「ウォッチ!」と言う。時計がどうしたのかと思って、その黒人を見たらこちらを見ていた。つまり、私に時間を聞いていたのである。

 その2 「ここはどこ?」
 学校から徒歩で帰る道。一台の車が私のところで急停車する。50代ぐらいの女性が話しかけてくる。でも、早すぎて何を言っているのか聞き取れない。
「あー、この人は小学校関係の人で、きっと好意で車に乗せてあげようとしているのだ。」と思った。そこで、「ノーサンキュー。歩いていくから。」と言うと、「ノー、ノ―。道の迷ったのよ。」と言う。
 何のことはない。道に迷ったから歩行者の私に聞いただけである。私もわからないから、「アイ・ドント・ノウ」と答えた。

 岩手にいて、外国人に時間や道を尋ねる人はまずいないであろう。
 ここに単一民族国家と多民族国家の違いを感じた。

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2016.05.13

社会科教育連載

6月号の教育雑誌が発刊されました。

今年は「社会科教育」誌で、「スペシャリスト直伝!アクティブな社会科授業づくりの基礎基本 」を連載しています。社会科におけるアクティブ・ラーニングを自分なりに考え、発信していく年です。

今月号では、「話し合い活動は思考を深化させているか」というテーマで書かせていただきました。
アマゾンはこちらです。

なお、今回は特集名も「主権者教育-政治と公共を考える授業デザイン」という内容で読み応えがあります。

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2016.05.12

社会科本

いつもの年よりも今年は社会科関係の本は多く購入し、読んでみようと考えている。
5月になって購入したのは、澤井陽介先生の書籍。
探してみると、毎年1冊は社会科関係の書籍を単著で発刊されている。
(本を出して続けることは大切だ。)

○「澤井陽介の社会科の授業デザイン
○「子供の思考をアクティブにする社会科の授業展開

もっと早く読むべきだった。社会科教師として大いに励まされた。もちろん、授業づくりで学ぶところ多数である。
また、自分が調べたかった社会科の評価について書かれていた。今回は目的をもって読むことの大切さを感じた。

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2016.05.11

挨拶状や賞状の句読点

新しい年度になってから、転勤の挨拶状が4月下旬からき始めた。
全て県内である。形式的な部分はほとんど同じなのだが、前任校や現任校の情報がそれぞれ一工夫して入っている挨拶状がほとんどなので、文面もしっかりと読ませていただく。
そして、「ああ、がんばっているんだなー」と励まされる。

そこで、改めて気づいたのが、「句読点」である。
挨拶状は句読点を打たないのが基本であるが、読みやすさからあえて句読点を打って出すことも一つの方法だと考える。
今回自分がいただいた挨拶状を改めて見ると、その割合はちょうど半々ぐらい。
句読点がない挨拶状も、1マスあけをしているので、読み流すと句読点がないのに気付かないかもしれない。

さて、FBにこの話題を少し書いたらいくつかコメントをいただいた。
そこから派生して、賞状や歴史上の人物の手紙がミニ教材になりそうなヒントを得た。
さまざまなものやことが教材になると改めて感じている。

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2016.05.10

つぶやきより

フェイスブックのつぶやきです。

・「ゼロから学べる小学校社会科授業づくり 」が重版となりました。ご購入された皆様、ありがとうございます。重版発行にかかわって、再度じっくりと読み返しました。初版時に何度も読み直して、修正はないと思って発行したものですが、今回修正点が見つかりました。改めて何度も読み直すことの大切さを感じました。

・今年度は週に1~2号、校内通信を発行することに決めている。まだ職場で校内通信を作る余裕がなく、毎回家での作業。担任時代の学級通信と同じだ。まあ、その方があれこれ対応がなく、集中してできるが。今回は「授業参観について」。かつての自分の雑誌原稿も役立つものである。

・昨日は授業参観日。多くの保護者に学校への期待を感じる半日だった。たくさんの参観者を前に授業する先生方。その期待に応えていた。前日夜の巡視で、偶然に道徳授業内容を知ってあれこれ雑談した先生も、さっそくその内容を取り入れたもよう。アクティブなその様子は本校にとって新風そのものだ。

・仕事でちょっとしたミス。気づいた時には文書発送後。二十数名が対象なので、明日修正文書を出せばそれでも十分OKなのだが、せっかくの機会なので電話で連絡をしてみようと思った。「わざわざありがとうございます」という反応もいくつか。ミスを生かせば、それはミスではなくなる。時間はかかったが、今回はそのようになったと思う。

・「くどいようだが、情報に価値があるわけではない。情報をどう受け入れたかに、価値があるのである」…本日いただいた冊子(個人の研究誌)から。阿久悠さんの言葉。確かに同じ本を長年読み続けても、その時代、立場で入ってくるものが違う。もちろん、情報を入れて考え続けなければ意味がないが。

・とある事情で、「文例」に関するものに思わず目が行く。このごろは教師からの転勤挨拶状。今までさほど気に留めていなかったが、句読点がある挨拶状とない挨拶状。半々ぐらいだ。読みやすさからあえて句読点を入れている人もいるかもしれないが。賞状にも句読点がないことは、子どもたちのミニ教材になるかもしれない。

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2016.05.09

いい時代だ

新幹線に乗る。
いつものようにJR東日本の車内誌トランヴェールに目を通す。
冒頭のコラムを有名な作家さんが毎年連載されている。
今年は、沢木耕太郎さんに代わっている。

沢木耕太郎さん。大学時代にいくつかの作品が好きで何度も読んだ。
「若き実力者たち」「テロルの決算」「敗れざる者たち」などは、特に印象に残っている。
今は60代後半。それはそうだ。自分が熱心に読んだのはもう三十数年前のことだからだ。

内容は「地縁」に関するもの。
すてきな文章で思わず、かつての作品を思い出した。

アマゾンで検索すると、こちらが電子書籍で販売されており、すぐに購入。
いい時代だ。冊子で触発され、三十数年前に読んだ作品を思いついた時にすぐに読むことができるからだ。

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2016.05.08

アメリカ研修記4

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ 授業にトライ

 アンに「2週間ぐらいして、英語がうまくなったら授業ができるかもしれない」と言われたものの、正直言って2週間で英語が飛躍的にうまくなるわけはない。
 英語が下手なまま授業をするしかないのだ。

 そう決めて、4日目に5年生のストーン先生に申し込んだ。
「来週、ずっと1週間授業を見せてください。そして、その中で1回、授業をさせてください。」
 ストーン先生は快諾してくれた。
 何をするのかと聞かれたので、即座に「ジャパニーズ・カルチャー」と答えた。もともとこちらの教科は教える気がなかった。というより、教えることができない。となると、日本の紹介しかないわけである。
 そのためのネタも日本にいる時にいくつか考えていた。

■習字を教える
■折り紙を教える(学級の子供たちに事前に作らせたものを持ってきた)
■世界地図を使って、日本やアジアの国を教える
■日本のあいさつを教える
■けん玉、こま、竹とんぼ、おはじきなどを紹介する
■簡単な象形文字を教える
■日本の有名なものを紹介する(すし、富士山等、学級の子供たちに書いてもらった絵を持ってきた)

 このうち、地図、あいさつ、有名なもの、象形文字を30分の授業の中で扱うことに決めた。
 まず最初にすべきことは何か。それは自分の言う英語を考えることである。発問も含むので考えるのに時間がかかった。
 授業で使う絵や地図などを一緒にストーン先生に見せたら、誤りを1箇所指摘されただけで「OK」と言われた。
 次は発音の練習である。何度も何度も練習していくうちに暗記をしてしまった。

 実際の授業では、子供たちは象形文字に特に興味を持ったようである。
 最初に「木」と書いて、「木はツリーの形をしています(絵をかきながら)。他の漢字もにています」と例を示した。
 これで子供たちは要領がわかったのか、「山」や「川」でどんどん手をあげてきた。
 一番難しかったのは「耳」。「ブレイン」「ヘッド」「アイ」「ノーズ」といった反応でなかなか当たらない。少し形をくずして絵を示して、ようやく「イアー」という答えが出てきた。
 この後から子供たちがいろいろと話しかけてくるようになった。
 親近感が増したからであろう。そして、名前をカタカナで書いてあげたらとても喜んでいた。
 やはり授業は見るよりもするほうが楽しい・・・つくづくそう思った。

★ 小学校の様子を学級通信に

 アインソワ―ズ小学校に行き始めて3週間目の木曜日。
 前日になかなか眠ることができなくて、この日はやや疲れ気味だった。ふだんは、歩いて学校から帰るものの、バスで帰らなくてはいけない状態だった。
 でも、その疲れも家に帰ってからは吹っ飛んでしまった。
 私が担任していた5年1組の子たちからの手紙が、大きな茶封筒にどっさりと入って届いていたからである。

 すぐに封をあけ読み始めた。
■ マラソン大会で学年2位だったこと
■ 市内の陸上記録会で大活躍だったこと
■ 文化祭が近く、作品制作をがんばっていること
といったことが書かれていた。
 考えてみれば、いつもこの時期は文化祭の作品作りのために1時間も惜しいようなところである。
 その中で、私に代わって担任してくださっている菅野先生が貴重な時間を私への手紙書きに費やしてくれたのである。
 それだけではない。
 私がいたときとは別の取り組みもしている。宿題を忘れる人が多くなったので、自分たちで話し合って目標を作り、それを達成したらお祝いの会をするという。
 楽しそうな企画である。

 すでに子供たちには、一人一人あてに絵葉書を出していた。
 おそらく、子供たちが手紙を書いた2~3日後には届いていたはずである。
 また、学級通信を1枚は送っていたものの、学校の研修が始まってからは出さずじまいであった。
 「よし、がんばって通信を書こう」
 日本にいる時には、毎日発行していた学級通信。
 しかし、ここに来てからは、1枚の通信を書くのにもかなりのエネルギーが必要である。
 日本にいる時には、担任だから書きたいことが次々と出てくる。
 しかし、単なる参観者にはそれは難しい。しかも、ワープロがないということが私にとっては大きな痛手であった。
 結局書いたのは3日後。それも1枚を書くのに1時間ぐらいかけて3枚送った。
 そのうちの一部を紹介しよう。

■オレゴン便り 3 「5年1組学級通信カルチェ・ラタン」より

 □スペイン語の授業
  私の通っているアインソワ―ズ小学校は、ポートランド市内唯一のスペイン語の授業をしている学校です。
 アメリカの小学校にはたいてい幼稚園が含まれていますが、その幼稚園からスペイン語の授業が始まります。ただし、全クラスではなく、学年1~2クラスだけです。
 ただ、その授業中はスペイン語しか使わないことに驚きました。
 単語の説明ぐらい英語でやるのかと思ったら違うのです。
 5年生になるともっと高度です。算数や理科をスペイン語でやっています。問題文もスペイン語、答えもスペイン語で言っています。
 英語の授業もなかなか理解できない私にとって、スペイン語は全くの「?」の世界でした。
 そんな私の姿をかわいそうと思ったのか、一人の女の子がスペイン語を英語に訳してくれるポケットコンピュータを貸してくれました。
 おかげでいくつかのスペイン語を覚えました。グラシアス!

 □子供は同じ

 アメリカの子供たちも日本の子供たちと変わりません。(当たり前ですね。)
 授業で、「日本ではグッドモーニングのことで【おはよう】と言っています。君たちは【オハイオ】(アメリカの州の一つ)と覚えるといいよ。」と言ったら、翌日の朝から「オハイオ!」「オハイオ!」でした。
 また、私がノートに書いている日本語に興味を示して、「自分の名前を日本語で書いてくれ」とせがみます。
 「キャサリン」「チェルシー」「フランク」などと書くだけでものすごく喜びます。
 やはり、どこの国の子供たちもかわいいものです。

 この通信が発行されるころは市内音楽会の直前だと思います。
 フレー、フレー、5年生!平常心で歌えば、きれいな歌声が体育文化会館に響き渡ると思います。

★リラックスの理由は

 アインソワ―ズ小学校の子供たちは授業中、リラックスしている。
 足を組んだり、背伸びをしたり、時には気分をリフレッシュするために、水を飲む子供もいる。
 まあ、リフレッシュと書いたが、私から見ると行儀が悪いように思われる。
 同じことを私が担任している子供がしたら、「行儀が悪い!」と注意しているところである。
 アメリカの教師たちは、姿勢についてはあまり注意をしない。それどころか、自分もリラックスをしていて、ミネラル・ウォーターを口にしながら授業する教師もいる。

 ただ、リラックスせざるをえないのには、理由がある。
 子供たちの学習時間が長いのである。
 たとえば、5年生の場合、8時45分から12時15分まで勉強をする。途中は10分間の休憩があるだけで、ランチまで実質3時間15分の学習である。
 午後は12時45分から3時15分まで。やはり、15分だけの休憩があるので、実質は2時間15分。
 合計で学習時間は何と5時間30分である。
 私の勤務する学校にある授業と授業の合間の5分間休みはない。
 だから、一つの学習が終わると、即、次の学習である。

 日本では、6時間授業の日でも、45分×6=270分=4時間30分の学習時間である。1時間もアインソワ―ズ小学校の子供達の方が学習時間が長い。
 しかも、体育、音楽、図工といった教科の時間は3教科合わせて週に4時間ぐらいである。

 こうなってくると、アメリカの小学生の学習がけっこうハードなことがわかるであろう。それらの長い時間、常に緊張を持続するのはなかなか難しいのは当然であろう。

 私が、「私の小学校の年間の授業日数は234日です(注・平成5年段階)。」と言ったら、「そんなに多いのか!」と驚いていた。
 アインソワ―ズ小学校は年間178日である。56日も差がある。だが、年間の子供たちの学習時間をトータルすると、おそらくアインソワ―ズ小学校の方が多いのではないか。
 このような視点から、授業日数の比較をしなければ意味がないであろう。

 ちなみに、オレゴン州では、2010年までに授業日数を210日に増やす予定である。


★ 個性を出す子供たち

 アメリカの子供たちと言っても、日本の子供たちと同じである。
 明るいし、珍しいものがあるとみんなで大騒ぎをする。喧嘩だってもちろんするし、幼稚園ぐらいでは、ちょっとしたことで泣き出す子ももちろんいる。

 ただ、決定的に違うところがある。
 それは、おしゃれで自分の個性を表現しようとしている点である。

 たとえば、女の子。
 5年生になると、女の子でピアスやイヤリングをしている子が半数近くいる。
 指輪をしている子も数名。
 メガネをかけている子にしても、個性的なものをしている。
 こうやってみていると、女の子では何も装飾品を身につけていない子は数えるのみである。

 そんな視点で見ていくと、教師のイヤリングも個性的である。特に5年生のマーチン先生などは、「教育イヤリング」と名付けたいくらいである。
 ある日は、鉛筆のイヤリング、次の日は地球儀のイヤリング、そしてハローウイ―ンが近くなると、パンプキンをくりぬいたお面のイヤリングと楽しませてくれる。

 そもそもこの国では、個性を出すべきということが暗黙の了解になっているようである。
 「私はみんなと違う」というように。
 それがよく聞く言葉である「インデペンダンス」の一つなのかどうかはわからないが、とにかく一人一人が違うことは共通理解されている。
 だから、黒人、白人、黄色人種と様々な人種が一つのクラスに入り混じっても何も抵抗がないのである。
 交じり合っているのが自然と考えているから、逆に日本のクラスに来て同じ人種ばかり・・・ということに奇異を感じるかもしれない。

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2016.05.07

アメリカ研修記3

【旧HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ アメリカの教師も忙しい


  朝7時30分~    出勤、授業の準備
   8時45分~    授業(105分)
  10時30分~    15分の休憩
  10時45分~    授業(90分)
  12時15分~    昼食
  12時45分~    授業(75分)
  2時~         休憩(15分)
  2時15分~     授業(60分)
  3時15分~     教材研究・ミーティング
  5時          退勤

 これは、アインソワ―ズ小学校5年生担任、マーチン先生のある一日の勤務の様子である。
 勝手な想像だが、アメリカに行く前は、何となく向こうの小学校はのんびりしているだろうと思っていた。
 確かに、出勤時刻と退勤時刻は、我々の定められている時刻とそんなに変わらない。人によっては、ずいぶん早く帰るものだと考えるかもしれない。

 しかし、授業の実質時間を合計してほしい。
 全部で何と5時間30分なのである。
 我々は6時間授業の日でも、45分×6=270分=4時間30分である。
つまり、1時間も多く授業をしているわけである。しかも、この日程は月曜日から金曜日まで不動である。

 さらに休憩(ブレイク)の時間も教師は休めない。子供たちは、キックベースボール等で遊ぶのだが、教師も一緒に外に出て子供たちの様子を見ていなければならない。
 事故がないか、危険なことがないか見るためである。だから、本当の休みは昼食時間だけである。

 アインソワ―ズ小学校では、教師と子供は別々に食事をとる。
 子供たちは食堂で、好きな友達とワイワイとにぎやかに昼食をとる。
 教師たちは教師たちだけで別の部屋でとる。この時間がお互いの情報交換の場であるらしい。
 なお、子供たちには昼食担当の先生がいて、子どもたちに声がけをしている。

 勤務時間は午前8時から午後4時までだが、マーチン先生はその前後合計1時間半を超過勤務している。
 アメリカの教師は超過勤務をしても、お金は支払われないという。それでも残らざるを得ない。
 日本の教師は忙しいという声をよく聞く。それは、アメリカの教師も同様である。
 いや、先の実態を考えると、アメリカの教師の方がハードかもしれない。

 この忙しさは学校がある時だけではない。
 「先生は、単元全体を見通した計画で教えているようですが、いつ考えるのですか。」と質問したことがある。
 「私たちは、新学期が始まる前は、バカンスです。その間に、図書館に行って調べごとをしたり、授業の構想を考えたりします。この間は給料は支払
われませんが、教師たちはそのように新年度の構想を練ったり、講習を受けたりします。それらは、自分の人生を充実させてくれるのです。」
 この話に「プロの教師」という言葉を思い浮かべた。

★ 親が気軽に学校へ

 小学校に行っている4週間に、親御さんが学校に来ない日はなかった。毎日、どこかの学級で、何人かの親御さんが来ていた。私の参観している授業でも時折見かけた。
 別に授業参観の日があったからだけではない。また、PTAの行事の話し合いがあるとかというわけでもない。
 では、何をしに学校に来ているのか。それは、教師のする授業の手伝いをしに来ているのである。「スクールボランティア」あるいは「ビジター」というシステムだそうである。

 例1 小学校併設の幼稚園の授業

 今日は近くの消防署の見学。交通量の激しいところを歩いていかなければならない。先生は一人。子どもは20人ほど。
 一人の親御さんが手伝いに来てくれる。先生が先頭を歩いて、親御さんは一番後ろでみんなを見てくれる。なるほど、これならば子どもたちを安全に消防署に連れて行くことができる。
 先生に、「親御さんたちは熱心ですね。仕事を休んでくる人もいるのですか?」と聞いたら、「時には仕事を休んでくる人もいます。彼らは、何か学校でハプニングが起こることより、自分が1時間の休みをとる方がベターだと考えています。」とのことであった。
 
 例2 小麦粉での地図作り

 5年生の社会科の授業。ダンボールにアメリカ合衆国の地図を書き、その上に小麦粉を水で練って重ねていって、高低のある立体的な地図を作るという授業である。
 この作業の問題点は小麦粉を練るのに時間がかかるということである。そこでビジターの二人が来てくれた。先生と合わせて3人で練ると大量の小麦粉ができる。1時間ほどで、地図は完成である。このような作業学習では、準備を手伝ってくれる人は多い方がいい。
 先生に、「どのようにしてビジターを選んでいるんですか」と聞いたら、事前にプリントを配布して希望者をとるとのことである。もし、誰も希望しない場合は、それはそれで仕方がないという。つまり、強制ではないのである。

 このビジター制度の利点を考えてみた。

 ★ 子どもたちの学習が効率的に行われる。
 ★ 親が我が子の授業の様子を気軽に見ることができる
 ★ 子どもたちにとっては、友達の親を知る機会であり、反対に親は子どもの友達を知ることができる

 子どもたちも親が学校に来るのが自然と思っている。
 そして親が帰る時には、皆が盛大な拍手で見送る。まさにヒーローである。
 このシステムが実際に日本でそのまま行うことは、困難であろう。そもそも、仕事をそんなに簡単に休むわけにはいかないと思われる。
 ただ、考えたいのは学校が親に、このような自然な、そして好ましい雰囲気の中で開かれているということである。

★ コンピュータと星条旗

 アインソワ―ズ小学校のどの教室にもあったものが、コンピュータと星条旗である。コンピュータは各クラスに一台ずつ。ワープロの学習は、ノ―トワープロみたいなものが各学級に人数分あって、「ラップトップ」の時間に練習をする。

 昔からタイプライターがあったせいか、アメリカでは文字を書くことはあまり重視していないように感じた。そして、子供たちの字も正直言って読みにくかった。比較すると、日本の中学生の英語の文字は、上手な部類に入るのではないだろうか。

 さて、コンピュータを何に使うのか。私は教師が何かのデータを探したり、表計算をするのかと思っていた。
 ところが使うのは主に子供たち。しかも何に使うのかというと、「ゲーム」なのである。
 早く学習が終わった子がボーナスとしてゲームをする時もあるし、休み時間、外が雨で遊べない時にゲームをする時もある。学習ゲームみたいなものもあって、クロスワードを子供が作って、それがみんなの宿題になる時もある。こんなに気軽にコンピュータと接しているわけであるから、中学校では抵抗なくコンピュータ教育ができるのであろう。

 星条旗は教室前方に掲げられている。ふだんは、特に意識することはない。しかし、時々、5年担任のマーチン先生はアメリカ国歌を歌わせた。星条旗はその時のシンボルになっている。
 子供たちのアメリカ国歌を歌う時の様子は実に誇らしげである。しかも、子供たちが大好きな局でもある。遊びながら、何やら鼻歌を歌っているなあと思っていたらそれがアメリカ国歌だったりする。
 しかも、その子だけではない。他の子に、「今、どんな歌が好き?」と聞いたら、何かアニメの主題歌が出てくるのかと思ったら、何とアメリカ国歌という。

 「自分の国を心から愛している」・・・そんな様子が伺えるような話である。

■付記  これは1993年の時の話である。この後、パソコン事情は激変した。おそらくアインソワ―ズ小学校のパソコン事情もかなり変化したことであろう。

★ スペイン語の授業

 アインソワ―ズ小学校の特色は、スペイン語の授業があるということである。
しかも幼稚園からである。これは、ポートランド市内でも一校だけだそうである。
 外国語を小学校で教えている学校はもう一校あり、そこでは何と日本語を教えている。ホームステイ終了後に、そのリッチモンド小学校に行ったが、学習している子どもたちの発言の見事さには驚かされた。

 さて、アインソワ―ズ小学校でスペイン語を教えているといっても、すべての学級で教えているわけではない。
 各学年4クラスずつあるが、そのうち1~2学級である。
 ただ、私が驚いたのは、小学校5年生のスペイン語の授業である。スペイン語そのものに関する授業はほとんどない。なんと、スペイン語を使って、算数や理科、美術をするのである。当然のことながら、母国語の英語は一切使わない。
 日本で言えば、小学5年生の算数が教科書も先生も英語を使って教わるというようなものである。
 「果たして、子供達は授業がわかるのだろうか。」と思ってみていると、ちゃんと算数の問題を解いているではないか!しかも、教師の質問にもちゃんとスペイン語で答えている。これには驚いた。

 子供たちはスペイン語を勉強してわずか6年目。ふつうの授業で話す教師の言葉を理解して、そして自分の伝えたいことをスペイン語で表現している。
 私は中学校1年生から大学1年生までの7年間、英語を勉強した。高校受験や大学受験のためにそれなりの学習も積んだ。
 しかし、残念ながらアインソワ―ズ小学校教師の英語の授業は、部分的にしか理解できない。ましてや、質問されたら「アイ・ドント・ノウ」としか言えないであろう。

 この差はいったい何であろうか。
 私は日本とアメリカ合衆国の教育の違いを端的に表していると思う。もっとも、最近の日本の英語教育はだいぶ変化しているが・・・。(※この記事は1993年)

 さて、英語の授業を理解できない私が、スペイン語の授業を理解できるわけがない。その姿を見かねたのか、ある女の子が「これ、貸すよ」と言ってくれた。
 何だろうと思ったら、ポケット自動翻訳機。スペイン語を英語に変えてくれる。その英語を私は辞書で調べて、ようやく授業を理解できた。
 そんな形で授業を見させてもらった。ありがたいものを貸してもらったものである。

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2016.05.06

間違えやすいビジネス敬語

ネットで検索しているうちに見つけたこちらのサイト

自分も気をつけなければいけないと感じた。

○いつもお世話様です
○大変参考になりました
○お座りください
○どちら様でしょうか
○とんでもございません

これらは使ったことがある。
間違いではないものもあるが、目上の人に対しては失礼ということであれば、ふだんから使わない方がよい。
特に今の職場では電話対応も多い。
自分で学んでいくしかない。

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2016.05.05

職住近接

「職住近接」の有難さを転勤した今年度は特に感じている。

前任校も遠かったわけではない。3kmにも満たなかったので、車で7~8分。休日に何かあった時にも10分以内でかけつけることができた。
その前の学校は15km離れていたので、車で20分以上かかっていた。ちょっとしたことで学校に行くのにも、往復時間を入れると1時間になった。

今年から転任した学校は住んでいるところの学区。車で2分もかからない。以前勤務した時にも便利とは思ったものの、今ほど強くは感じなかった。しかし、立場が変わった今は特に感じる。

まずは、平日の帰宅で疲れてもすぐに帰ることができる。4月は今までの学校の帰宅よりも遅くなる日々だった。帰る時にはかなり疲れていた。そういう時にすぐに帰ることができるのは、やはり有難いことだ。
また、何かしらの緊急対応が必要な時にはすぐに行くことができる。休日に1度あったが、すぐに対応することができた。
もちろん、通勤時間が減ったことによる「時間の節約」も積み重なれば大きい。

この有難さをどうこれから生かしていくか。自分次第である。


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2016.05.04

和文化教育学会

和文化教育学会」から、大会案内が送られてきた。
自分が入っている学会の一つである。

理事長の中村哲先生(関西学院大学)は、自分が大学生時代の社会科教育の講義の先生。
社会科専攻ではない自分にとっては、週1回、半年のみの講義だったが、その時に社会科教育の様々な実践を知ったことが、社会科教育の原点になっている。

昨年は姫路セミナーのあとの懇親会で、主催者さんに取り計らいで久しぶりに中村先生にお会いすることができた。三十数年前の有難い講義を思い出した。
この学会は、自分の重点を置きたい内容とも重なっている。
まだ大会には参加したことはないが(今年度も行けそうにないが)、注目していきたい学会である。

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2016.05.03

管理職・主任のための「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド

明治図書から「管理職・主任のための「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド」が発刊されるというのを知り、すぐに注文して読んだ。明治図書サイトはこちら。アマゾンは予約段階でこちら

前著「その指導、学級崩壊の原因です!「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド」は、学級経営を考える点でたいへん示唆に富む本だった。自分が講師役の時にも何回か紹介させていただいた。

今回も同様だった。
たとえば、第1章 環境や指導に関わる「かくれたカリキュラム」には、「荒れた学習環境」「校内放送で流行歌」「ルールの不統一」「飾り物のルール」「職員室のお茶とお菓子」といった実際に考えられるような内容が出てくる。
これを管理職がどのように指導するか。
自分も考えながら、今回読ませてもらった。そして、実際の今いる学校のヒントをたくさんいただいた。まさにおススメである。

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2016.05.02

4月終了

4月の振り返り。

・転勤してかつて勤務した大規模校に赴任。実際に勤めてみて、同じ大規模校でも前任校とは仕事内容もシステムもだいぶ違うことを実感。ただ、かつて自分がいたころと変わらぬことも多く、これは自分にとってメリット。新任者という感じではないこともしばしばである。

・職場は岩手の特徴である「ベテランが多い」という点は同様である。ただ、初任者が毎年入ってくる学校であり(これは岩手では限られている)、その点で若手も多い。その点では安定さとフレッシュさが同居しており、よき環境だとつくづく思う。

・子どもたちのすばらしさが随所に見られる。4月はあいさつキャンペーンもあり、明るい挨拶が随所に響いた。子どもたちと関わりをもちたいので、何か仕事があったら喜んで引き受けている。(それでも補欠授業にはまだ入っていない・・・)。仕事がなくても校内をあちこち回るだけで担任時代に取り組んだあれこれを思い出す。

・PTAや地域の皆さんにも恵まれている。懇親会でその実態を知り、より連携を深めていくことの大切さを感じている。校内通信も定期的に発行したり、改善すべき点はすぐに実行できたりと、あれこれできた。5月への道筋も見えている。このまま走り続けることができればと思っている。

・転勤が決まった時点で「4月は校務にエネルギーを注ぐ」と決めていた。それだけに、原稿は連載1本だけ。研修も山田町での対談と東北大学での情報リテラシーセミナーのみ。大学院の勉強はストップ。これらはこのGWからスタートである。

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2016.05.01

アメリカ研修記2

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

第1章  アインソワーズ小学校から学ぶ 

★ノープラン!

 10月4日。
 この日は、アインソワ―ズ小学校への初めての登校日である。ステイー先のホストマザーのアン(この小学校のカウンセラー)には、「この学校の人たちは、みなカジュアルな服装をしているから。」と言われたものの、初日が大事と考えて、スーツを着ていった。

「どんな歓迎をされるかな?もしかしたら、『ウエルカム・ミスターサトウ』と書かれていたりして」
「自己紹介はあるだろうけど、ちゃんと英語で考えたから大丈夫。」
「あとは初対面の人に、日本で教えてもらった「アイ・トウ・アイ」をするだけだな。」

 そんなことを考えながら校門に入って行った。「アイ・トウ・アイ」は、研修で「話や挨拶をする時には、相手の目を見てするように」と言われたので、きちんとしようと思ったのである。

 学校に行って、まず校長先生に会う。
「日本から来ました。サトウマサトシです。5年生を担任しています。この学校で、社会科や特別活動の様子を学びたいと思います。」
と短いあいさつをした。日本からのプレゼントを渡しながらである。
「そうですか。がんばってください。」
という意味のことを校長先生は言われた。

 それからアンと一緒に歩いていて、会った数人の教師の紹介をされた。やがて8時45分になった。授業の始まりの時刻である。
 (ああ、これから学校の説明があるんだなあ。)と思ったものの、誰も案内をしてくれるわけではない。アンに聞くと、「幼稚園に行ったら?」と言う。
 アインソワ―ズ小学校の中に幼稚園があり、小学校の一部として存在する。まず、そこで午前中、授業を見た。

 昼食をとり、「午後はどこへ行けばいいのか」と聞くと、「図書館で勉強でもしていたらいい」という。
 これはおかしいと思い、「私の研修の計画を立てる人は誰なのか」と聞いた。そしたら、何と「プランナー?ノーバディ・・・」と首を振って言うのだ。
 つまり、誰も私の研修の計画を立てる人はいないということである!そもそも私が今日、学校に来ることを知っている人もほとんどいない。だから、誰も学校の説明などするわけではないということらしい。

 何ということだ!日本だったら、こんなことは絶対にない。
 私の勤める岩谷堂小学校だって、2年前、アメリカから江刺に来ている合唱団が、急遽来校するという連絡を受けた時、大急ぎでその準備を一日がかりでしたものであった。たった一日だけの来校でこのような準備である。

 私は一日だけ、この学校で研修するのではない。4週間もいるのである。
 何も計画がないということは、いい加減じゃないか!
 聞けば、授業だって、「英会話が上達したらできるかもしれない。それができなければわからない。なぜなら、どの教師も責任をもって授業をしているからだ。」と言う。
 つまり、参観するだけにしたほうがいいというアドバイスである。

 悔しかった。とても悔しかった。無計画なところで参観するだけだったら4週間もいる必要はない。だったら、何のためにアメリカに来たんだろう。
 同時に腹が立った。いくらアメリカ流といっても、このやり方は失礼ではないかと。
 
 研修は初日からくじけてしまった。

★自分で研修計画を立てる

 研修2日目の朝、ベッドの中で考えた。
「このままだまっていても始まらない。計画がないのなら、自分で立てるしかない。とにかく交渉だ。」
 アメリカの小学校にわざわざ来て、あっちをブラブラ、こっちをブラブラというわけにはいかない。
 自分なりに目的を持った計画を立てるしかない。そんなことを考えながら、学校に向かった。

 まず私自身が5年生を担任していることから、5年生の担任で一番の年配の先生を訪ねる。40代の女性教師である。さっそく、アタックである。
「私は日本で5年生を担任しています。アメリカの同じ学年の授業をしてみたいです。お願いします。」
 恐る恐る聞いた。
 そうしたら、意外にも、「はい、いいですよ。いつでもいらっしゃい。」とあっさりと言ってくれた。
 これはあとで気付いたことであるが、アインソワ―ズ小学校の先生方は、授業を見せてくださいとお願いした時、全員、「オーケー。いつでもどうぞ。」と答えてくれた。
 フランクな国民性ということもあるだろうが、それだけ自分に自信があるということでもあろう。

 結局、そのマーチン先生のクラスは、その週、ずっと参観させてもらった。そして、たくさんの話を聞かせてもらい、学校のシステム等をおおよそつかむことができた。
 2週目以降も次のような研修をさせていただいた。

■2週目・・・同じ5年生の他学級の参観。授業も行う。
■3週目・・・専科や特別プログラムの授業を中心に参観。1・2年生の遠足に随行。市内の教育機関の参観。
■4週目・・・幼稚園と2年生の学級を中心に参観。授業も行う。

 私自身、自分なりに計画を立てて、バラエティな内容の研修ができたと満足している。
 つまずいても、前進することがいかに大切か身をもって体験した。

 交渉した先生方は10人。つまりそれくらいの先生方の授業を、最低一人一日以上参観したことになる。
 一日中参観すると、その先生の個性が見えてくる。
 これは日本でも経験できなかった貴重な体験であった。

★ エニ・クエスチョンズ?

 授業参観といっても、漫然と授業を見ていたのでは意味がない。
 自分なりに目的を持って見るのが当然といえば当然である。たとえば、教える内容はどのようなものか、そしてどのように教えているのか、その教え方の背後にあるものは何か・・・というように。
 たとえ言葉はわからなくても、その様子はわかるはずである。
 そんなふうに考えて授業を見ていた。

 しかし、いかんせん、英語で行われている授業である。
 子供たちがどんな活動をしているかはわかるものの、教師の発問・指示はなかなか聞き取れない。ましてや、子供の発言などほとんどわからない。
 そうすると、自然に参観の集中力は鈍ってくる。
 
 そんな私を緊張させたのが、フローリン先生である。
 彼女は5年生のスペイン語の先生である。
 スペイン語といっても、スペイン語そのものを教えることはほとんどない。スペイン語を使って、算数・理科・美術を教えるという仕組みである。
 授業中、ずっと声を張り上げているため、放課後になるといつもため息をついて「疲れた、疲れた」と言うのが、口ぐせだった。

 さて、彼女の授業を参観していると途中で私に必ず質問が来る。
「日本でもこのようにかけ算を教えているのか。」「このような教材で美術を教えたことがあるか。」というように。
 ちなみに、私に聞く時はもちろん英語である。いいかげんな受け答えをするわけにはいかないので、真剣に授業を見ざるを得ない。

 私に質問をしない時には、「ミスターサトウ、エニ・クエスチョンズ?」と聞く。
 「ありません」と言うのも失礼と考えて、どんなささいなことでも聞いた。

☆「算数の評価はどのようにしているのですか。」
☆「美術の内容は何に基づいているのですか。」
☆「理科では教科書を使わないのですか。」
☆「この教材は、学校の予算で買ったのですか。」

 こちらの使える英語は限られているから、簡単な質問しかできない。 しかし、彼女は私の質問を広げてくれて、3倍くらいの答えを出してくれた。
 彼女の授業を見たのは研修の第一週目である。
 この学校での研修を深めるには、とにかく質問することだということを最初の週に発見したことは、幸いだった。

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