アメリカ研修記2
【HP移行のためのリバイバル掲載です】
第1章 アインソワーズ小学校から学ぶ
★ノープラン!
10月4日。
この日は、アインソワ―ズ小学校への初めての登校日である。ステイー先のホストマザーのアン(この小学校のカウンセラー)には、「この学校の人たちは、みなカジュアルな服装をしているから。」と言われたものの、初日が大事と考えて、スーツを着ていった。
「どんな歓迎をされるかな?もしかしたら、『ウエルカム・ミスターサトウ』と書かれていたりして」
「自己紹介はあるだろうけど、ちゃんと英語で考えたから大丈夫。」
「あとは初対面の人に、日本で教えてもらった「アイ・トウ・アイ」をするだけだな。」
そんなことを考えながら校門に入って行った。「アイ・トウ・アイ」は、研修で「話や挨拶をする時には、相手の目を見てするように」と言われたので、きちんとしようと思ったのである。
学校に行って、まず校長先生に会う。
「日本から来ました。サトウマサトシです。5年生を担任しています。この学校で、社会科や特別活動の様子を学びたいと思います。」
と短いあいさつをした。日本からのプレゼントを渡しながらである。
「そうですか。がんばってください。」
という意味のことを校長先生は言われた。
それからアンと一緒に歩いていて、会った数人の教師の紹介をされた。やがて8時45分になった。授業の始まりの時刻である。
(ああ、これから学校の説明があるんだなあ。)と思ったものの、誰も案内をしてくれるわけではない。アンに聞くと、「幼稚園に行ったら?」と言う。
アインソワ―ズ小学校の中に幼稚園があり、小学校の一部として存在する。まず、そこで午前中、授業を見た。
昼食をとり、「午後はどこへ行けばいいのか」と聞くと、「図書館で勉強でもしていたらいい」という。
これはおかしいと思い、「私の研修の計画を立てる人は誰なのか」と聞いた。そしたら、何と「プランナー?ノーバディ・・・」と首を振って言うのだ。
つまり、誰も私の研修の計画を立てる人はいないということである!そもそも私が今日、学校に来ることを知っている人もほとんどいない。だから、誰も学校の説明などするわけではないということらしい。
何ということだ!日本だったら、こんなことは絶対にない。
私の勤める岩谷堂小学校だって、2年前、アメリカから江刺に来ている合唱団が、急遽来校するという連絡を受けた時、大急ぎでその準備を一日がかりでしたものであった。たった一日だけの来校でこのような準備である。
私は一日だけ、この学校で研修するのではない。4週間もいるのである。
何も計画がないということは、いい加減じゃないか!
聞けば、授業だって、「英会話が上達したらできるかもしれない。それができなければわからない。なぜなら、どの教師も責任をもって授業をしているからだ。」と言う。
つまり、参観するだけにしたほうがいいというアドバイスである。
悔しかった。とても悔しかった。無計画なところで参観するだけだったら4週間もいる必要はない。だったら、何のためにアメリカに来たんだろう。
同時に腹が立った。いくらアメリカ流といっても、このやり方は失礼ではないかと。
研修は初日からくじけてしまった。
★自分で研修計画を立てる
研修2日目の朝、ベッドの中で考えた。
「このままだまっていても始まらない。計画がないのなら、自分で立てるしかない。とにかく交渉だ。」
アメリカの小学校にわざわざ来て、あっちをブラブラ、こっちをブラブラというわけにはいかない。
自分なりに目的を持った計画を立てるしかない。そんなことを考えながら、学校に向かった。
まず私自身が5年生を担任していることから、5年生の担任で一番の年配の先生を訪ねる。40代の女性教師である。さっそく、アタックである。
「私は日本で5年生を担任しています。アメリカの同じ学年の授業をしてみたいです。お願いします。」
恐る恐る聞いた。
そうしたら、意外にも、「はい、いいですよ。いつでもいらっしゃい。」とあっさりと言ってくれた。
これはあとで気付いたことであるが、アインソワ―ズ小学校の先生方は、授業を見せてくださいとお願いした時、全員、「オーケー。いつでもどうぞ。」と答えてくれた。
フランクな国民性ということもあるだろうが、それだけ自分に自信があるということでもあろう。
結局、そのマーチン先生のクラスは、その週、ずっと参観させてもらった。そして、たくさんの話を聞かせてもらい、学校のシステム等をおおよそつかむことができた。
2週目以降も次のような研修をさせていただいた。
■2週目・・・同じ5年生の他学級の参観。授業も行う。
■3週目・・・専科や特別プログラムの授業を中心に参観。1・2年生の遠足に随行。市内の教育機関の参観。
■4週目・・・幼稚園と2年生の学級を中心に参観。授業も行う。
私自身、自分なりに計画を立てて、バラエティな内容の研修ができたと満足している。
つまずいても、前進することがいかに大切か身をもって体験した。
交渉した先生方は10人。つまりそれくらいの先生方の授業を、最低一人一日以上参観したことになる。
一日中参観すると、その先生の個性が見えてくる。
これは日本でも経験できなかった貴重な体験であった。
★ エニ・クエスチョンズ?
授業参観といっても、漫然と授業を見ていたのでは意味がない。
自分なりに目的を持って見るのが当然といえば当然である。たとえば、教える内容はどのようなものか、そしてどのように教えているのか、その教え方の背後にあるものは何か・・・というように。
たとえ言葉はわからなくても、その様子はわかるはずである。
そんなふうに考えて授業を見ていた。
しかし、いかんせん、英語で行われている授業である。
子供たちがどんな活動をしているかはわかるものの、教師の発問・指示はなかなか聞き取れない。ましてや、子供の発言などほとんどわからない。
そうすると、自然に参観の集中力は鈍ってくる。
そんな私を緊張させたのが、フローリン先生である。
彼女は5年生のスペイン語の先生である。
スペイン語といっても、スペイン語そのものを教えることはほとんどない。スペイン語を使って、算数・理科・美術を教えるという仕組みである。
授業中、ずっと声を張り上げているため、放課後になるといつもため息をついて「疲れた、疲れた」と言うのが、口ぐせだった。
さて、彼女の授業を参観していると途中で私に必ず質問が来る。
「日本でもこのようにかけ算を教えているのか。」「このような教材で美術を教えたことがあるか。」というように。
ちなみに、私に聞く時はもちろん英語である。いいかげんな受け答えをするわけにはいかないので、真剣に授業を見ざるを得ない。
私に質問をしない時には、「ミスターサトウ、エニ・クエスチョンズ?」と聞く。
「ありません」と言うのも失礼と考えて、どんなささいなことでも聞いた。
☆「算数の評価はどのようにしているのですか。」
☆「美術の内容は何に基づいているのですか。」
☆「理科では教科書を使わないのですか。」
☆「この教材は、学校の予算で買ったのですか。」
こちらの使える英語は限られているから、簡単な質問しかできない。 しかし、彼女は私の質問を広げてくれて、3倍くらいの答えを出してくれた。
彼女の授業を見たのは研修の第一週目である。
この学校での研修を深めるには、とにかく質問することだということを最初の週に発見したことは、幸いだった。
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