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2016.05.14

アメリカ研修記5

【旧HP移行のためのリバイバル掲載です】

第2章  アメリカ文化を丸ごと体験

★ お酒

 ホームスティー前日に、研修のガイド役のミセス・ホンマが印象的な話をしてくれた。
 我々の中にビール好きの人がいて、「ホームスティー先の人がお酒を飲まない人だったらどうしよう」と話したのがきっかけである。

 ミセス・ホンマは次のように言った。
「そもそもアメリカでは、お酒を飲む飲まないを話題にすることはない。日本では、よく『昨日は飲みすぎて・・・』と言ったりするが、ここではナンセンスなこと。」
 その時には、その意味がよくわからなかった。
 「アメリカ人は、あまりお酒を飲まないのか?」と思った。
 しかし、店では数多くのワイン、ビール、ウィスキーが売られている。しかも安い値段で。ビールなど、日本よりもかなり安い。
 そもそもポートランドのダウンタウンを夜歩くと、多くの人が楽しそうにビールを飲んでいるではないか。

 その疑問はすぐに解けた。
 実際にホームスティーをして、お酒がどんな意味を持つのかがわかったのである。
 彼らにとっては、それは実に気軽な飲み物なのである。たとえば、家庭でおいしい料理を作る。それに合うお酒をたしなむ。ただし、量は多くない。つまり、お酒も料理の一つとして味わうわけである。
 だから、酔うという感じはないし、まして酔ってベロベロになる人などほとんどいないのである。
 これは店で飲む時も同じである。

 我々日本人にとって店で酒を飲むことはやはり特別の意識が強い。(むろん、日常という人もいるだろうが)
 一つの店に入って、普通2~3時間は費やす。二次会、三次会となるともうかなり酔ってしまう。
 もちろん、車の運転などできない。費用もかかる。毎日の生活の中ではちょっとした行事である。
 時には大事な会合だってある。酒が入ると、初対面の人でも緊張がとれて仲良くなれるという理由から、お酒が利用されることもある。

 彼らアメリカ人にとってお酒は、我々にとってのコーヒーと同じようなものと感じた。

★ プレゼント

 日本にいる時に、ホームスティー先が決まるはずだったが、なぜか私は決まらなかった。
 そして、そのままアメリカに行かざるをえなかった。
 そこで、スティー先や学校へのプレゼントには何がいいか、いろいろと迷った。スティー先の家族が何人で、何才ぐらいの人がいるかわからなかったからである。
 そこで、どんな人でも受け入れそうな無難なものをいくつか買い揃えていくことにした。

☆ おみやげリスト

 ■スティー先へ
  ・きり絵の壁掛け  ・浮世絵コースター  ・浮世絵ハンカチ  ・風鈴   ・岩手の絵葉書

 ■小学校へ
  ・きり絵の壁掛け  ・子供の作品(絵、習字、手紙、折り紙) ・そろばん  ・風呂敷  ・各種ガイド(市のもの)  ・日本の教科書  ・日本の地図

 ■両方に共通
  ・日本のおもちゃ(けん玉、おはじき、こま、竹とんぼ、万華鏡)

 これらの他にスティー先の人に日本食を食べさせようと、しょうゆやインスタントみそ汁、のり、本だし等を持っていったものだから、行きの荷物は重いものとなった。
 もっとも帰りも今度は日本のおみやげで重くなったが。

 さて、アメリカに行き、ようやくスティー先が決まった。
 アンという女性の家であり、3人家族ということがわかった。ただし、二人の子供たちは、今100kmはなれたユージーンという市で、大学の講師と大学生をしているとのことである。
 そこで、アンには壁掛け、ハンカチ、絵葉書を、講師である娘のベッツイには風鈴を、息子のスティーブンにはコースターを送ることにした。
 
 3人にプレゼントをして驚いたのは、渡された瞬間にもうパッケージをはがして、中身が何かを見ているところである。
 日本だったら、「あけていい?」と聞くか、あるいはプレゼントした人が、「どうぞ、開けてください」と言うところであるが、すぐに中身を見るのがこちらの礼儀のようである。
 そして、3人ともおおげさに喜んでくれた。
 「オー、ワンダフル」「ビューティフル」というように。

 特に、ベッツィは、「プリティサウンド!」と言って、風鈴をさっそく部屋のどこにかけようか動き回っている。
 ここがいいと言って、すぐにネジを差し込み始めた。そして、風鈴を付けて、「リンリン」と一緒に歌っている。
 ちなみにベッツィは25才。25才の女性に200円の風鈴では申し訳ないと思ったが、どんなささやかな物でも、こちらの人は大喜びすると知った。

 プレゼントのもらい方にも文化の違いが出るものである。

 その後、ベッツィに2度会ったが、そのたびに、「マサ、リンリン、グッド!」と言われた。たった200円なのに、恐縮する思いだった。

★ ポートランドマラソン

 生まれて初めてマラソン大会に参加した。おそらく、自分の人生の中でもこの一回限りであろう。
 といっても、42.195kmを走ったわけではない。5マイル(約8km)のレースである。

 9月26日。ポートランドについてから5日目がそのマラソンの日である。
 前年度もオレゴン団は、このマラソン大会に参加していたので、今年も全員で参加することになった。
 全体の中での順位ははるかに遅い方である。とてもここには紹介できない。それなりにトレーニングしている方々が参加しているのだから、当然である。

 さて、このマラソン大会が市民のものであるということを感じさせるシーンがいくつかあった。
 まず、家族総ぐるみでのマラソン参加が多いということである。たとえば、お父さん・お母さん・赤ちゃんといった組み合わせて走る家族もいる。
 お父さん、お母さんはいいとして、どのようにしてベイビーが走るのか。何と、マラソン専用のベビーカーがあるのだ。
 乗るところは、普通のベビーカーと同じだが、車輪が違う。回転しやすいようになっているし、タイヤも少し大きくなっている。これを押して、他のランナーと同じスピードで走るわけである。
 その様子に、「この赤ちゃんもランナーか?」と聞くと、「そうだよ。未来のね!」とユーモアたっぷりの答えが返ってきた。

 ここにアメリカ人の考え方の一つを知ったような気がした。
 まず赤ちゃんがいても、「家族みんなでマラソンを楽しむ方法はないか」と考える。しかし、赤ちゃんは走れない。だったら、赤ちゃんも走れる方法を考えればよいという発想になる。
 私だったら、赤ちゃんをどこかに預けるという考えになってしまう。
 この「マラソン用ベビーカー」は珍しいわけではなく、少なくとも10台以上は見かけた。のぼり坂ではハーハー言っている私を、ベビーカーを追い越していくお父さんがいた。ん~、アメリカのお父さんは強い!

 それから市民が声援を送る点も印象的だった。といっても、旗をパタパタさせて「ファイト!」などと言うのではない。
 橋の上でバンド演奏をしたり、大きなスピーカーを道路に出して、サイモンとガーファンクルの歌をかけて踊ったりとさまざまである。
 その様子を見ているだけで、走っている疲れも吹き飛ぶようだった。

★ 日本の進出

 アメリカにいて思ったことの一つに、「ずいぶん日本の情報が少ないなあ・・・・」ということがある。テレビを見ても日本の様子が映し出されることはほとんどなかったし、新聞にも記事はほとんど掲載されない。日本ではあれほどアメリカのことがマスコミで取り上げられているのに・・・・。国のスケールの違いだろうか。

 だからアメリカ人は日本のことをあまりよく知らない。初対面の人によく、「日本に来たことがありますか?」と質問したものだった。そうすると100%、「NO」という答え。
 ちなみに「他の国は?」と聞くと、ヨーロッパや南アメリカの国をあげる人が多かった。彼らの目は、そちらを向いているのである。
 先の質問に続いて、「日本について何か知っていますか?」と聞くと「スシ」「ジャパニーズカー」というのが多かった。この二つは確実にアメリカに根をおろしているということであろう。

 たしかに、ポートランドでもワシントンDCでも数多くの日本料理(ほとんどが寿司やさん)の店を見つけることができた。そして、それらは結構繁盛していた。また、ポートランドでは数多くの日本車を見つけた。ホンダ、トヨタ、ニッサンが多く、ガイドさんによると3割が日本車ということである。
 アメリカでは古くなった車でも平気で乗る人が多い。私たちに英会話を教えてくれた先生は、シビックの一番古い型の車に乗っていた。また、日本ではもう見ることができない30年近く前のブルーバードも見かけた。だからアメリカにいると、日本車の歴史を見ることができる。

 ただ、日本のことで知っているのが、寿司と車だけではさびしい。もっともっといろいろなことを知ってほしいものである。

★ エイリアンなのに

 アメリカは他民族国家である。街をあるいているといろいろな人種に出会う。学校でも同じである。私の行った小学校は白人が多かったものの、黒人もアジア系の子も必ずクラスにいた。いろいろな人種が交じり合っているのが、ここアメリカでは普通なのである。
 だから我々が団体で行動しても珍しがられることはなかった。
 これが日本だったら、やはり違うであろう。数人の白人がお店に入ってきたら、やはり珍しがって、そちらの方に目がいってしまうに違いない。
 さて、アメリカ人は我々をエイリアン(外国人)とは見ない。そこで、いろいろなことを聞かれた。

 その1 「今、何時か?」
 電車を待っているときのこと。数メートル離れたところで、黒人が「ファット・・・・!」と言っている。そのまま聞き流していると、また同じことを言っているみたいである。
 そしたら、今度は「ウォッチ!」と言う。時計がどうしたのかと思って、その黒人を見たらこちらを見ていた。つまり、私に時間を聞いていたのである。

 その2 「ここはどこ?」
 学校から徒歩で帰る道。一台の車が私のところで急停車する。50代ぐらいの女性が話しかけてくる。でも、早すぎて何を言っているのか聞き取れない。
「あー、この人は小学校関係の人で、きっと好意で車に乗せてあげようとしているのだ。」と思った。そこで、「ノーサンキュー。歩いていくから。」と言うと、「ノー、ノ―。道の迷ったのよ。」と言う。
 何のことはない。道に迷ったから歩行者の私に聞いただけである。私もわからないから、「アイ・ドント・ノウ」と答えた。

 岩手にいて、外国人に時間や道を尋ねる人はまずいないであろう。
 ここに単一民族国家と多民族国家の違いを感じた。

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