アメリカ研修記6
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★ 車社会
アメリカは車社会である。車がないと何もできないと言っても過言ではない。
私は徒歩で通勤したが、その20分間、人とすれ違うことはほとんどなかった。普通の住宅街を通っていくのにである。すべての移動は車、車、車である。
子供たちの多くはスクールバスで通っている。日本のように、数kmの範囲から子供が通っているわけではない。
何しろ広い国である。歩いて通う子供たちは限られている。自転車で通ったりしたら、危なくてしょうがないので中学生もスクールバスである。
このスクールバスは、他の車両より優先されている。ずいぶん、渋滞するなあと思ったら、スクールバスが止まっていたのである。
なんだ、追い越せばいいのにと思うが、スクールバスが止まっていたら、後続車も対向車もストップすることになっているのである。
なるほど、このようにして子供の安全を守っているわけである。
さて、車社会というのは日本も同じであるが、いくつかの違いがある。
まずフリーウエイ(日本の高速道路みたいなもの)。アメリカでは、至るところにフリーウエイがあって、すぐに乗り入れることができる。
しかも日本との違いは、お金が不要ということ。文字通り、フリーウエイ(ただの道)である。
それからガソリンが安い。日本のおよそ3分の1(当時)くらいである。車検代もあまり費用がかからないので、維持費は安いものである。
だから、教師たちも平均のサラリーは私たちよりやや低めであっても、いい車に乗っている。
んー、何とも羨ましい限りである。
おもしろいと思ったのはガソリンスタンド。人件費を浮かすために、セルフサービスのところが多い。私もぜひガソリンを入れるのをこの手でしてみたかったが、アンおばさんはそういうガソリンスタンドに
はいかなかった。残念!(1993年時。やがて日本にもこの手のガソリンスタンドが出てきて、今は当たり前になっている。)
★ ガレージセール
10月2日。この日は研修先のマリーハースト大学から、各自ホームスティー先に連れていってもらうことになっていた。
私のスティ先のアンは、ラストから2番目に大学に来た。そして、いきなり大学生の息子たちのところに連れていくという。
息子のスティーブンがいるところは、約160km離れたユージーンというところである。着いてから、近くの公園へスティ―ブンの運転で行くことになった。
川の流れを見て、しばしの休憩。おなかもすいたので、帰ることとなった。柔らかな日差しが差し込み、快適なドライブである。
ところが、急にアンが「ストップ!」と言う。そして、何やら看板を見つけて早口でしゃべっている。そしたら、今度はスティーブンがきた道と違う方向に運転する。いったい、どこに行くのだろう。
何やら探しているようである。やがて、一軒の家の前で車を止めた。そこでは、ガレージセールをしていたのである。この言葉は耳にするけど、見るのは初めてだった。
本当に自分の家のガレージに、自分の家で不要になったものをきれいに並べて売っているのである。(当たり前のことであるが)
しかも安い。子供の服は1ドルぐらいだし、本は50セント。おもちゃも似たようなものである。
高いものはイス、それもアンティックの立派なもので5ドルぐらいである。日本だったらすぐに買っている!
翌日の日曜日もアンは、ガレージセールの看板を見つけ、4軒もまわった。
みな近所である。そこで、すてきなスタンドをアンは6ドルで買った。そして、さっそく職場に持っていき、自分のオフィスで使っていた。
この気軽にリサイクル精神。我が家では不要になれば、小さなものはもえないゴミに、大きなものは市の処理場に持っていく。もったいないと思いつつ「でも、これを使う人もいないだろうな」と考えるからである。
このリサイクル精神は、アメリカ社会全体に根付いている。その仕組みもきちんとできている。そういう点でアメリカに学ぶ点が多い。
★ 初のテレビ出演
「10月14日、夜の7時30分にミーティングをするから集まること」という連絡が、オレゴン団5班班長の梶本さんからあった。何やら教育関係者のミーティングらしい。日本だったら、教育委員会とのあいさつと考えればいいのだろうか。
それにしても、夜の7時30分とはちょっと遅いのではないか。会場までは、スティー先からはけっこう離れている。
そんな疑問を感じながら、指定されたコンベンションセンターに向かう。班の4人がそろうと、梶本さんが行っている小学校の先生に連れられて、エデュケーショナルサービスセンターに向かう。
会場に入っていくと、何やら10人ぐらいの人がデイスカッションしている。彼らの前には傍聴席が数多くあり、「まるでテレビのスタジオみたい」と思っていたら、何と本当にテレビカメラが3台あるではないか。
すると、案内役の人が来て説明をする。
7時30分から、このデイスカッション番組は地元の教育テレビで放送されるとのこと。ということは・・・・テレビに出るのだ!まあ、でも顔が映るだけだからたいしたことはないか。それにローカルテレビだし。
ということで、我々4人は、次週に一回会うことや、ホスト先のレセプションの話をしていた。
8時をまわり、案内役の人が紹介をするという。スタジオに入り、演説台の前に4人が立つ。
「この人たちは、日本の若手教員たちです。このポートランドで1ヶ月、学校で研修をしています。私たちから記念品を贈ります。」
と言われてプレゼントをいただいた。
これで終わりだと思ったら、「何か一言を」と言う。そしたらグループリーダーの梶本さんがノートを開いて、あらかじめ書いておいた英文を読み上げた。
「さすが、グループリーダー。こういうこともあろうと準備したんだ。抜け目ない。」と思っていたら、「他の者も一言を」とのこと。
「えっ、何も考えていない!」
と思っても時は止まらない。マイクの前に立たざるを得なかった。考えながらのスピーチは日本語でも難しいのに、英語なんて!
でもとにかく話し始めた。
私はサトウマサトシです。アインソワ―ズ小学校に行っています。
日本では5年生を担任しています。
アインソワ―ズ小学校の子たちはとても元気がいいです。また、ホストマザーと学校の先生方は私にとても親切です。
私はとても幸せです。サンキュー。
実に簡単な英文である。でも、これがその瞬間に考えることができた精一杯のスピーチだった。
ホストマザーのアンに「最終のバスで帰るから遅れるよ」と電話すると、スピーチの様子をテレビで見ていてくれて、「あなたの英語、とてもよかったよ。すばらしかったよ。」と言ってくれた。お世辞でも嬉しかった。
電車に乗り、最終のバスを40分待って、家についたのは夜の10時ごろ。市の中心部に帰る旅行者と自分は違うんだ、普通の家にいる「住人」なんだということを改めて感じた。
★ 教会とオぺラ
このアメリカ研修で、マラソンの他に初めて経験したことがいくつかある。
日曜日の教会通いとオペラ鑑賞である。
アンにホームステイの初日に、「こちらの人と一緒の生活を送りたい」と言っていた。そこで、クリスチャンであるアンと一緒に教会に通うことになったわけである。
といっても全てのクリスチャンが教会に通うというわけではなく、一部だそうである。町のほとんどの店は日曜日の午前中は閉店である。これは、教会へ行きやすくするための配慮もあると思う。
その教会。祭壇で話している司祭の言っていることは英語だから、ほとんどわからない。ただ、みんなで集会活動の呼びかけみたいに話したり、美しい賛美歌を歌っているうちに、「1週間に一度、1時間でもこのような心が洗われる時間を持つことは貴重だな」と感じてきた。
私の日常生活を振り返ってみて、そのような時間はないに等しい。だから、この経験をしてからは、「自分なりに己の人生を考える時間を30分でも確保するようにしよう」と考えるようになった。
オペラ鑑賞は、ホームステイに入る前、英会話の研修をしている時に、キャロライン先生が、「夜、何で楽しみましょうか」と言った時に出てきたものである。日本でもなかなか見ることができないと思い、行くことにした。
「カルメン」である。チケットは53ドル。高い席は87ドル、安い席は27ドルからあるという。
この値段が高いのか安いのかはわからない。ただ、森下さんの話しだと、「日本で見たら、1~2万円はするだろうな」ということなので、きっと安いのであろう。
さて、いざオペラ。フランス語なので、全然言葉の意味がわからない。でも大丈夫。ステージの上の部分に英語のスーパーが出てくる。まわりの観客もそれを見ながら鑑賞している。
印象に残っているのは、ストーリーよりも、主演男優、主演女優の迫力のある歌声である。あの広いホールに響きわたるのであるから、すばらしいものである。
そして、それを支える観客たち。立って「ブラボー!」と拍手するあの雰囲気の中で、自分も貴族に近づいた気持ちになった。
ただ、恥ずかしかったことが一つ。
キャロライン先生が、「カジュアルな服装でいい」というので、みんなでラフな格好で出かけた。
ところが、シアターに来てみると、ほとんどがフォーマルな服装をしているではないか。中には黒のタキシードと白のドレスのカップルもいる。
わが身はトレーナーにチノパン。 早くライトが消えてほしいと思ったものである。
★ 絵葉書
研修中の楽しみの一つが葉書書きである。ポートランドやワシントンDC、ボストンの名所の絵葉書を買っては、せっせと書いたものである。
一通に費やす時間はおよそ10分間。わずかの時間だったが、葉書を書いている時間だけは、日本にいるような気がして幸せな気分に浸ることができた。
特に家族である妻と娘には毎日書いた。書いていて落ち着くことの他にも次のようなメリットがあることを知った。
その1 アメリカの名所の写真が自分の財産として残る
絵葉書は、プロの写真家によって、写されたものである。当然、美しいものが多い。それが手元に残ることはやはりいいものである。
その2 毎日の日記の代わりになる
毎日、指定された様式の研修日誌というのは書いていた。これは主に、教育に関わるものを書くものである。それに書かないような「文化雑感」的なものを葉書に書くことにより、日々の日記の代わりのようなものになっていった。
しかも一通あたりのコストはわずか40セント(当時43円ぐらい)。エアメイルなのに、日本の葉書代とほとんど変わらないのである。
クラスの5年1組の子供たちにも一通一通書いた。ほとんどの子がはじめてのエアメイルだったので、大いに喜んだ。
私の父母、兄弟、そして同僚、友人たちにももちろん書いた。最終的には200枚ぐらい書いたことになる。
今改めて手元に残った絵葉書をながめる。その日、その日のことが鮮明に蘇ってくる。
旅に出たら絵葉書ー習慣になりそうである。
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