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2016.05.08

アメリカ研修記4

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ 授業にトライ

 アンに「2週間ぐらいして、英語がうまくなったら授業ができるかもしれない」と言われたものの、正直言って2週間で英語が飛躍的にうまくなるわけはない。
 英語が下手なまま授業をするしかないのだ。

 そう決めて、4日目に5年生のストーン先生に申し込んだ。
「来週、ずっと1週間授業を見せてください。そして、その中で1回、授業をさせてください。」
 ストーン先生は快諾してくれた。
 何をするのかと聞かれたので、即座に「ジャパニーズ・カルチャー」と答えた。もともとこちらの教科は教える気がなかった。というより、教えることができない。となると、日本の紹介しかないわけである。
 そのためのネタも日本にいる時にいくつか考えていた。

■習字を教える
■折り紙を教える(学級の子供たちに事前に作らせたものを持ってきた)
■世界地図を使って、日本やアジアの国を教える
■日本のあいさつを教える
■けん玉、こま、竹とんぼ、おはじきなどを紹介する
■簡単な象形文字を教える
■日本の有名なものを紹介する(すし、富士山等、学級の子供たちに書いてもらった絵を持ってきた)

 このうち、地図、あいさつ、有名なもの、象形文字を30分の授業の中で扱うことに決めた。
 まず最初にすべきことは何か。それは自分の言う英語を考えることである。発問も含むので考えるのに時間がかかった。
 授業で使う絵や地図などを一緒にストーン先生に見せたら、誤りを1箇所指摘されただけで「OK」と言われた。
 次は発音の練習である。何度も何度も練習していくうちに暗記をしてしまった。

 実際の授業では、子供たちは象形文字に特に興味を持ったようである。
 最初に「木」と書いて、「木はツリーの形をしています(絵をかきながら)。他の漢字もにています」と例を示した。
 これで子供たちは要領がわかったのか、「山」や「川」でどんどん手をあげてきた。
 一番難しかったのは「耳」。「ブレイン」「ヘッド」「アイ」「ノーズ」といった反応でなかなか当たらない。少し形をくずして絵を示して、ようやく「イアー」という答えが出てきた。
 この後から子供たちがいろいろと話しかけてくるようになった。
 親近感が増したからであろう。そして、名前をカタカナで書いてあげたらとても喜んでいた。
 やはり授業は見るよりもするほうが楽しい・・・つくづくそう思った。

★ 小学校の様子を学級通信に

 アインソワ―ズ小学校に行き始めて3週間目の木曜日。
 前日になかなか眠ることができなくて、この日はやや疲れ気味だった。ふだんは、歩いて学校から帰るものの、バスで帰らなくてはいけない状態だった。
 でも、その疲れも家に帰ってからは吹っ飛んでしまった。
 私が担任していた5年1組の子たちからの手紙が、大きな茶封筒にどっさりと入って届いていたからである。

 すぐに封をあけ読み始めた。
■ マラソン大会で学年2位だったこと
■ 市内の陸上記録会で大活躍だったこと
■ 文化祭が近く、作品制作をがんばっていること
といったことが書かれていた。
 考えてみれば、いつもこの時期は文化祭の作品作りのために1時間も惜しいようなところである。
 その中で、私に代わって担任してくださっている菅野先生が貴重な時間を私への手紙書きに費やしてくれたのである。
 それだけではない。
 私がいたときとは別の取り組みもしている。宿題を忘れる人が多くなったので、自分たちで話し合って目標を作り、それを達成したらお祝いの会をするという。
 楽しそうな企画である。

 すでに子供たちには、一人一人あてに絵葉書を出していた。
 おそらく、子供たちが手紙を書いた2~3日後には届いていたはずである。
 また、学級通信を1枚は送っていたものの、学校の研修が始まってからは出さずじまいであった。
 「よし、がんばって通信を書こう」
 日本にいる時には、毎日発行していた学級通信。
 しかし、ここに来てからは、1枚の通信を書くのにもかなりのエネルギーが必要である。
 日本にいる時には、担任だから書きたいことが次々と出てくる。
 しかし、単なる参観者にはそれは難しい。しかも、ワープロがないということが私にとっては大きな痛手であった。
 結局書いたのは3日後。それも1枚を書くのに1時間ぐらいかけて3枚送った。
 そのうちの一部を紹介しよう。

■オレゴン便り 3 「5年1組学級通信カルチェ・ラタン」より

 □スペイン語の授業
  私の通っているアインソワ―ズ小学校は、ポートランド市内唯一のスペイン語の授業をしている学校です。
 アメリカの小学校にはたいてい幼稚園が含まれていますが、その幼稚園からスペイン語の授業が始まります。ただし、全クラスではなく、学年1~2クラスだけです。
 ただ、その授業中はスペイン語しか使わないことに驚きました。
 単語の説明ぐらい英語でやるのかと思ったら違うのです。
 5年生になるともっと高度です。算数や理科をスペイン語でやっています。問題文もスペイン語、答えもスペイン語で言っています。
 英語の授業もなかなか理解できない私にとって、スペイン語は全くの「?」の世界でした。
 そんな私の姿をかわいそうと思ったのか、一人の女の子がスペイン語を英語に訳してくれるポケットコンピュータを貸してくれました。
 おかげでいくつかのスペイン語を覚えました。グラシアス!

 □子供は同じ

 アメリカの子供たちも日本の子供たちと変わりません。(当たり前ですね。)
 授業で、「日本ではグッドモーニングのことで【おはよう】と言っています。君たちは【オハイオ】(アメリカの州の一つ)と覚えるといいよ。」と言ったら、翌日の朝から「オハイオ!」「オハイオ!」でした。
 また、私がノートに書いている日本語に興味を示して、「自分の名前を日本語で書いてくれ」とせがみます。
 「キャサリン」「チェルシー」「フランク」などと書くだけでものすごく喜びます。
 やはり、どこの国の子供たちもかわいいものです。

 この通信が発行されるころは市内音楽会の直前だと思います。
 フレー、フレー、5年生!平常心で歌えば、きれいな歌声が体育文化会館に響き渡ると思います。

★リラックスの理由は

 アインソワ―ズ小学校の子供たちは授業中、リラックスしている。
 足を組んだり、背伸びをしたり、時には気分をリフレッシュするために、水を飲む子供もいる。
 まあ、リフレッシュと書いたが、私から見ると行儀が悪いように思われる。
 同じことを私が担任している子供がしたら、「行儀が悪い!」と注意しているところである。
 アメリカの教師たちは、姿勢についてはあまり注意をしない。それどころか、自分もリラックスをしていて、ミネラル・ウォーターを口にしながら授業する教師もいる。

 ただ、リラックスせざるをえないのには、理由がある。
 子供たちの学習時間が長いのである。
 たとえば、5年生の場合、8時45分から12時15分まで勉強をする。途中は10分間の休憩があるだけで、ランチまで実質3時間15分の学習である。
 午後は12時45分から3時15分まで。やはり、15分だけの休憩があるので、実質は2時間15分。
 合計で学習時間は何と5時間30分である。
 私の勤務する学校にある授業と授業の合間の5分間休みはない。
 だから、一つの学習が終わると、即、次の学習である。

 日本では、6時間授業の日でも、45分×6=270分=4時間30分の学習時間である。1時間もアインソワ―ズ小学校の子供達の方が学習時間が長い。
 しかも、体育、音楽、図工といった教科の時間は3教科合わせて週に4時間ぐらいである。

 こうなってくると、アメリカの小学生の学習がけっこうハードなことがわかるであろう。それらの長い時間、常に緊張を持続するのはなかなか難しいのは当然であろう。

 私が、「私の小学校の年間の授業日数は234日です(注・平成5年段階)。」と言ったら、「そんなに多いのか!」と驚いていた。
 アインソワ―ズ小学校は年間178日である。56日も差がある。だが、年間の子供たちの学習時間をトータルすると、おそらくアインソワ―ズ小学校の方が多いのではないか。
 このような視点から、授業日数の比較をしなければ意味がないであろう。

 ちなみに、オレゴン州では、2010年までに授業日数を210日に増やす予定である。


★ 個性を出す子供たち

 アメリカの子供たちと言っても、日本の子供たちと同じである。
 明るいし、珍しいものがあるとみんなで大騒ぎをする。喧嘩だってもちろんするし、幼稚園ぐらいでは、ちょっとしたことで泣き出す子ももちろんいる。

 ただ、決定的に違うところがある。
 それは、おしゃれで自分の個性を表現しようとしている点である。

 たとえば、女の子。
 5年生になると、女の子でピアスやイヤリングをしている子が半数近くいる。
 指輪をしている子も数名。
 メガネをかけている子にしても、個性的なものをしている。
 こうやってみていると、女の子では何も装飾品を身につけていない子は数えるのみである。

 そんな視点で見ていくと、教師のイヤリングも個性的である。特に5年生のマーチン先生などは、「教育イヤリング」と名付けたいくらいである。
 ある日は、鉛筆のイヤリング、次の日は地球儀のイヤリング、そしてハローウイ―ンが近くなると、パンプキンをくりぬいたお面のイヤリングと楽しませてくれる。

 そもそもこの国では、個性を出すべきということが暗黙の了解になっているようである。
 「私はみんなと違う」というように。
 それがよく聞く言葉である「インデペンダンス」の一つなのかどうかはわからないが、とにかく一人一人が違うことは共通理解されている。
 だから、黒人、白人、黄色人種と様々な人種が一つのクラスに入り混じっても何も抵抗がないのである。
 交じり合っているのが自然と考えているから、逆に日本のクラスに来て同じ人種ばかり・・・ということに奇異を感じるかもしれない。

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