私の教材開発物語第1回・第2回
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連載 「私の教材開発物語」第1回
「やはり、有田先生から始めます」(2001・3)
1 出合い
「先達に学ぶ」ということは、どのような場合でも大切と言われる。こ れは、教師の世界でも同様である。
有田和正氏。筑波大学附属小学校教諭、愛知教育大学教授を歴任 されて平成11月の3月にご退職された。私にとっては、教材開発その ものについて目を開かさせてくださった大恩人である。今もご講演や飛び込み授業で全国を行脚され、有田ファンも全国に多い。私もその一人である。
教師になって2年目。初めて講演を聞く。それは衝撃的な出会いであった。
子どもを見る目の大切さ、子どもの意欲をどう育てるかについて熱弁をふるってくださった。それもユーモアたっぷりにである。まさに名講演。「自分も何かをしたい」という気持ちにさせられるようなすばらしい講演だった。特に、「新たな教材開発を」という言葉が鮮明に記憶に残った。
教師になって3年目。多くの著書を読んでいくうちに、「やはり氏の授業をみなければならない。氏が鍛えた子どもたちを見なければならない。」と感じ、東京の有田学級(当時:筑波大学附属小学校)に参観に出かける。
授業が始まってからは、子どもたちの熱気ある発表ぶりに圧倒されっぱなしであった。3年生の社会科。教師が問いを発するたびに、次々と自説を主張する。「教師に対しても論争を挑んでいる・・・」そんな感じに映った。
「どうしたら、あれほど表現力のある子たちが育つのだろう」
「どうしたら、あれほど調べてくる子たちが育つのだろう」
その疑問のカギはやはり教材開発にある気がした。
ここから、本格的な私の教材開発が始まった。
2 ポイントは「視点のユニークさ」と「楽しさ」
それまでにも、身近に教材開発をしている先生はいたし、公開授業でも教科書にはない教材に取り組んだ授業を見たこともあった。しかし、正直言って魅力がなかった。
ではなぜ有田先生に惹かれたのか。それはやはり教材開発の視点のユニークさにある。講演では、一つの教材についてのおもしろ話が次々と出てくる。「よくこんな視点で考えることができるなあ」「この目のつけどころはすごいなあ」・・・今も年に数回、有田先生の講演を聞くたびに思う。
そして、その語る様子はいかにも楽しそうである。まるで教材開発する過程そのものが人生での道楽であるかの如くだ。事実、個人的な旅行の最中でも、おもしろい教材があるとつい「取材」をされるというお話を伺ったこともあった。
そのような有田先生から学んで十数年。いつの間にか私も、教材開発をすることが「楽しみ」になってしまった。次号から具体的な教材を紹介する。
連載 私の教材開発物語 第2回(2001・4)
「『もの・こと・ひと』で考える ~チリ地震津波の教材化~」
■「もの・こと・ひと」という視点
「これはおもしろいネタだ。」
いろいろな場面でそう思うことがある。しかし、そのままではそのネタはあくまでも素材にすぎない。その素材をどう教材化す るか。それが教材開発の楽しみである。
その教材化の視点として私が基本的に設定しているのが、「もの・こと・ひと」である。
□どのような「もの」(子供たちが追究できる実物や資料)があるか。
□どんな「こと」(学習内容)があるか。
□関わりのあるどのような「ひと」がいるか。
私が勤務する宮古市立高浜小学校は海の見える小学校である。
教室から眺めるその景色はまさに絶景である。その海では、古くから牡蠣漁、潮干狩り等が行われており、海の恵みを受けている。
一方、その海は過去の歴史では、「恐怖の海」でもあった。津波が襲ってくるからである。学区では、昭和35年のチリ地震津波で壊滅的な被害を受けている。
この津波を総合的な学習の対象にしたいと考えた。そして、先の「もの・こと・ひと」の視点で教材化しようとした。
■どのような「もの」があるか
どんなにおもしろいネタでも、子供たちが興味を示し、追究するに値するような実物や資料がなければ授業では扱うことができない。
それがこの場合の「もの」である。
昭和35年のチリ地震津波やいろいろな津波に関わる資料は、数多くあった。特に、地元自治会が編集した冊子の中にあったチリ津波地震の被害の様子を写した写真は、子供たちに津波について考えさせるのにインパクトがあるものであった。
また、現在取り組んでいる防潮堤作りの見学や市の消防署の津波対策の資料といったように、子供たちが追究できるものもある。これによって、子供たちなりの「津波防災プラン」もできそうだ。
しかし、写真や資料よりも、より強烈なのは直接体験であろう。
むろん津波を直接体験をすることは不可能である。ただ、その威力を擬似的に想像できる「もの」はないだろうか。そう考えた。
そこで思いついたのが、簡単な実験である。
大きめの水槽、土、砂、水等が使う「もの」である。水槽の中に、津波の被害を受けた宮古湾と似た地形を土と砂で作る。そこに水を入れる。そして、水槽を持ち、地震と同じような揺れを起こす。
これで、ミニチュアの津波シーンが再現できるのはないかと考えた。
■どんな「こと」があるか
津波や地震のような防災教育の場合、多くの例は「その怖さを伝えていくこと」に主眼が置かれている。
これは当然である。それがメインの「こと」(学習内容)になる。
このチリ地震津波の場合もそうだった。
しかし、学習を進めていくうちに、Aさんという津波体験者が書かれたある文章が目に飛び込んできた。
それは、「津波の恐ろしさ」だけではなく、津波の後に奉仕活動に取り組んだ中学生・高校生のこと、助けてくれた神父さんのこと等、「大変な事態の中での助け合い」「人間のすばらしさ」について書いたものであった。
チリ地震津波は、昭和35年である。今とは違って情報量も少なく、ボランティアもシステム化していない時代である。そのような人々の励ましによって、高浜は復興する。
それらはまさに「人間の誇り」「地域の誇り」である。
「津波の怖さを伝える」という「こと」の他にも、「助け合った人々」というもう一つの「こと」が、この総合的な学習での中心となったのである。
■どんな「ひと」がいるか
この教材に関わる人はいろいろと思われた。
「津波体験者」「津波についての専門家」「津波対策の仕事に取り組んでいる人」等である。
事実、資料を調べると、数多くの人が宮古市内にいることがわかった。単元に入る前に、津波体験者、防潮堤作成に関わっている人、消防署の方等から、電話で話を伺ったり、資料をいただいたりした。
この中で、一番子供たちの学習に強い印象を与えそうなのが、やはり津波の体験者と思われた。子供たちも、単元の1時間目にチリ地震津波の写真を見せた時に、「津波にあった人の話を聞きたい」と言っていたことも、その理由である。
子供たちの家族で体験者がいないかどうか聞く。祖父母を含め半分近くの家で体験者がいることがわかった。
同僚にも聞く。地元の老人クラブの皆さんがお勧めだということであった。(今までも学校でお呼びしたことがあった。)
このように体験者はいたものの、「決定的」という方はいなかった。
再度、津波関連の「もの」にあたった。
市立図書館に出向き、チリ地震津波関係の冊子を幅広く探す。
すると、地元のミニコミ誌のバックナンバーに、先の「こと」で述べたAさんの文章が目に入ってきたのである。
「津波の怖さ」だけではなく、極限の中での 「人間の誇り」「地域の誇り」といった「プラス・アルファ」の世界に、子供たちの視野を広げ ることができる・・・そう考えた。
事実、Aさんをゲスト・ティーチャ―として招いた時には、事前に子供たちに、「津波の怖さだけではなく、大変な中での助け合いの話を聞いてください。」と言っていたので、その面でも多くの質問が出た。
Q「中学生や高校生はどんなふうに助けてくれたのですか。」
A「5~6人で1軒の家をそうじしてくれました。かべをふいたり、衣類を洗ったりしてくれました。子供たちが、がんばるのを 見て私たちもがんばらなければと思いました。」
Q「神父さんに助けてもらったと作文に書いていましたが、どんな感じだったのですか。」
A「神父さんは、スイスから多くの衣類を送ってくれました。その時代に外国の物が届いたことに驚きました。その中に、ブルーのガウンがあり、ずっと大切に使わせてもらいました。ガウンと同じ色の目をした神父さんの笑顔も忘れられません。」
Q「助けてもらった時の気持ちはどのようなものでしたか。」
A「本当にありがたいという気持ちでした。いつか恩返しをしようと思いました。」
このような話を聞いて、「こんなにいっぱいの人に助けられたのを知ってびっくりした」「いい話をぼくたちも伝えたい」とい った率直な感想を子供たちはもった。
「ひと」から学ぶメリットは、「リアリティの凄さ」に触れることである。
そのよさが出たゲスト・ティーチャ―との授業になった。
■最終的にはこのような総合的な学習に
「もの」「こと」「ひと」の観点で教材開発で、最終的には、次のような単元構成となった。
□単元名「伝えよう!津波のことを」(全13時間)
□主な学習活動
・津波被害の写真からの話し合い
・津波のメカニズムの実験
・過去の津波の歴史や被害についての資料収集
・津波体験者からの聞き取り
・津波を防ぐしくみの調査と自分たちの防災プランの作成
・津波のことを伝える発信活動
「もの」をフルに使い、「ひと」から直接大事な「こと」を子供たちは学んだ・・・そんな総合的な学習になったと思っている。
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