私の教材開発物語第17回・18回
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連載 私の教材開発物語 第17回(2002年)
「アテルイ」 ブームに乗ったフィールドワーク
■ 夏休み、フィールドワークのチャンス
間もなく夏休み。教材開発を楽しみにしている者にとっては大好きな季節である。
通常であれば、私は3つのパターンで夏休みのフィールドワークを行う。
1 夏季の研修大会で訪れた地でのフィールドワーク
私がここ数年連続で参加している授業づくりネットワークの夏大会が、今年(2002年)は北海道で行われる。私の住む岩手からでも、北海道はやはり遠い地であり、未知の部分が多い。どこを訪れようか今から楽しみにしている。
2 家族旅行を利用してのフィールドワーク
毎年家族旅行をしている。行く先々が全て私にとってはフィールドワークみたいなものである。「何も旅行で仕事をしなくても」と思われるかもしれないが、自分の意識の中では「フィールドワーク=仕事」という意識はない。むし
ろ趣味みたいなものである。調べれば調べるほど、楽しい。今年は日光・那須行きを計画中である。
3 市の教育研究会のフィールドワーク
これは公的団体のフィールドワークである。今年転勤をした水沢市の社会科教育研究会で事務局を引き受けた。誰も希望をしないので、「よければ私がします」と言ってなったものである。今までの勤務していた市の社会科部会でも長いこと事務局を引き受けてきた。メリットは事業計画を思い通り立てることができる点である。フィールドワークもその一つである。
公的団体であれば、個人では見せてもらいにくいような所も見せてもらえる。また、講師の依頼もしやすくなる。
今回のフィールドワークの話はこの市教育研究会のフィールドワークである。
■ 「アテルイ」ブーム
市教育研究会の事務局を引き受けて、夏休みのフィールドワークの計画を立てる時に、すぐに思いついたのが「アテルイ」のことである。
7世紀に入り、律令国家建設を目指す朝廷が、東北のエミシ(私の住む水沢市に当時住んでいた人々)征伐を開始する。8世紀後半になると、朝廷はエミシの本格的な攻略を試みるが、これに立ち向かったのがエミシのリーダーである阿弖流為(アテルイ)なのである。
『続日本紀』などの正史によるとアテルイは、802年に征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏するまで3度にわたって朝廷軍と交戦している。この中でアテルイの名を高めたのは、一回目の戦いである。朝廷軍5万人に対して、アテルイらはわずか千数百人。それでいながら巧みな陽動作戦で朝廷軍は大打撃を受ける。そこで、2回目の戦い、3回目の戦いとなるわけである。
結局最後には坂上田村麻呂率いる朝廷軍に降伏し、都で処刑される。その年が802年、つまり今からちょうど1200年前である。
そこで、今、私の住む水沢市では「アテルイ没後1200年」事業がいくつか計画されている。博物館がアテルイの企画を次々と出したり、学習会やコンサートが行われたりする予定である。
この動きは、一地方都市水沢市だけではない。秋田の劇団「わらび座」が、「ミュージカル・アテルイ」を全国公演で行うし、また、長編アニメ「アテルイ」も製作され、間もなく上映される。さらに8月には、新橋演舞場で市川染五郎主演「アテルイ」が公演される。
これは一つのブームである。
■ なぜ、今アテルイか?
なぜ地方の一指導者、それも1200年も前の人物が脚光を浴びるのか。
一つは「町おこし」があるだろう。アテルイによって水沢市の知名度が上がれば、市にとってはメリットが大きい。
しかしそれ以上に、自分たちの住む地域から出た「英雄」のことを後世に伝えたいという思いが人々にあるのではないか。圧倒的に不利な状況で朝廷軍を破ったところに歴史のロマンを確かに感じる。
私自身も水沢で育つ子供たちには、「自分たちの住んでいる地域では、千年以上も前にこのような戦いがあった。そこで敗れはしたが、アテルイのことは誇りに思っている。」と言えるようになってほしいと思う。
そのような人物がどの市町村にもいるであろう。
幸い、水沢市には戦いの跡の碑、アテルイの本陣となった山、田村麻呂にゆかりのある神社等、フィールドワークに相応しい場所がいくつもある。歴史に詳しい市埋蔵文化センターの所長さんに講師をしてもらいながら、フィールドワークを行うことにしている。
なぜブームなのか。どんな足跡がこの水沢にあるのか。その点を今回のフィールドワークで確かめたいと思う。
そして、2学期には担任している4年生の子供たちに特別授業を行いたいと考えている。
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連載 私の教材開発物語 第18回
キーワードは「町づくり学習」
■ 素材が豊富だ!
4月。現任校に転勤して、すぐに総合的な学習のチーフとなった。
さっそく年間計画を見る。学区を中心とした地域を対象とした単元が、どの学年もずらりと並ぶ。「水沢ネィチャーランド」「日高火防祭博士になろう」「乙女川探検隊」「先人から学ぼう」・・学区の住人でもある私には、「魅力的な素材を集めたなあ」と初めて見た時に感心をした。地域の祭りも、地域の川も、そして水沢市の特色である先人(後藤新平、高野長英、斉藤実など)も素材として一級品である。きっと子供たちも生き生きとして取り組むだろう。そして、このような素材が豊富な学区に転勤してきたことを幸せに思った。
■ 「点」を「線」にする必要性
1学期、自分が担任をする4年生で総合の実践を行う。同時に他の学年の実践の様子も知る。それぞれの学年が地域に出掛け、対象から学んでいる。
しかし、本校の総合的な学習に不足なものがあると感じた。
それは、「各学年を貫くキーワード」である。
「地域」はあくまでも素材であり、対象である。各学年に通じるキーワードがない現状では、それぞれよい学習をしていても、それらが「点」になってしまうおそれがある。
各学年でバラバラの活動になり、学校としての子供を育てる道筋が見えないのである。何とかキーワードを見つけ、各学年の学習を「線」にして関連づけたい。そう考えた。それも骨太のキーワードである。
しかしながら、1学期中はそのキーワードが見つからなかった。
■ 「町づくり」をキーワードに
そんな中、出会ったキーワードが「町づくり学習」である。これは寺本潔氏が提唱しているものである。町づくりに関する著書もいくつか出ている。(寺本氏は「まちづくり」ではなく、あえて「町づくり」という用
語にしている。ここでもそれに倣う。)
考えてみれば、1学期の総合の実践は全て町づくりと関わっている。日高火防祭の実行委員の方は「この町の伝統のあるお祭りを後世に引き継ぐのが自分の役目」と話されていたし、乙女川に関わる皆さんも 「よりよい町にするため」と話されていた。
先人の記念館の関係者も、商店街を活性化しようとしている人々も最終的には水沢がよりよい町になることを願っている。
さっそく2学期の各学年の年間計画にも目を通す。5年生の「ハッピーボランティア大作戦」であれば、自分たちができるボランティアで町づくりの一端を担うことができるであろう。6年生の「世界に目を向けて」であればドイツ
の姉妹都市の様子を詳しく調べ、交流に一役買うこともできるかもしれない。
どの単元でも「町づくり」をキーワードにすることは可能である。
■ 総合だけではない
考えてみれば、この「町づくり」というキーワード、総合だけではなくいろいろな教科にも通じるものがある。
地域を対象とすることが多い生活科はもちろん、中学年社会科は地域の学習が多い。(私の担任する4年生では次の時間に「町の昔調べ」を行う予定である。)図工で地域の風景を写生することもあるし、理科では地域の自然に触れる。特別活動で地域の太鼓や踊りを学習することもある。いろいろな学習が「町」と関わっているし、さらに実に多くの「町の人々」も総合を含めたそれらの学習に関わっている。
■ 「町づくり」をキーワードにする意味
本校で行っている地域に関わる学習活動は、多くの学校でも行われているものであろう。
それを「町づくり」というキーワードで括ると、様々なよさが出てくると考えている。たとえば次のようなことである。
・子供たちの学習のゴールの道筋が明確になる。単に調べて終わりではなく、
自分たちなりの町づくりへの提案が出てくる。
・各学年の学習に町づくりを核として関連性を持たせることができる。
・町づくりに関わる地域の人々に直接会う機会が増える。
・子供たちが地域により愛着を持ち、「町はふるさと」という意識が高まる。
これから実践の段階であるが、先のようなことを期待している。
先進校に学びながらのこれからの実践、私自身が楽しみにしている。具体的な実践については今度報告したい。
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