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2016.07.17

私の教材開発物語第23回・24回

【ホームページ移行のためのリバイバル掲載です】

連載 私の教材開発物語 第23回(2003年)

「地図帳活用技能を伸ばすために」

■ 地図帳技能をよく見てみると・・・

 本メールマガジン1013回(2002年11月17日)に「地図帳は〇〇」という題で、地図帳活用について書いた。4年生の子どもたちに、地図帳の有用性について感じ取らせる授業についてレポートしたものである。
 それから3ヶ月。教科書の内容も「県の様子」に入り、地図帳を学習で活用する機会も増えた。4月には新品だった地図帳が、活用回数に比例して汚れていき、履歴の印もどんどん増えていった。もちろん喜ばしいことである。(以前、6年生を担任した時にあまりにも新しい地図帳を子どもたちが持っていて驚いたことがあった。当然、地図活用の力も低かった。)
 しかし、そのような子どもたちでもこちらが歯がゆくなることがあった。
・地名を索引で探すものの時間がかかる
・市と町と村の区別がつかない
・高速道路・新幹線・JR線・国道の区別がつかない
・四方位が瞬時に言えない・・・・等
 むろん自分の指導の結果である。「地図帳に触れる時間が長ければ長いほど活用の力はつく」と思っているものの、それだけでは不足である。「意図的な指導を繰り返し行う」という文言を加えなければいけないと感じた。

■ トピック的な指導後も意図的な指導を繰り返す

 地図記号については、地図帳を初めて使う時にトピック的に一通り教えた。たとえば、市と町と村の違いはもちろん、市の人口別の記号の違い、都道府県庁所在地の記号も教えている。
しかし、何度も使ってこそ子どもたちは覚えていく。たとえば、釜石を探させた後、「『釜石』は市ですか、町ですか、村ですか」と問う。さらにその後、町の記号や村の記号、市の人口別の記号を確認するというように、「意図的に記号を覚えさせる」という指導が必要なのである。
 何度も何度も繰り返すうちに子どもたちの反応が早くなってくる。子どもたちも自信を持つ。それは地図帳への興味につながる。今まで見えなかったものが見えてくるからである。
 現状の授業時間を考えれば、「地図帳の指導」というトピック的に扱う授業の時数は限られている。いかに日常の授業で教師が意図的に指導していくかがポイントとなると思う。

■ 活用が継続する仕組みを作る

 そのような意図的な指導も継続性がなければ意味がない。
 私自身の今までの経験から、最初は意気込んで続けるものの、そのうちその指導が途切れてしまうという失敗が何度もあった。また、他教科で子どもたちに地名を引かせたい時に社会科の授業がその日になく、調べることができないということもあった。
 そこで3学期から朝の会で次のような取り組みをしている。

・教師が新聞やテレビ(ビデオ録画)を使いニュースを紹介する
・同時にそのニュースの地名を必ず地図帳で調べさせる
・関連した地図に関わるクイズ(「記号」や「その県や国に関すること」等何でも)を行う

 時間にして3分ほど。「子どもたちが新聞を読むにようになってほしい」「ニュースに興味を示してほしい」という願いもあるが、一番は「地図帳で調べることが当たり前になってほしい」ということである。
 そのために地図帳は机の脇にかけてある袋に入れている。社会科の授業があってもなくても、すぐに取り出すことができる。その袋には国語辞典を1学期から入れており、国語の授業だけではなくいろいろな学習で頻繁に使ってきた。それと同様に、子どもたちにとっては地図帳も「調べる」ものから「引く」ものに変わったようである。

■ 地図活用の定番授業「岩手県一周旅行日記」

 私が4年生を担任した時に行っている実践に「岩手県一周旅行日記」(もちろん地図帳上だが)がある。次のような指示で行う。(ワークシートを活用)

1 今日は旅行をします。地図の旅行です。岩手県一周旅行です。その旅行日記を書 きましょう。書き方は、日記です。出発地はみんなの住んでいる水沢です。まず地図を見て、「水沢から北へ〇km、〇〇市につきました。
 ここでは〇〇が見えます。」というように書きます。方角、距離、特色を書きます。最初にここまで書いてみましょう。(最初に書いたものを発表させる)

2 では続きを書きます。見えたものだけではなく、聞こえる音、匂いもぜひ書いてください。絵にしてもいいです。(何人か発表させる。他の子どもたちは地図帳を見ながら聞く。)

3 何か所か行きましたね。ここで食事にしましょう。メニューは君たちが作ります。「岩手県スペシャルランチ」です。岩手県の特産品で作ります。「前沢牛のステーキ」というように特産地がわかるように書きます。絵にしてみましょう。

4 あと5分ぐらいで水沢に戻ります。1ヶ所だけどこかに寄って帰りましょう。そして、最後に旅行の感想を書いておわりです。

 今まで子どもたちが身につけた地図活用技能がフル回転される設定となっている。今年度の実施予定は3月上旬。それまで子どもたちの力を最大限伸ばしたいと考えている。

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連載 私の教材開発物語 第24回

「8年越しの『実践』」

■ 8年越しの「実践」

 3月。今年も別れの季節となった。今年はよく担任した8年前の卒業生との別れを思い出す。というのも一つの「実践」が終わったからである。
 教師になってから10年目(1995年)。2度目の6年生担任として卒業させることになった。卒業前の特別イベントとして、「お世話になった家の人への感謝状」「卒業記念短歌・俳句」「学級通信『思い出シリーズ』」等を行った。その中でこの年初めて行ったものに、「20才の自分への手紙」があった。
 当時書いたレポートからどんな活動か紹介をする。

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 自分の未来に思いをはせる・・・・それはロマンあふれることである。そして、自分が思いをはせた時のことを、未来の自分が知ることは興味のあることである。
 その方法の一つとしてタイムカプセルがある。ただ、「〇才になったらあけよう」といっても、その手間は大きなものがある。
 もっと気軽に自分の小学校の時の思いが伝わる方法はないかと考えた。それが、「20才の自分への手紙」である。そのころ子どもたちは青春真っ只中である。きっと、「小学校の自分ってこんなことを書いていたんだ」と懐かしがるに違いない。
 国語の時間を利用して、手紙を書かせた。

20才の私へ
 こんにちは。私は過去からきた12才のあなたです。今日は、3月16日。
 あと3日で卒業式というところです。
 あなた(私)は今、何をしていますか。「自分の店がほしい」という夢はかなっているかしら。今は、どこで暮らしているの?車は何にのっているの?
 まあ(この手紙を書いているこの年から)8年後には、分かることだけど。

 子どもたちが封筒に自分あての住所を書き、教師が保存する。そして切手を貼り、8年後に発送するだけである。ただ、これだけのことであるが子どもたちは大喜びであった。封筒の中には、思い出の写真やプロミスリングを入れるものもいた。
 私自身も発送が楽しみである。

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 この発送を行ったのが今年度だったのである。

■ 担任の思い

 卒業をすれば子どもたちは学校から巣立つ。小学校のことなど、中学校や高校の記憶に比べれば薄いのが普通である。同級会も自分の経験からも中学・高校が圧倒的だ。
 しかし、自分が一人前になった時にふと小学校時代を振り返る一瞬があってもいいのではないかと考えたのが、そもそものきっかけである。
 この手紙の保管場所は我が部屋。輪ゴムで束ねられた手紙を見るたびに、もうすぐ発送だなと感じていた。また、その後担任した子供たちに「20歳の自分への手紙」を書かせるたびに、あの子たちの発送まであと〇年だなあと思ったものである。

■ 発送、そして・・・

 さて、いざ発送。その子たちが卒業した市ではお盆に成人式がある(帰省に合わせて)ということで、夏休み中に送った。子どもたちの手紙に、私の近況と連絡先を書いた手紙を同封した。住所が変わった子どもたちもいたが、調べに調べて何とか全員分とどけることができた。
 発送翌日、すぐに数人から反応があった。全てメールである。

★手紙届きました!HPも拝見しました。お元気そうでなによりです。日曜にYさんと遊んだ時、この手紙の話をしてたんですよ!私は今、〇〇の〇〇科に通ってます。就職が厳しくて大変です!この不景気ホントどうにかしてほしいです。15日の成人式、みんなどれほど変わっているのか楽しみです。では、これからもお仕事がんばって下さい!手紙ありがとうございました。

 学級会で活発に発言をしていた子からである。時々手紙を送ってくれていた筆まめな子であった。メールも一番であった。

★先生、お久しぶりです。小学校を卒業してから、早いもので八年も経ったんですね。今、私は専門学校に入学し、現在2年生です。先生から届いた手紙を読んで、少しだけ小学校の時のことを思い出し、少しセンチになりました。先生の怒った顔、笑った顔、泣いた顔、印象に残ってます。また、卒業式の日の泣いてた顔、今でも忘れません。また、いろいろとあばれて度々先生怒らせていましたね。

 やんちゃだった子からである。心配なところもあったが立派に成長している近況に嬉しさがいっぱいになった。

★「8年前からの自分からの手紙」は、この夏一番の衝撃でした。先生から手紙が届いた時、初めは困惑しました。なんで8年前の先生から?と思ったのです。いや、封筒の裏に12歳の僕と先生の名前が書いたあったことが、一番僕の頭を悩ませました。封を切り、中身を見ると、僕は顔が紅潮するのを自覚しました。先生からの手紙を読んで懐かしさと嬉しさがこみ上げ、自分からの手紙を読んで年月の経過を思い知ったのです。恥ずかしながら、先生の言葉どおり、小学校6年の時に書いた手紙をすっかり忘れていたのです。

 このように「忘れていた」という子も何人かいた。逆にそういう子は予想外の喜びだったようである。子どもたちからの返信が気軽にどんどん届いたのは、やはりインターネット社会からかなと感じた。手紙だとこのようにはいかないかもしれない。
 もっとも、数日してから今度は何通かの手紙が届いた。メールとは違い、これは格別の味があった。小学校の筆跡と似た文字、そして心がこもった文章はやはり手紙のよさだと改めて感じた。
 いずれ、うれしい声・声・声であった。親御さんからも メールをいただいた。
 反応は期待していなかったといえば嘘になるが、なくても構わないと思っていたのは事実である。そんな中次々と来たメールや手紙の有難さ。格別の嬉しさであった。

■ 教え子に励まされた自分

 メールや手紙には小学校時代の行事のこと、授業のこと、私自身からかけられた言葉等、いろいろなことが書かれていた。
 それらは言ってみれば「私の仕事の評価」とも言えるものであった。もちろん、担任時代にも子どもたちから授業の評価等はしてもらったものの、今回は成長した教え子から見た評価である。子ども時代とはまた違った参考になるコメントが、そこにはあった。
 そして、それらはこれからの自分の仕事に大きな支えとなっている。そういう意味では、子どもたちの「20才の自分への手紙」の返信は、「教師である自分への教え子からのプレゼント」なのだと感じた。これから数回、同じよう
な「20才の手紙」の発送がある。今回と同じように「小さなドラマ」があるのではないかと、ちょっぴり期待している。

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