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2016.08.11

HP移行原稿「鞭牛和尚資料館を作ろう」「津波のことを伝えよう」

★ 鞭牛和尚資料館を作ろう(4年)

1 資料館作成で意欲化を図る
 社会科での「先人の開発」の学習。ここでは、郷土の先人の地域の開発に功のあった人物を追究していくものである。
 今回は、江戸時代に閉伊街道(今の国道106号線)を切り開いた鞭牛和尚を取り上げることにした。
 ただ、鞭牛和尚のことを資料から学ぶだけではおもしろくない。何とかして子供たちに興味を持たせたいと考えて、次のようにした。
 実際に多目的ホールを資料館にして、他学年の人に見てもらうことにした。このような意識があるとないでは、子供たちの気持ちもずいぶんと違う。

2 資料館のイメージの確認
 まずは「資料館」のイメージを確認した。「資料館にはどんなものがあるか」ということである。
 子供たちがすぐに思いついたのは、地元の「水産科学館」。他に行ったことがあるものとしては、「宮澤賢治記念館」が出てきた。私も自分が取材した新里村の「新里村民俗資料館」をビデオで紹介をした。ここには、実際に鞭牛和尚が使った道作りのための道具等も展示されており、子供たちにとって興味を示すものばかりだった。
 それらのイメージから資料館の内容を考えさせた。

3 資料館作り途中経過
 資料館作りに入る前に、当然子供たちは鞭牛和尚についてかなり学習を深めている。ある程度の知識や共感がなれけば、何を内容としていいかわからないからである。ここでは、それらを略す。
 さて、子供たちを5つのグループに分けた。鞭牛和尚に関わるキーワードから、次のようにした。

1 道作りグループ・・・道を作るときの苦労を紙芝居にまとめる
2 道ができた後のグループ・・・できた後の人々の生活の変化を紙芝居に。
3 道具グループ・・・・使った道具を再現して、劇化する。
4 石碑・像グループ・・・鞭牛にまつわる石碑等を画用紙に再現し解説する。
5 道がないころのくらしグループ・・・悲惨な生活ぶりを本にまとめる。


4 オープン前に厳しい交流会
 資料館オープンの前に子供たちに、各グループの交流会を、次のように言って、行った。

  今度の資料館での発表は、今までの発表とは違います。他の学年に見せるものです。「より分かりやすく伝える」発表にしてほしいと思います。そのために、他のチームの発表への要望をどんどん言いましょう。それが、「分かりやすく伝える」ために大切なことです。

 実際に交流会では、一つの班が終わるごとに次々と要望が出てきた。
・声が小さいので、もっと堂々と言った方がいい。
・簡単すぎる発表なので、もっと付け加えをした方がよい。
・これは間違いなので直してほしい。
といった具合である。
 この交流会で本番は見違えるような発表になった。

5 資料館オープン
 当日は休み時間のオープンとなった。(全校に見せるため)
 5年以外の学年70人のうち、半分ぐらいの子供たちが見学にいた。
 1~3年生の子供たちには一生懸命に学んだことを説明する。5・6年生の先輩方からはアドバイスをもらったり、自分たちが知らない鞭牛和尚のことを教えてもらった。
 「資料館にする」ということで、子供たちはより鞭牛和尚のことを深く学ぶことができたのである。

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★津波のことを伝えよう(4年)

1 災害の中での人間の尊さ
 昭和35年のチリ地震津波。この歴史は本地域にとって忘れられない。
 一瞬のうちに財産はもとより、時には生命さえも奪う津波。
 そのチリ地震津波によって本地域も壊滅的な被害を受けた。小学校校舎もブランコやすべり台校庭の遊具は流され、丸太が教室の壁を突き破り、机や椅子も荒れ放題という有様であった。
 この津波の歴史は、人々の努力によって語り継がれてきた。その恐ろしさ、悲惨さについてである。

 今回4年生の総合的な学習の一つとして津波を扱った。単に津波の恐ろしさだけではなく、津波が起こるメカニズム、自分たちにできる津波対策、チリ地震津波の時に助け合ったという人間の尊さ等に範囲を広げて学習をした。最後には「津波のことを伝えていく」活動を通して、まとめた。
 この中で私が一番重視したのが、津波被害の中での助け合いである。
 現代と違い、情報量もなくボランティアもシステム化していなった時代に助けあった人々。そうした人々の励ましによって、高浜は津波からの復興に立ちあがる。これはまさに「人間の誇り」「地域の誇り」である。

2 岩田アイさんへの聞き取り
 チリ地震津波の被害にあった岩田アイさん(学区在住)に、学習の一環として聞き取りを行った。
 事前に子供たちには、次のように言った。

  チリ地震津波の被害の様子はいろいろな記録に残っています。でも助け合った様子はあまり記録に残っていません。岩田さんにその点をたくさん質問してください。

 さっそく岩田さんに助け合いの様子を聞く。

 Q「中学生や高校生は、どんなふうに助けてくれたのですか」
 A「5~6人で一軒の家をそうじしてくれました。かべをふいたり、衣類を洗ったりしてくれました。」
 Q「どんな気持ちでしたか。」
 A「子供たちががんばるのを見て、私たちもがんばらなければと思いました。」
 Q「神父さんにも助けてもらったと作文に書いていましたが、どんな感じだったのですか。」
 A「神父さんはスイスから来た方で、スイスから多くの衣類を送ってくれました。その時代に岩手の片田舎に外国の物が届いたことに驚きました。」

 直接人から学ぶことはインパクトが強い。子供たちも次のような感想を持った。
・大ぜいの人々を助けてくれたしんぷさんや中学生の人の話にかんげきした。私も心のやさしい人になりたいです。
・いろいろな人に助けられて、その助けた人に会ってみたいと思いました。

3 見える日本人のよさ
 岩田さんの話には私も感動した。人間はここまで助け合えるんだということが深く感銘を受けた。
 この話を聞いた直後、偶然にテレビで関東大震災の時の様子を写したテレビ番組を見た。そこに映ったのは、大震災の直後にもかかわらず、パニックにならずに整然と並んで援助物資を受け取る大正時代の人々だった。その姿に、フィルムを回していた外国人も驚いたという。
 私たち日本人には、本質的のそのようなよさが伝わっているのかもしれない。

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