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2016.09.08

【HP移行原稿】佐藤学級1年目

■1年目(昭和60年度・23歳) 江刺市立愛宕小学校3年A組

■ 念願の教師に
 大学卒業時に採用試験不合格だった自分。家庭の事情でアルバイト三昧だった大学時代は、十分な採用試験対策もしなかったため、あえなく一次で不合格。講師の口も希望をすればあったとは思うが、「会社に入るのもおもしろそう」ということで、学習塾の会社に入る。教えることがメインの仕事であったが、セールス等の様々な仕事もした。社会人1年目だったため、失敗もしばしば。社長にこっぴどく叱られ、会社で涙が止まらなかったこともある。でも、この1年間は教員では体験できない貴重なことばかりだった。
 そんな中で受けた採用試験。運よく岩手県が採用してくれた。今のように倍率が高くない時代。その点では本当にラッキーだった。県南を希望していたら、江刺市とのこと。採用前に訪れた日、春の青空が広がっていたことを思い出す。

■ 子どもの前に立つ
 初めて出会った子どもたちは3年生(学年2クラス)。会社では中学生相手だったので、ずいぶんかわいいなあと思ったものである。出会った日に、ある子が聞いた。「先生、休み時間、遊んでくれる?」「もちろん、一緒に遊ぼうね。」 この年優勝した阪神タイガースの野球帽をかぶった子は「やった!」と喜んでいた。
 それからは本当に休み時間は子どもたちとよく遊んだ。サッカー、鬼ごっこ、遊具遊び・・・。遊びのために授業時間はきっかり終了。すぐに子どもたちと汗だくになって教室に戻ってきた。授業の腕など未熟に決まっている。その未熟さを遊ぶことでカバーしていたのかもしれない。

■ 子どもが集中していない・・・
 しかし、休み時間の遊びで学級経営がうまくいくほど甘くない。6月に新採用者対象に研究授業をすることになった。(なぜか自分が指名された) 今のように長い初任者研修などない時代だったから、そのような研修があってものんびりしたものだったが、当時の教頭先生が心配して授業を1時間参観してくださった。その中で言われたのは
「子どもが集中していない・・・」ということであった。
 それまで教師の授業行為ばかり意識していて、子どもたちに目を注ぐことをあまり気にしていなかった。それだけで精一杯だったのである。
 そこから6月の研究授業に向けて学級の立て直しが始まった。様々な手立てを講じたことを覚えている。研究授業も何とか乗りきった。この年は合計5回の研究授業を行った。一つ一つが立て直しの場になった。

■ たくましい子どもたち
 今考えたら子どもたちはたくましかった。私が住んでいたのは、隣の学区のアパート。子どもたちの家とは数キロ離れていたのであるが、休日は走って遊びにきたものであった。10人ぐらいの団体で来られた時にはさすがにアパートに入りきらなかった。
 自己主張も子どもたちはよくしていた。日記を毎日書かせていたので、子どもたちの心がその分見えたものであった。

■ 研修の場
 新採用ということで「忙しかった」(今考えると十分な時間があった時代)ためか、あちこちの研修会に行くということはあまりなかった。そんな中、組合に入って生活指導の学習会や青年部教研に行ったことは、刺激的であった。「自分もレポートを書く人にならなくちゃ。読む人でとどまっていちゃだめだ。」と思ったものである。
 組合には10月に加入。学生時代の卒論の一部に石川達三の「人間の壁」と取り上げたことがあり、最初から加入することは決めていた。職場は40代以上がほとんどだったから、青年部での横のつながりは貴重であった。

■ ありがたき親御さん、職場の先生方
 今考えれば授業の腕が未熟なのに、親御さんは有り難かった。温かく見守ってくださったからである。最初の授業参観の時に眠ってしまった子がいても、学級通信を全く出さなくても・・・である。違う学校だったら、次々に要望が来ていたかもしれない。
 それどころか、独身だからということでよく食べ物を頂いた。ある時など、おでんの入った鍋がアパート入り口に置かれていたこともあった。(次の日にある子が「おでん、あったでしょう」)
 職場の先生方も有り難かった。何もわからない新採の活動を見守ってくれたからである。たとえば6年生を送る会の出し物練習でも同学年の先生は一切任せてくれた。指導案も事前検討会で「こうしたら」と意見はいただいたが、「でも、こうやらせてください」と主張を通したこともしばしばだった。そのあげく失敗をするのだが、その方が無難に成功するより学びが大きかったと今となっては思う。

 それにしても教育関係の本はさっぱり読まなかった。教育雑誌を数冊、本を月に2,3冊読む程度であった。大学時代のなじみの本を読むことの方が多かった。前年まで年に百数十本見ていた映画も、映画館が少ない地ということで激減。「ライフワークに」と思っていたが夢の如く消えた。

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