通信制大学院

2017.03.05

口頭試問終了

通信制大学院の学修もいよいよ終わりが近づいてきた。
昨日は修士論文の口頭試問。
改めて自分の論文を読み直して、説明の準備をしたり、想定質問の答えを考えて臨んだ。
30分はあっという間。まずは無事終了してホッとした。
あとは学位取得を待つだけとなった。

先の準備は大学の図書館で行った。春休みということもあり、学生は数人しかおらず、静かな環境だった。
この図書館、ゼミやスクーリングで訪れた時にしか利用できなかった(合計10回ぐらいか?)が、本当に素敵な図書館だった。集中して学べる環境。疲れた時には庭の木々に目を向け、興味ある本をソファーで閲覧できた。電源が全ての席にあることも有難かった。

学位を取得したら、その式に来るのが最後となるので、この図書館ともお別れとなると名残惜しかった。こういう環境で学ぶことができたことを感謝したい。

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2017.01.30

修士論文を提出した

明星大学通信制の大学院に通って2年目。
一昨日,修士論文を提出した。

通信制といえども指導教官からは直接御指導をいただくために,多摩のキャンパスには今年度だけで6度通った。昨年度は3回プラススクーリング3日間。合計10度の指導の場は自分の研究力を進めるための大切な場となった。

指導教官からは,序章の内容についてかなり厳しく指導を受けた。

〇この研究をする意義は?
〇先行研究との違いは?
〇子どもたちに新たな教材を教える意義はあるのか?
〇なぜそのような評価方法で行ったのか?
〇この言葉の定義は?

一つ一つ問われる度に自分の甘さを痛感した。
それらが次回までの宿題となり,次にはまた新たな宿題が発生するという感じだった。

そしてラスト2ケ月は必死になって執筆に取り組んだ。
直前は睡眠不足との戦いだった。これが働きながら学位を取る厳しさだと感じた。
無事提出した翌日は溜まっていた疲れがドッと出た感じだった。

もちろん,今回の修論提出は自分にとってはゴールではない。
今後の研究のスタートだと思っている。

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2017.01.26

修論もラストスパート

1月の末が修士論文の締切であり,今はその取り組みのラストスパートだ。
20日の午後に有給休暇をいただいて,大学院へ。研究室で最後の御指導を受けた。そこからは,睡眠を削りながら,毎日修正に取り組んでいる。当たり前だが,仕事自体は変わらないので時間確保のためには,睡眠を削るしかない。体力的には厳しいが,「今の時期だけ」と思うと不思議と時間ほどの疲労感を味わわないものだ。(あとでどっと来るのかもしれない。)

さて,修士論文を読めば読むほど修正箇所が出てくる。「ここは伝わらないな…」「もう少し書き足すことでわかりやすくなるなあ…」というのものだ。今まで書籍や雑誌の原稿では,あまり修正をしない。それが修論の場合には通じないのはわかっているので,それを今学んでいる感じだ。提出まで限られた時間であるがラストスパートである。

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2017.01.16

あっという間の冬休み

先週段階で日本の一部の地区(北東北や北海道等)を除いて3学期が始まっていることであろう。
我が岩手県も,夏休みが短い分,冬休みが長い。その冬休みも今日で終了。今年度は例年とは違う冬休みとなった。

長い分,何かしらの講師役や自分の研修を入れていたが,今年度はどちらもなし。それというのも通信制大学院の修士論文の提出を間近に控えているからである。そのための時間の確保ということで,休日等も予定を入れなかった。
それでも平日は学期中と同じように時間の確保が難しく休日中心の執筆作業となった。今回は1月5日と15日を節目の日としていた。5日は指導教官に指導を受ける日,そして昨日15日は修正版を送る日である。寝不足になりながらも,何とかこの節目の日を目標として辿りつくことができた。

その他は12月末に原稿を1本書いただけ。あっという間の冬休みだった。修論は締切までまだ2週間ある。これからラストの追い込みである。

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2017.01.10

修論に関わって

この冬は修士論文のことが頭から離れない。それもそうだ。1月末が締切。今月の5日にも修論指導を受け、修正を日々行っている。
さて、そんな中、ちょっとでも論文の参考になりそうな文献はどんどん購入しているが、その中で今月は日々の授業にも役立ちそうものを購入した。その中で役立ちそうなものを3冊表示。

〇「情報リテラシーを育てる授業づくり」(鎌田和宏著・少年写真新聞社)
〇「なぜ子どもに社会科を学ばせるのか」(北俊夫著・ぶんけい)
〇「社会科授業づくりトレーニングBOOK 学習問題づくり・教材化・単元の指導計画づくり編」(澤井陽介編・明治図書)

どの書籍も著者名だけで学びが多いとわかるものばかりである。修論関係では書籍の一部が参考になるところであろうが、実践のためにも修論終了後にじっくりと読みたいと思う。

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2016.07.19

研究へのエネルギー

昨日と同じように大学での図書館での一コマ。
社会科教育関係の書籍を閲覧していて、分厚い書籍が目に入ってきた。
著者名を見ると自分の大学生時代、「社会科教育研究」を受講していた時の先生である中村哲先生のものだった。
自分自身は現在は社会科を専門としているが、大学生時代(もう35年前だ…)は教育学専攻だった。
『社会科授業実践に関する体系枠の構築』(風間書房)というその書籍は850ページを超える。しかも1ページ1ページは文字がぎっしりの学術書。まさに超大作の研究物。

さっそく借り出して参考になりそうな部分を読み始めた。
その内容は自分の頭では簡単に理解できなかったが、「研究に対するエネルギー」は書籍から伝わってきた。「これだけの研究物にまとめるのに何年かかったのだろう…」「私たちに指導をしてくださった頃に加えて、十数年の成果物なのだろう…」と想像した。

正直、なかなか大学院関係の研究にエネルギーを物理的に割くことができないでいるが、そんなことは言ってられない。そんなエネルギーをいただいたこの本との出会いだった。

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2016.07.18

集中できる環境

一昨日の16日は今年度2回目のゼミだった。
前回から1ケ月ちょっとしか経ていないが、修士論文に関してこの期間で前進したこと、学んだことを報告した。
さらに新しい助言をいただき、今度は10月となった。
これから3ケ月がとても重要であり、心して取り組みたいと思う。
働きながら…というのは大変だと覚悟はしていたが、本当にその通りであり、自分自身を強く律していかないとあっという間に時間が過ぎてしまう。そう感じている。

さて、今回はゼミの前後に時間があったので、大学内の図書館に入って文献探しと少し勉学。
それなりの学費を納めているので、せっかくということで利用させてもらった。
まさに集中のためのすばらしい環境だ。

・落ち着いた空間
・周囲は真剣に学ぶ人々
・個別の机には衝立があり、周囲が気にならない
・疲れた時には窓から見える庭園が目に入ってくる…

近くにあったら、毎日でも寄りたいぐらいである。
そういえば、本当に大学生だったころは、やはり毎日のように大学の図書館に通っていたものだった。
それはそれで充実していた。
今もそういう環境で学べることは、やはり幸せである。

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2016.04.15

履修届を出す

通信制大学院から2年目の履修届の資料が送られてきた。
1年生の時点で欲張って、修士論文以外の単元30単位を全部取得しようとした。
かなりきつい日程でレポート、試験を行った。特に試験では、自分の都合もあり、4科目を一気に一日で行った。1科目45分。180分間集中し、書き続けた。終了後、ボーっとするほどだった。
無事単位取得の連絡も正式に確認できた。(ネットですでにわかっている。)

今年度取得するのは修士論文のみ。
単位にすればわずか2単位。
しかし、この2単位は自分にとっては実に重いものである。昨年度かけたものの何倍もの労力が必要である。
単位をとれればよいのではなく、自分なりに価値あるものにしたいと思うのは当然である。
さらに単位とは関係ないが、関係論文等を学会でも発表できれば…と考えている。
「努力と挑戦」の年(毎年そうであるが…)の始まりである。

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2016.03.10

5年生で情報社会の授業

 5年生3学級で社会科の授業をさせていただいた。「情報社会」に関わるものであり、情報の単元の発展である。各学級2時間ずつ。題材は、コンビニエンスストア、ネットショッピング、交通施設の情報化といったようにそれぞれ異なる。

 「やっぱり授業っていいなー」とつくづく感じる。準備過程も楽しかったし、子どもたちとのやりとりも実に楽しい。もちろん、貴重なデータも収集。時間をかけてこれから分析である。

 ところで、感心したことがあった。それは3学級ともよい意味で違いがほとんどなかったことである。子どもたちの反応ぶり、集中ぶり、プリントの書き方…どの学級が何組になってもよい感じであった。確かに学年経営で同一歩調であれこれ取り組んでいる成果がここに出ていると感じた。

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2016.02.22

中学校・高校まで見通す

昨日に続いてゼミ関係の話。

今回自分の修士論文のテーマに関わって、中学校の社会(公民分野)と高校の情報の教科書を検討した。
今まで小学校だけ見ていてわからないことが、見えてきた。
前回のゼミで指導されたことであった。
これは「比較するからこそ見えてくる」の例であろう。

自分が常々、「複数の教科書を比べて見えてくるものがある」と言っていたのにもかかわらず、自分自身は同じ小学校の教科書しか見ていなかった。横(同学年)の比較である。今回縦(異校種)の学年を見ることで見てくることがあった。これも貴重な学びである。

それにしても、教科書センターの「借用名簿」でここ2年間で借りた人は、わずかのべ7人。教科書センターの存在も知られてないかもしれない。ちなみにのべ7人のうち4人分は自分である。

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