佐藤学級物語・学級通信

2016.04.24

学級通信は教師として生きている証しである

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

■教研レポート  学級通信は教師として生きている証しである

★このレポートは1997年の県教研に出したレポートです。当時のまま掲載をします。ただし、レポートでは多くの学級通信を資料として添付をしたが、ここでは略します。

1 なぜ学級通信か ~学級経営の武器として~

 現任校に赴任してきて7年目。毎年200号を越える学級通信を発行してきた。
ほぼ日刊のペースである。この学校に来て、トータルの発行枚数は1300号を数える。
 そもそも学級通信を発行するようになったきっかけは、「自分の学級経営の武器」としてであった。
 初任の学校は学年2クラス。同学年で組む先生は40代のベテラン教師。父母の信頼も厚い。授業も上手であり、子供たちの力を確実に伸ばしていた。
 それに対して自分はどうだろうか。授業の力は未熟。若いから子供たちと触れ合う時間は長いものの、満足のいく学級経営ではなかった。
 それならばと取り組んだのが学級通信の発行である。その学校では、通信を出す先生方は少なかった。これを武器にして学級経営をしようと考えたわけである。
 それを継続していくうちに、学級通信は自分にとって、「教師文化を創る」という考えに至るようになってきた。ここで言う「教師文化」は次のようなものである。

 自分の実践が日常的になり、その実践が子供たちに還元して行く活動

 自分が発行する学級通信が、教師自身の自主的な実践活動のおおもととなり、そして、やがてそれが子供たちに自身に生かされていく・・・その過程すべてが「教師文化」なのではないかと考える。

2 文化を創る6つの視点

① 実践記録としての学級通信
 我々教師にとって実践記録を残すことは非常に重要である。しかしながら、現実的に記録に残す時間の確保はなかなか難しい。
 学級通信に、学級の授業記録や学級経営の記録を載せるのは一つの方法である。
 資料を掲載することにより、自分の実践が蓄積される。これは同学年を担任した時に大いに役立つ。また同学年の先生方にも通信を配布しているので、追試してもらうことも時にはある。そこから、教師同士の実践の交流が生まれる。
 もちろん、親御さんからも「授業の様子がよくわかります」という声をいただく。授業参観以外は親御さんも授業を見る機会がなかなかない。そういう意味でも貴重である。

② 学級通信は子供を見る目を育てる
 通信では全員の子供の様子をのせたい・・・そう思うのは当然である。しかし、よく話す子や行動が目立つ子に教師の目は行きがちである。
 一人一人の様子を改めて学級通信に書こうとすると、自分がいかに子供たちを深く見ていないかがよくわかる。
 逆に考えれば、「全員の子を学級通信にのせよう」と意識化することにより、子供を深く見ることになる。学級通信が子供を見るための効果的な一手段となっているわけである。

③ 学級通信は父母との交流を深める 
 父母との交流を深めるには様々な手段があるだろう。学級通信はその中で大きな存在である。次のような点に配慮をしている。
・学級通信はあくまでも学級全体を対象としているので、並行して個人カード(一人一人の光る点をカードに記入)として出す。
・通信には子供たちのよさを掲載する。問題点は特例を除き控える。
・父母からの投稿は歓迎するが、強制することは避ける。

④ 学級通信は子供の成長の足跡を刻む
 学級通信には、子供たちの作文や詩といった作品をどんどん掲載するようにしている。
 「1枚文集」みたいなものになる。現実的に文集を出すには手間ひまがかかる。1年間に1回発行するのが通常である。それが学級通信という手立てをとれば、子供たちの作品を気軽に伝えることができる。1年間通して掲載すると、子供の成長の足跡にもなる。
そして、それは時には授業の指導にも生かすことができる。

⑤ 教師としての軌跡を綴る学級通信
 私の通信の大きな特徴の一つに、節目となる号(50号、100号等)に、今までの教師人生で印象に残るようなエッセーを載せるということがあげられる。
 いわば教師としての自分史を独白するようなものである。
 学級経営や授業の内容からは離れるものの、自分の教育論を理解していただく点では、大いに役立っている。
 これらのエッセーは、親御さんよりもむしろ教師仲間からの反応が多い。特に先輩方から「若い頃、似たようなことがあった」といった声が時としてあり、教育談義の場となりうる。

⑥ 学級通信は子供たちへのメッセージとなる
 毎年、学年末の学級通信は子供たち一人一人へのメッセージと決めている。
 通信表とは別の、1年間で思い出に残ったことを本音でズバリ書く。いわば、私からの「贈る言葉」である。
 子供たちはその学級通信が配布された瞬間、自分の部分を食い入るようにして読む。自分のものだけではない。友達のものも読んで「そういえば、そうだったよな」といったセリフも飛び交う。私にとって嬉しい瞬間である。

3 学級通信作成法

 時々他の先生方に聞かれる。
「どのようにして学級通信を作っているのですか」「家で寝ないで作っているのですか」
 日刊で発行しているからそのように思われるのであろう。担任としてのあき時間はない。放課後もいつも自由に使えるわけではない。
 しかも、学級通信は学級経営の重要な武器ではあるものの、当然のことながらそれのみに専念するわけにはいかない。あくまでも、教材研究や児童理解が優先なのだから。
 では、どのようにして通信を作成しているのか。その方法を記す。

① ワープロの活用
 通信はワープロである。手書きの方が温かみがあるのはわかるが、そのような形だと今の3分の1も発行できないであろう。だから発行部数を優先させている。
 ワープロの便利な点は、何といってもメモをそのまま通信に使うことができるという点である。
たとえば、授業のプランをワープロに保存しておく。発問やその意図などである。それを授業でそのまま実践する。そのプランのメモに、子供たちの反応や様子を肉付けするだけで学級通信ができていく。
 また、板書も次の授業の合間2分ぐらいでワープロに打ち込む。後で、授業の様子を詳しく打ち込むといった方法でもできる。実に便利である。

② 細切れ時間の活用
 1時間の通信に費やす時間は20分~30分程度である。しかし、学校の中でこれだけのまとまった時間は放課後以外には考えられない。休み時間は、休憩したり子供たちと触れ合ったりする時間である。その放課後も、様々な仕事でできる日も限られている。
 しかし、「会議まで10分」といったような細切れ時間は必ず存在する。それらを積み重ねて一日合計20分の時間を生み出すのはわりとたやすいことである。その積み重ねの中で学級通信を作っている。

③ カット・見出しは必要なし
 限られた中で作る通信であるから、カット・見出しの工夫といったものは一切とらない。思ったことをひたすら記す。それで十分に思いは伝わっている。

④ ネタの発想はどんな場でも
 短い時間で仕上げるためには、書く内容が決まっていなければいけない。そのために、通信の内容は頭の隅でよく考えている。会議中でも、ひらめいた時にすぐにメモをして実行するようにしている。

4 再び、なぜ学級通信か
 
 「なぜ自分は学級通信を出すのか」。こう自問するのならば、次のように答えるであろう。
  学級通信は教師の文化を創る。教師の文化を創ることは、自分が生きている証しなのだ。
 通信を出す一方大切なのは、私たち教師が「自分たちの文化を創る」という意識を持つことである。そうすることにより、教育活動の質も高まっていくであろう。

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2016.04.23

学級通信 私の定番

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

■家庭訪問記
家庭訪問で聞いた一人一人のよさを2つか3つ記す。一日の訪問は7~10人。
1号にまとめるにはちょうどよい。事前に「お子さんのよいところを3つ教えてください」とお願いしておくことがコツ。「なかなかないんですよ・・・」と言いながらも、うれしそうに話してくれる。

■運動会ミニガイド
運動会前日あたりに、見てほしい種目と理由を一人一人掲載する。そのまま運動会ミニガイドとなる。これは、学習発表会ミニガイド、文化祭ミニガイドとしても応用することができる。

■運動会余話
取り組みの長い行事ほど、いろいろなエピソードがあるもの。そのエピソードを行事終了後に伝える。親御さんの理解が深まる。

■親御さんの声・声・声
学級通信といえども、なかなか親御さんの反応がないのが普通である。しかし、最初の参観授業はチャンス。学級通信等に書く用紙を添付しておき、依頼をする。それを「ありがとうございました。・・・・」といったコメントつきで紹介する。

■出張記
他校紹介といった気軽な感じでかく。特に県外の学校は、一種の旅行記みたいにいつも書いている。

■節目の号は特別エッセー
50号、100号といった節目の号は、今までの自分の教師人生での特別エッセー。親とともに同僚の教師にも好評である。

■学期初め号
「2学期初日」「2学期2日目」といったように、学期初めの子供たちの様子を追うもの。
  
■子供ウオッチング
一日の中で一人一人の子供の特徴的な動きを紹介する。必ず全員分を載せるので、この日は子供たちの見方も深まる。ネタがない子も大丈夫。教師が声をかけて、その反応を記す。

■〇月〇日という日
ネタが尽きた時によく使う手。教師の日記みたいな感じで通信を書く。「1時間目国語の授業。音読が上手になった・・・・」こんな感じで、休み時間や給食の時間のことも書く。もちろん、まずい点は書くことはできないが・・・。

■思い出シリーズ
学年末、一人一人の思い出を教師が記す。私にとっては、「もう一つの通信表」である。6年生には卒業式での「送る言葉」となる。

■ぼく、私の3大ニュース
12月中旬に企画する。自分にとっての今年の3大ニュースを記す。それに対して教師もコメントをつける。

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2016.04.17

学級通信エッセー集2

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

有田和正先生との出会いが私の教師人生を決めました


先達に学ぶ  学級通信「トゥモロウ」51号(平成11年6月21日発行)より

■ 「先達に学ぶ」ということは、どのような場合でも大切と言われる。これは、教師の世界でも同様である。
  有田和正氏。筑波大学附属小学校教諭、愛知教育大学教授を歴任されて平成11月の3月にご退職された。私にとっては、授業そのものについて目を開かさせてくださった大恩人である。

■ 昭和60年。教師になって1年目。氏の名前を知った。実践を多く公開されているらしい。著書もたくさん。だから、雲の上にいる人という印象だった。

■ 教師になって2年目。わざわざ宮古に講演に来るという。「絶対見逃せない。」
  当時江刺に住んでいた私は車で3時間以上かけて、話を聞きにいった。子どもを見る目の大切さ、子どもの意欲をどう育てるかについて熱弁をふるってくださった。それもユーモアたっぷりにである。まさに名講演。「自分も何かをしたい」という気持ちにさせられるようなすばらしい講演だった。

■ 教師になって3年目。多くの著書を読んでいくうちに、「やはり氏の授業をみなければならない。氏が鍛えた子どもたちを見なければならない。」と感じ、友人と東京の有田学級に参観に出かける。
  2月。夜の新幹線から外を見ると雪であった。
  氏の授業は9時からである。全国的に有名な氏のことである。学校では授業できない。参観者が数百名にのぼるからである。だから、当日は7時に会場に行った。それでも私たちより早く来ている人が20名ほど。
  授業が始まってからは、子どもたちの熱気ある発表ぶりに圧倒されっぱなしであった。3年生の社会科。教師が問いを発するたびに、次々と自説を主張する。「教師に対しても論争を挑んでいる・・・」そんな感じに映った。
 「どうしたら、あれほど表現力のある子たちが育つのだろう」
 「どうしたら、あれほど調べてくる子たちが育つのだろう」
  感動と疑問が大きく、大きく残った。

■ それから授業で、有田氏を追うことを始めた。
  氏が授業したとおりに資料を使い、同じ問いをする。まずは真似をすすることから入ったのである。しかし、有田学級のような子どもたちにはならない。当然である。下地が違うのだから。
  そこで、子どもたちの実態に応じて自分なりに変化を加えてみた。問いもオリジナルのものを加えてきた。
  少しずつではあるが、社会科では楽しい授業ができるようになってきた。現在でも、社会科は自分が特に力を入れている教科の一つである。
  
■ 自分がたくさんのことを学ばせてもらったお礼に有田先生に手紙を書いたことがあった。
  すると、和紙に毛筆のご返事をいただいた。これには恐縮してしまった。
 超多忙な生活の中から一教師への返信を出していただけるとは・・・。
  後で知ったことであるが、有田先生は一日に十数通は手紙を書いているとのこと。頭が下がる思いである。

  教師として一つのテーマを持つことです。それも、より具体的なものがいいです。たとえば、発問だったら、発問をずっと研究していけばものになります。がんばってください。

  こう書かれていた手紙は、私にとっての宝物になった。

■ 有田先生に学んだことは大きかった。「人から学ぶ」ことの大切さを実感できたからである。
  そして、有田先生のお話を初めて聞いた小学校に我が娘を通わせている。これも一つの縁と感じている。

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★ 礼状を書くことの大切さを岩手の大先輩から学んだエピソードです

■学級通信「カルチェ・ラタン」第150号(H6・3・8)より

  一通の礼状より ①

 私は元来筆マメな方ではない。特に大学時代は、手紙を出すことなどまれであった。
 はなはだしい時には、手紙をもらったのに返事をしないということもあった。今考えるとずいぶん失礼なことをしたものである。

 今は別である。きっかけは教え子からの手紙である。やはり、卒業した子供たちからの手紙は特別である。その子たちと一緒にすごした日々が鮮明に浮かんでくる。だから、何よりも優先して手紙を書く。

 また、仕事上でも同様である。それは、こんな話を本で読んだからである。

  自分が感動した本や講演があったら、著者や講演者に対して礼状を書くといい。何も返事を期待するためではない。その本や講演の内容をもう一度自分なりに整理するためである。
 
 このことを聞いて「なるほど」と思った。
 本を読む。感動する。勇気がわく。そして行動する。
 しかし、日常はそれほど変わらない。また、いつもの生活に戻る。
 本を読んだあと、自分なりに考えを整理しておけば別なのであろう。しかも、読書ノートをつけるよりも、礼状の方が相手意識がある分、思考も深まるであるかもしれない。
 ということで、講演会や授業等で大変勉強になった時に、礼状を書くことにした。ただし、数はそれほど多くはない。ひんぱんに講演会や参観授業ができるわけではないからだ。年に2~3回、礼状を出すくらいであった。
 しかも、相手は著書がかなりある先生や全国的に有名な先生が多かった。つまり、著名な実践家ほど勉強になることが多かったのである。(当然であるが) 礼状を書いたものの、返事など期待するのは失礼にあたると考えていた。

 その時の講演もそうだった。
 研修会で熱く講演をしてくださった方がいた。若い頃夜遅くまで教材分析をした話、分厚い実践レポートを意欲的に書いた話等、刺激が多かった。
 すでに還暦をすぎた方で、現在はある市の教育長をなさっているという。
 けっこういろいろな講演会に参加した私ではあったが、その日の講演は特に胸にしみた。何か自分が教師として「もっと頑張らなければいけない」と勇気がわいたからである。
 たまたま講演資料の中に、住所があった。さっそく礼状を書く。講演内容が自分にとってどんな点が参考になったかということを整理してである。
 「書きたい」という思いよりも、「書かざるをえない」という気持ちからであった。人間、そんな気持ちになる時もあるのだ。
 時間を忘れて夢中で書いた。1時間以上は書いただろうか。便箋はいつのまにか5枚を越えていた。
 一気に書き上げたら5枚になっていたというのが正しいのかもしれない。ただ、その時も返事など期待していなかった。                     (次号へつづく)


■学級通信「カルチェ・ラタン」第151号(H6・3・9)より

 一通の礼状より ②

 礼状を出して1ヶ月。
 いつものように日常は過ぎていった。私自身も礼状のことは忘れていた。
 そんな時、「書籍小包」のはんこが押されたB5版の封筒が我が家に届いた。中にはケースに入った本が一冊。「私の教育論」という題名のその本は、私が礼状を出した先生から送られてきたものだった。
 本を追うようにして、翌日、その先生の手紙が届いた。
 市の要職にあられる方からの返事である。ご多忙な中を、講演を聞いた一教員からの手紙にわざわざ時間をさいてくださったのである。
 しかも葉書ではない。丁重なお便りが便箋3枚に綴られてあった。
 ありがたいことである。再び胸が熱くなった。

 その内容にも驚いた。私の手紙のことを評価した文面であった。
 その手紙に私は恐縮してしまった。と同時に、この手紙に感動した。そして、人間の誠意ということを学んだ。送られてきた著書を一気に読んだことは言うまでもない。

 「根を養えば樹おのずから育つ」

 その先生の応接間には、この書の額が飾られてあるという。
 教育に携わるものとして、含蓄のある言葉だと思う。
 その著書にも、その言葉の意味が書かれていた。
「子供の生き方の根本を深く耕せば、子供は自己開発していくものだ」という。

 我々はとにかく、目に見える「樹」の部分を変容させようと試みる。しかし、それだけではいけない。
 あくまでも、見えない「根」の部分をどう変容するかまで考えなければいけない。
 その「根」の部分は何か。どんな栄養を与えなければいけないか。
 これらは、教師生活を続けながら探っていくべきことだと思う。

 このエピソードから3年(注:現在は10年)たった。この先生とは会う機会がなかった。おそらくこれからもないかもしれない。
 人との出会いはそういうものであろう。
 しかし、この感動や刺激は今も心の中で燃えている。そして、別の形ではあるが、同じようなことを担任している子供たちにも与えることができたらいいと思っている。

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★ 子供の心を知る

 何げない教師の行動で子供が傷つく場合があります。この通信には子供の心の見方を深めることとなったエピソードです。「子供から学ぶ」というのは事実です。

★学級通信「トゥモロウ」 第151号(H・11・11・30発行)

              子供の心を知る

■私は4年生担任が3度目である。
 最初はもう13年前であり、その子たちはもう23才である。
 今の4年生と同じように、学級集会をよく行ったり、子供たちの発想でおもしろい係活動をしたものだった。学級通信をひんぱんに書くようになったのもこの時からであり、この年は2学期からの発行だったが、最終的には178号まで出すことができた。

■そんな4年生担任の時の思い出で、特に忘れられないことがある。それは、自分にとり、苦い思い出である。
 人間は自分の失敗や傷ついたことは、いつまでも印象深く残っているものである。私も同じで、その時の日記の文や子供の表情までも思い出すことができる。

■どんな件だったか忘れたが、学級の子供たちにあることで聞いたことがあった。忘れてしまうことだったから、それは今考えると、ささいなことだったに違いない。
 でも、「何も知らない」という子どもたちに業を煮やした私は、次のように問い詰めた。
「知らないということはおかしい。この中に誰かウソをついている人がいる。」
 ぐるっと学級のみんなを見た。皆、背筋をピンと伸ばしている。そんな中で、良子(仮名)と目が合った。その表情に何となく違和感を覚えたが、彼女にかかわりがないことは確かだった。
 結局、誰からも「知っている」ということは出てこなかった。後味の悪さだけが残った。

■ところが、今度は私が問い詰められる番となった。翌日、良子の「私はそんなに悪い人か」という題の日記を見たからである。
 
 【先生は、「この中にだれかウソをついている人がいる」と言って、ジロッと私の方を見 た。私はなにも関係ない。私はそんなに悪い人なのか。】

 思わず良子の顔を見た。そういえば、昨日のあの違和感はこの心のあらわれだったのか。何気ない私の所作が、彼女の心も傷つかせたのか・・・。

■私は自分の心を見透かされたような気がした。とにかく子供たちから事実を突き止めよう、悪い点は直そうといつのまにか問い詰めようとしていたのではないか。疑いを持って、子供たちに接していたのではないか。
 良子の日記はそのことに対する抵抗だったのだ。
 自分のしてしまったことは取り返しがつかない。日記におわびのコメントは書いたものの、この時のことがずっと心にひっかかっていた。

■それから3週間ぐらいしてからだろうか。私は、「魔の日」という題の学級通信を出した。その日の自分の実践がうまくいかなかったのを素直に書いたものだった。
 翌日見た日記の最後に、良子は次のように書いてきた。

【今日の「あすなろ」(学級通信の名前)を読むと、私と同じように先生もいろいろなことをなやんでいるということがわかりました。】

 スーと肩の力が抜けるような気がした。もちろん、私の心の中のわだかまりも抜けていった。
 自分の何気ない一言や動作にもっと敏感になること、もっと子供の前に自分の素直な気持ちを出すこと、そんなことを良子から学んだ気がした。

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2016.04.16

学級通信エッセー集1

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

★ 教師2年目。子どもの日記から自分の鈍感さを教えられた出来事です。

子どもに教えられる①   学級通信「ガリバー」100号(H3・9・18)


■ 学級通信に子どもの失敗を・・・

 教員になって2年目のことである。
 この年、4年生を担任していた私は、学級通信作りに燃えていた。子どもたちの様子はもちろん、授業のこと、私の教育観など、何でもかんでも学級通信につめこんだ。
 一日に2枚発行したこともあり、最終的には178号までいったものだった。

 ある日のこと、学級内で次のような出来事があった。
 朝の会で歌担当の係が、新しい曲をその日からすることになっていた。
 曲名は「四季の歌」である。
 ところが、次のような歌声が聞こえてきたのである。

 「愛を語るハイネのような僕のヘンジン」

 係の子どもたちが書いた歌詞の模造紙を見ると、「恋人」が「変人」になっていたのだった。
 私は苦笑し、小説「青い山脈」のラブレターの話(「恋しい恋しい」を「変しい変しい」と書き間違えた話)をした。
 そして、翌日の学級通信もこのことをネタにして、「小4の子どもたちが『愛』『恋』といった言葉が入った選曲をするのは斬新。異性を意識し始めたのかも」というようなことを書いた。

 ところが、いざ配布という段になって私は「カァー」と体中が熱くなった。
 歌詞を間違えて書いた洋子の「私のわがまま聞いてください」という題の日記を読んだからである。

【(何が変人よ。変人でわるかったわね)と思った。
 だって朝の会でまちがえた からって、みんなまちがえたままうたうんだもん。
 わたしは、むねがあつくなるのを感じた。
 みんなわたしを見て、わらった。先生もわらった。
 それだけならいいけど、先生わざわざ変人のはなしするんだもん。
 早紀ちゃんもオルガン係なのに、私の方を見て笑ってた。そりゃ、まちがってかいたのは、私だけど・・・。
 私は泣きそうになった。でも、ぐっとこらえた。(以下省略)】

 私は自分自身の不明を恥じた。一人の子がこんな思いをしているのに、さらにそのことをネタにした学級通信を出そうとは。
 なんて鈍感な教師!
 当然、その場で学級通信はボツにした。
 また、洋子に対しては次のような返事をするのが精一杯だった。

「まちがいはだれにでもあります。私にも洋子さんにもあります。問題はそれをはずかしがるかどうかです。洋子さんは、だいぶ気にしていますが、ほかの人は気にしていないものです。クラスのうち、大部分の人が昨日のことは忘れていると思います。もう忘れなさい。(といっても気にかかるでしょうが)」
                                          (つづく)


子どもに教えられる②  学級通信「ガリバー」101号(H3・9・19)

■ 共に育つ関係をつくる

 子どもとは有り難い存在である。
 このような私の返事に対して、洋子は次のように日記に書いてきた。

【先生、昨日の返事、うれしかったです。やっぱり先生に話してよかったです。
 むねのもやもやもきえました。
 わたしが今まで日記をつづけていられたのは、先生の返事を読みたいからだと思います。
 3年生のはじめは、『美恵先生(1・2年の担任)ほどいい先生はいない』と思っていましたが、今は佐藤先生にかわりました。本当に佐藤先生のクラスになってよかったです。】

 洋子の日記を読んで、「子どもに教えられるというのは、このようなことなんだな」と感じた。
 知らず知らずのうちにしている教師の失敗に対して、子どもたちはそれを失敗と思わず、自分の力で乗り越えようとする。子どもの持つ力の偉大さを垣間見た思いだった。

 そんな洋子に対して、次のような返事を書いた。

「このような日記を読むと、私も励まされます。ありがとう。教師も君たち子どもと同じで成長をするものです。特に、私のような若い、経験のあまりない先生たちは、成長しければいけません。洋子さんの昨日の日記を見て、考えさせられる点がありました。
 昨日のような日記をどんどんえんりょせず、書いてください。」

 よく「教育」は「共育」という言葉に置き換えられる。
 これは教師と子どもの関係にもあてはまる言葉だと思う。
 お互いに教え合い、そして共に育つ・・・教師にとって、いつも忘れてはならない大切な心構えではないだろうか。

 洋子との一件以来、私は子どもに対して、もっと敏感であろうと努めている。表面的な子どもだけではなく、心の動きに対してもである。
 それが、私にとり、教師として育つ場であることには間違いない。 

 (文中の氏名は私以外はすべて仮名です。)                  (おわり)

 これは、私が新採用で3年生を担任し、持ちあがりの4年生の時のことです。この子たちとは、その後、5・6年と続けて持ちあがり、異例の4年連続の担任となりました。
 この子たちも、すでに20代半ば。結婚したという子も数名います。
 偶然、まちで会うと、一人一人の思い出が鮮明に蘇ってきます。一人一人の個性はいつまでも忘れられないものです。 

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★ 教育実習の日々

  今まで教育実習生を二人受け持ちました。自分が今まで学んだことを、実習生にはできる限り還元しようと努めました。自分が教育実習生の時に指導してくだ
 さった先生方に、そうされたのと同様にです。
  これらの学級通信は、教育実習生を受け持った時に発行したものです。

★ 学級通信「トゥモロウ」 130号(平成11年11月4日)、131号(5日)より

    教育実習の日々

■その1  教官に怒られる

 教育実習の初日のこと。
 誰が何の授業をするのか割り振りをすることとなった。
 同じクラスに配属された実習生6人で話しあうのである。
 そうじの前に、そのことについて放送があった。
「実習生の皆さんに連絡します。授業計画用紙をできるだけ早く出してください。」と。
 目の前で子供たちは机を運び始めた。実習生6人は、そうじに行ったらいいのか、計画作りを優先させたらいいのか、わからなかった。
 そのうち一人が言った。
「実習生室に行って相談しよう。」
 そうじの時間に、授業計画はできた。そして、5時間目の授業に臨んだ。

 ところが放課後、担当のY教官に怒鳴られてしまった。
「子供たちのそうじも見ない実習生がどこにある!」
 (こっちにはこっちの理由があるのに!)と思ったが、教官が怒った真意をよく考えてみた。
 子供たちが学校にいる限りは、何事も子供たちのことを優先すべきという当然の原則がある。私たちはそれを間違えていたのである。何も「今すぐに」授業計画を出すのでは
ない。
 「そうじを優先させるべきだった」・・・このことを悔やんでも後の祭りである。

 この件で実習生たちはがっくりしてしまった。アパートに帰ってからも怒鳴られたショックが尾を引いた者もいた。
 「いやだなあ」と思いつつ、翌日Y教官に接すると、昨日のことには全く触れない。それどころか、子供たちに接するのと同じ笑顔で私たちにも接する。
 「ふだんはやさしいが、怒るとこわい」・・・教師にとって大切な資質を私たちにも示してくれた教官だった。

■ 45分間の授業が1分の説明に負ける

 怒鳴ったY教官は算数が専門であった。
 実習生の中にT君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択した。

 そのT君が顔をゆがめる。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのであるが、子供たちは(わからない)という顔をしている。
 T君は、さらに説明や質問を加えるものの、説明をすればするほど、子どもたちは困惑したような顔をする。

 授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころころ変わったのでは、子供たちは混乱するばかりである。
 ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。

やがてチャイムが鳴る。次の授業もある。
 やむを得ない。Y教官の登場である。その説明、わずか1分。子供たちが「わかった、わかった」と生き生きとした顔でうなずく。
 その様子を見ていたT君。実習生の我々の席に戻り一言。「悔しい」
 この時ほど、プロとアマの違いを感じたことはなかった。

■ 気になる子

 考えてみると、私が教育実習に行ってから16年も経つが、子供たちの名前はけっこうすらすら出てくる。
 担任の先生に「学級委員長がそんな態度でどうする!」とよく怒られていた大川君(仮名)。私の家庭科の授業で子どもがなかなか集中せず「まさとし先生がかわいそうだった」と言ってくれた仲田ヨシノさん。(仮名)いつも、ひょうきんなことを言って、実習生たちを笑わせてくれた西君(仮名)・・・・といったようにである。

 ところが逆に名前は忘れてしまったが、その子の発言や表情を特に覚えている子がいる。
 その女の子は、実習生の誰に対しても心を開くことがなかった。それどころか、何か話しかけると怒ったりするものだから、実習生の中には、「私、あの子には話しかけたくない」と言う者も出る始末だった。
 その子はマラソンが得意だった。ちょうど実習期間中にマラソン大会があり、その子は2位に入った。
 廊下でその子に会った時に、私は「2位になってよかったね」と声をかけた。そうしたら、その子はニコリともせず、「(1位になれない)イヤミだ、イヤミだ」とつぶやいて怒るように走って行った。
 私もムッとしたが、その場はそれで終わった。
 
 実習最後の日、子供たちが実習生全員に書いた手紙をもらった。その子がどんなことを書いているか興味があった。読んでみると・・・。
 
「マラソン大会のことで、声をかけてくれてありがとう。わたしはなかなか自分から先生たちと話ができません。だからとてもうれしかったです。」
 
 実習生に対するすねた態度は、「自分にも声をかけてほしい」というサインだったのである。
 子供たちは、誰でも先生と話したがっている。そして、先生にどんな態度をとっても、子供たちは教師の声がけを待っているものなのだ、ということを感じさせてくれた子であった。

■ 担任の思い

 中学校の教育実習はわずか1週間であった。
 そのころは「荒れる中学生」という言葉がマスコミをにぎわせ、校内暴力の嵐が全国に吹き荒れていた。大学の教官からは、「あなたたちが教壇に立つ頃は、小学校高学年で校内暴力があるかもしれない。」と脅かされたりしたものであった。

 さて、その中学校は校内暴力はないものの、あまりよいとは言えない状態であった。
 3年生の学級に配属されたが、まず担任の話を聞こうとしない。帰りの会など、平気で席を立ったり、変な声をあげたりしている。
 担任の女の先生が、「静かにしなさい!」と声をふりしぼっても、子供たちには関係なし。日直の「さようなら」という声で、教室は飛び出すように出ていってしまう。私たちはビックリしてしまった。
 
 その様子を見たのは実習初日。放課後、担任の先生との打ち合わせがあった。
 さぞかし、「困ったものです」といった言葉が出てくるのかと思った。ところが、その先生は開口一番、次のように言われた。

「あの子たちは、一人一人見るととてもいい子たちです。ただ、集団になると歯止めがきかなくなるだけです。」

 確かに一人一人と話をするととても感じがよい。担任の言っている意味が、わずか1週間であったが、よくわかった。
 「子供たちを信じる」・・・たとえ、どんな状況でも担任である限り、このことは大切にしなければいけない。そんなことを感じさせてくれた中学校の教育実習だった。

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2016.04.10

6年生学級通信 その2

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

 インターネットという資料収集手段ができなかったころの実践です。これは、これで味わいがあったなと、今考えると思います。(後戻りはできませんが)

学級通信 カルチェ・ラタン 第98号 12月14日

  世界に向けて発信!

 社会科の学習の一つに「世界の中の日本」という単元があります。いわゆる国際理解教育です。
 3学期に主として学習をするのですが、そのための興味づけとして、子供たちに「大使館への手紙」の授業をしました。
 まず、最初に子供たちに聞きました。

  「『外国』という言葉を聞いて、どこの国を連想しますか」

 学級で合計すると1位アメリカ合衆国(圧倒的!)、2位オーストラリア、3位中国、続いてロシアという結果でした。いずれも大国ばかりですし、マスコミでもよく名前の出てくる国です。これは、私も予想していた通りです。
 そこで次のように言いました。

  みんなは日本の歴史を学習しました。その中で日本と昔からつながりのあった国はどこでしたか。朝鮮、モンゴル、中国といったアジアの国々でしたね。そこで まずは一人一人がアジアの中の希望する国を選んで学習をしましょう。

 教室に地球儀を持ち込んでいました。それをもとに子供たちはアジアの国々の中でどこがいいかさっそく考え始めました。
 子供たちが選んだのは次の通りです。(それぞれ「よく聞くけど実はあまり知らないから」「〇〇という有名なものがあるから」といった確かな理由で選びました。)

 シンガポール(児童名略・以下同様)、マレーシア、タイ、フィリピン、モンゴル、ネパール、ブータン、大韓民国、インド

 さて、問題はその調査方法です。
「どのようにして調べたらいいですか」と聞くと、「外国人に聞いたらいい」「外国の資料館があったら、行って聞く」といった答えが返ってきました。
 もっともです。でも子供たちは、それは不可能と思っています。
 そこで、私は言いました。
 「でも、できるのです!」
 実は、各国大使館に資料を請求すると資料が送られてくるのです。
 大使館というのは、公務が忙しいのですが、地方の一小学生からの要望にもきめ細かく対応してくれることが多いのです。
 というわけで、さっそく右のような手紙(略)を書きました。
 さっそく発送。1ヶ月ぐらいかかって、きっと多くの大使館からの返事が届くことでしょう。
 今から楽しみです。

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各国大使館からの返信に子供たちは感激していました。

学級通信 カルチェ・ラタン 第103号 12月22日

   世界からの返信

 「カルチェ・ラタン」98号で紹介した大使館あての資料請求。さっそく返信が続々と届いています。
 第1号の返信は何と17日でした。お願いの請求の手紙を発送したのが11日です。1週間も待たずに返事がきたのです。このスピードぶりには、驚くばかりです。
 きっと大使館の職員の皆様はお忙しいので、「すぐにできることはその場でする」というのが、仕事上のモットーなのでしょう。私も見習いたいです。
 送られてきたものは次の通りです。

 ■マレイシア大使館より・・・パンフレット、観光ガイド
 ■大韓民国大使館より・・・本2冊
 ■フィリピン大使館より・・・観光パンフレット
 ■シンガポール大使館より・・・資料のコピー、マーライオンシール
 ■インドネシア大使館より・・・資料のコピー、観光パンフレット
 ■フィジー大使館より・・・観光ガイドブック
 ■タイ王国大使館・・・資料のコピー

 特に感激したのは、大韓民国とマレイシア大使館の便りです。
 資料を送ってくださるので十分なのですが、子供たちあての簡単な手紙まで添えられていたのです(本物の通信では紹介しましたが、ここでは略)。これには感謝の気持ちでいっぱいです。
 また、フィジー大使館からの本は見ごたえがありました。子供たちも鮮やかな本の表紙を見た時には、「すごい!」と声をあげていました。もっとも、「すべて英語で書かれているよ」と言った時には、ズッコケでいましたが・・・(笑)。
 正直なところ、冬休み中に返信がきて、3学期明けに礼状を書くことになるかな・・・と思っていました。
 しかし、これだけのスピード。そして、これだけの資料にさっそく書かなければいけないなあと思っています。感謝の気持ちからです。
 子供たちもなかなか礼状を書く機会は少ないと思われます。マナーの一つとして、この機会を利用してぜひ書かせたいと思います。

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 卒業の日、私からの贈り物は、子供たち一人一人への「贈る言葉」です。学級通信4~5枚になりました。特別に上質紙に印刷をして、白い封筒に入れます。

学級通信 ロマン・シューレ 第218号 3月18日

   贈る言葉 ①

 卒業の日。最後の通信。君たちへの「贈る言葉」です。

■Aくん
 音楽のテストで君が歌ったあと、必ず学級は「オーッ」という歓声につつまれた。もちろん上手だからだ。何せ実力は市内一、県でも有数の君のこと。でも、それに至るまでには君も努力したはずだ。何もしないで、歌がうまくなるわけがない。そういう点では、努力の意味を君はよくわかっている。これからは、その努力を他のことに広げることが一番大切!

■Bくん
 舞台は運動会、あるいは球技大会。がんばる選手たち。盛り上がる応援団。いつもその輪の中心に君はいた。あらん限りの声をふりしぼり、「何やってんだ!」「いいぞー!」と仲間を勇気づける励ましを君は言っていた。君の声や手拍子で、どれだけ学級がまとまったことか。みんなもそれは知っている。「明るさの配達人」-それを中学校でも生かしてほしい。

■Cくん
 何の授業の時にも、「熱心」という言葉があてはまる君。質問もしょっちゅうしていたし、発表も積極的。跳び箱では「先生、みてください!」と言う。しかし、一番印象に残っているのは別のことだ。歌を歌う時の君の表情がそれだ。意外と思うだろう。真剣な表情、真剣な歌いぶりは人の心を打つものだ。そして、それはいつまでも人々の記憶に残っていく。

■Dくん
 誰もが認める君の運動神経。運動会、陸上記録会、そしてミニバス。いつもトップを走り続けていた。しかし、それ以上に評価したいのは君が学校のリーダーになろうと思っていた点だ。企画委員の仕事をやりとおした経験は、スポーツとはまた別の価値がある。自分たちで仕事を考え、うまくいかない時には別の方法を考える。難しいことだけど、よくやり遂げたと思う。

■Eくん
 「6年1組は楽しかった」とほとんどのクラスメートは答えるはずだ。その理由の一つに、「お楽しみ会が多かった」ということがあげられる。そして、それらの活動は君抜きには考えられない。企画力、仕事の段取りなどは、授業で教える機会は少ない。どこから、あんな力を得たのか。そして、時間の使い方の上手さ。ビジネスマン顔負けだった。

■Fくん
 君が自立していると思ったのは、図画の時間だ。文化祭の絵。多くの子たちが、2~3人で同じ場所で風景画を描くのに、君は学校の坂に一人でいた。自分だけの絵にするために、納得のいく場所を選び、一人黙々と画用紙に向かう。考えてみれば、孤独な作業である。しかし、多くの芸術は孤独の中から生まれたのだ。それを知っていた君は、もはや芸術家だ。

■Gくん
 言葉遣いがきちんとできる人は信用される。この2年間で君の一番変わった部分は、その言葉遣いである。ただ、丁寧というのではない。オアシス(オハヨウゴザイマス、アリガトウゴザイマシタ、シツレイシマス、スミマセン)が完璧なのだ。こちらが元気になる挨拶はなかなかできない。そして、感謝の気持ちを持っていても、それを態度に表さない限り人には伝わらない。君はそれができた。

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学級通信 ロマン・シューレ 第219号 3月18日

   贈る言葉 ②

■Hくん
 他の先生方が言う。君の目が変わったと。落ち着きのある優しい目になったと。それは以前の君を否定しているわけではない。人間は、成長すればするほど目が変わって、いくものなのだ。今考えると、水泳強化練習は自分を鍛えるいい場だった。そして、それに君は一生懸命に参加した。自分で自分を変えるチャンスを君自身が生かしたのだ。

■Iくん
 正直に言おう。5年生の時の水泳強化練習の時、君が厳しい練習にどこまでついていけるか不安だった。それが、一日も休まず練習をした。それが、6年生の時に実を結び、選手になった。それだけで十分と思ったが、市内6位と入賞を果たした。スタート台で緊張しきったあの表情が忘れない。同時に、ゴールでタッチした直後の満足そうな顔も。

■J子さん
 君は読書家。誰も認めるところだ。平均一日一冊のペース。5年生の時にも驚いたが、6年生でもそのペースは変わらなかった。そして、私が感心するのは、忙しい中で上手に時間をやりくりしている点だ。合唱クラブも、おけいこごとも並行して読書する。しかも、中途半端にしたのは一つもない。君のその徹底ぶり、今後の何事にも通用することだ。

■K子さん
 君に「代表委員をやって」と私は気軽に頼んだ。「エッ」と一瞬困った表情をしたことを今でも覚えている。ところが、実際になってみるときちんと自分の責任で仕事をしてくれた。それもそのはず。君は水槽が汚くなってくると、いつの間にか水を交換してくれていた。寒い中、係でもないのに・・・細かなことによく気付く人は責任感ももちろんあるのだ。

■L子さん
 君は最初、自分に自信がなさそうだった。自分を出すことを遠慮しているように見えた。でもそうではなかった。活躍の場が与えられると、どんどん積極的になってきた。君の活躍の場は、6年生では陸上だった。4月から朝練習をはじめて、10月までやり通した。陸上競技場で走る君は、何と大きかったことか。自信はその人を大きく見せるものだと感じた。

■M子さん
 君は、何ごとにもズバリと言う。誰が相手でも構わない。たとえ、学級のやんちゃな男の子でも、言うべきことを言っていた。自分の考えがしっかりしていなければできないことだ。それがふだんの生活だけでなく、学級会でどんどん出るようになってきたことを嬉しく思った。一人一人の個性が輝いてこそいい学級だ。君の個性も、学級で光っていた。

■N子さん
 努力の人。今まで君に言い続けてきた言葉だ。聞き飽きたかもしれない。しかし、あえてまた言おう。君は本当に努力の人だ。それも、人に言われての努力ではない。すべて自分で考えて、努力するというの点が尊いのだ。だから、君は自分の人生を切り開いていくであろう。それは、努力という財産が君にあるからできることなのだ。

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学級通信 ロマン・シューレ 第222号 3月18日

      贈る言葉 3

■O子さん
 君の物事を見る目はとても温かい。いつも日記を読んでそう思った。人を見る時にいつも、「よい点」を見ていた。人間の本性からすれば、人の悪い点ばかり目につきやすいのに。そういう点では、卒業文集の「クラスNO.1」というのは、君にぴったりの仕事だった。読んでいて、人を見る鋭さ、そして温かさがよく伝わってくる。その温かさをいつまでも。

■P子さん
 水泳は疲れるスポーツだ。それを4種目も泳ぐのが個人メドレー。練習で何度も立ってしまう君。ゴールしたあと、へとへとになって座り込んだこともあった。それがどうだろう。回数を重ねるごとに立つ回数が減る。記録は伸びる。その結果が、県小学校標準記録突破。君がこれから困難にあった時は、この時のことを思い浮かべればこわいものなしである。

■Q子さん
 6年生、1学期途中からの転校。君にとって心理的に負担だったと思う。私も心配した。しかし、すぐに君がミニバスに入ったということを聞いた。練習は半端ではない。「大丈夫かな」とまた心配した。しかし、それは不要だった。君にはよきミニバス仲間ができ、どんどん君は話すようになってきた。君は短い間に自分自身を変えていったのだ。

 昨日、教え子から手紙が届いた。
 10年前、初任で担任した子からだ。背が一番低かった子。しかも泣き虫。勉強や運動が得意なわけではなかったが、よく努力をする子だった。
 彼女も今は高校3年生。卒業式を終えたばかりだ。
 手紙には、高校生活が充実していたこと、4月からいよいよ会社で働くこと、そのために自動車免許をとろうとしていることなどが書かれていた。それは教え子からの手紙というよりも私の友達からの手紙という感じだった。

 君たちとも同じだと思う。今までは担任と児童という関係だった。その関係もこの3月でおしまいだ。
 しかし、もうすべての縁がきれるわけではない。むしろ新たな関係になると考えた方がいい。どんな関係か。それは、「一人の人間と一人の人間の関係」である。
 いずれ、君たちも青春を迎え、成人になっていく。喜ぶことも、悲しむことも、悩み傷つくこともあるだろう。
 その時に、一人の人間として私にできることがあったら、応援をしたいと思う。電話でもいい、手紙でもいい。返事はすぐにする。
 これは、何も「手紙をください」という意味ではない。君たちは、前進あるのみだ。後ろを振り返る必要はない。
 ただ、ふとしたきっかけで小学校生活を思い出すことがあるかもしれない。その時に、また交流が持てることがあるかもしれないということだ。

 「別れは悲しい」と誰かが言った。その通りである。
 と同時に、「別れはまた美しい」とも思う。その意味で、今日は君たちが一番美しい日だ。いつまでも記憶にとどめておいてほしいと思う。

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2016.04.09

6年生学級通信 その1

【HP移行のためのリバイバル掲載です】


 思春期になるといろいろと子供たちも考えます。そのような子供たちが自分を見直す授業です。

学級通信 ロマン・シューレ 第165号 12月14日

   ぼくにはいいところがある。
   人生に花をさかせよう。

 9日に小中交流会がありました。
 これは、中学校の先生方に6年生の授業を見ていただくものです。
 6年1組では、学級活動の授業を行いました。子供たちは、「学級活動?何の話し合いをするのですか?」と感じていたようですが、何も学級会ばかりが学級活動ではありません。その日は、「自分や友達のよい所を見つけよう」という授業をしました。
 授業の概略は、次の通りです。

 1 「私は誰でしょう」の班対抗のクイズを行う。
   班で一人、答えとなる人を決め、その人に関するヒントを与えて誰か答えさせる。
 2 自分のよい所や直したい所を考える。
   クイズやヒントのように、その人にしかないものが個性。自分の個性について考える。
 3 友達から自分のよい所を教えてもらう。
   あわせて、「短所は長所の裏返し」という見方を理解する。
 4 授業の感想を書く。

 学習といっても、自分の長所・短所について考えるものです。
 最初に子供たちに、「自分の長所・短所について、真剣に考えたことがある人?」と聞いたところ、手をあげた子はわずか二人のみ。いろいろと友達関係で悩んでいることを日記に書く人もいるので、これは意外でした。
 しかし、中学校に入れば、自分はどうしてこんな性格なんだろうと悩んだりすることは間違いありません。私自身も私の友達もそうでしたから。
 いわゆる「思春期」です。その前に、改めて自分のことについて考えてみることも意義あることです。

 1のクイズは盛り上がりました。答えが合うたびに、「ワー!」という歓声があがります。「個性」という学習に興味を持たせるということが、このクイズの目的でしたから大成功でした。
 次に、自分の長所と短所をそれぞれ書かせました。これは、短所の方が長所よい多く書かれていました。特に十人くらいの子が、短所は書いたものの、長所は書くことができませんでした。これは、ふだんから長所より短所を意識しているからだと思います。私も、子供たちに「直したい所」を強調していたのではないかと反省しました。(お子さんが、どんなことを長所や短所で書いたのか、ぜひお聞きください。)
 そこで、友達に自分の長所を指摘してもらいました。それらを黒板にまとめていくうちに、「短所に『明るすぎる』とあるけど、長所ともいえるのでは・・・」「『がんこ』も長所と言えるのでは・・・」と気付いていきました。
 子供たちの感想を紹介します。

・楽しかった。ぼくにはいいところがある。人生に花さかせよう。
・今まで自分の個性についてあまり考えなかったけど、今日の勉強でよい所はこれなんだ とか、直したい所はこれなんだとかわかった。
・今日の授業はとても感心しました。ふだんは嫌いな人でも、いいところがあるんだなと考えれば、(ああ、この人は実はいい人なんだ)と考えると思います。これから人の長所を 見つけたいです。
・自分ではよいところを見つけれなかったけど、直したい所がもしかするとよいところかもしれない・・・。

 感想からもわかるように、子供たちの見方が変わった授業になりました。

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 6年生ともなると教師のことをよく見ているものです。「見られている」というのを以前はそれほど意識していなく、今考えるとだらしない恰好で授業をしていたものです。さすがに今は・・・・。どうかなあ。ここ7、8年は授業で常にネクタイをしていますが。


学級通信 ロマン・シューレ 第110号 9月27日

   教師ウォッチング

 子供たちは大人をよく見ているものです。以前、「子供ウォッチング」というのをしましたが、今回は、私が子供たちに見られている部分を紹介しましょう。

■電話に向かって礼
 学級と職員室を結ぶインターホンがあります。
 ある時、教室にかかってきました。私のほうで、「はい、どうも。どうも。」と言ってインターホンを置きました。そうしたら、ある子が、「先生、どうして相手が見えないのに、手をふるんですか?」と聞きました。
 私には、無意識のうちに電話でも身振り手振りを交えたり、「ありがとうございました」という時に、電話を耳にしながら礼をしてしまったりというくせがあります。そのくせを見ぬいているわけです。(結構、そういう人は多いと思いますが・・・)
「人の心は言葉だけでは伝わらない時がある。電話をしながら礼をしていると、本当の心が伝わるものなのですよ。本当だよ。」
「ふ~ん。」
 言ったあとでハッとしました。子供たちに言った手前、常にインターホンを片手に礼をしなければいけなくなってしまったことに・・・。

■「先生、ネクタイが・・・」
 よく見ているといえば、私の服装もそのターゲットです。
 特に女の子は鋭いです。男の子の場合は、まあどうでもいいやという感じです。(これは私も男の子でしたからよくわかります。)
 何か言われることが多いのは、公開や授業参観のように、授業開始をじっと待っている時です。
 県国語教育研究大会の時には、授業が始まる数分前に、「先生、今日のネクタイ、いつもと違うね~」なんて話しかけられました。(何、毎日きちんと変えているのに!)すでに、後ろに参観者が待っていて、こちらも緊張状態にいるというのにです。
 服装だけではありません。床屋に行けば、「先生、髪きった」、時計やワープロを新しいものにすると、「先生、変えたね・・・」。なかなか目ざといものです。

■「指示の仕方がそっくり」
 「子供は親の言うことはきかなくても、することは真似するものだ。」
ということを以前聞いたことがあります。私も親になってみて、この言葉は実感しています。
 さて、学級担任と子供との関係も似た面があります。教師の授業での話し言葉が、子供たちの言葉遣いに大きな影響を与えます。
 特に感じたのが、社会科の子供たちの発表の時です。子供たちは、発表後に質問や意見を聞きます。その時には子供たちに進行を任せているわけです。
 ある子の指示の仕方。
 「はい、次!」「しっかり聞いていなさい!」
 私の方は「ドキッ」です。何のことはない。私の指示の仕方にそっくりだからです。
 教師の姿をよく見ているものです。

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6年生としての行動に思わず「すばらしい!」ということを発見する場合があります。

学級通信 ロマン・シューレ 第101号  9月14日

    大人もうなってしまうこの気遣い

★その1 電話連絡の中から
 今週の日曜日、青少年郷土芸能発表会が行われました。我が6年生のうち35名が放課後に6回練習をして、この会に備えました。
 演目は「組甚句」です。昨年度の6年生から引き継がれたものを披露する機会に恵まれたわけです。会場は、藤原の郷の予定でした。
 ところが前日の雨で、その日の朝に体育文化会館に変更となりました。
 我々担任は会場変更の電話連絡です。その中の一人の受け答え。
「はい、わかりました。」
 ふつうだったらこれで終わります。でも、この場合にはさらに続きました。
「他の誰かに連絡しましょうか?」
 私の手伝いまでしてくれると言うのです。この心遣い。「すばらしい!」とその瞬間、心の中で思いました。

★その2 インターホンごしに
 職員室と教室を結ぶインターホンがあります。
 学校は実に広いです。職員室と教室を往復するまに、2分以上かかってしまいます。
そこで、緊急の簡単な連絡のためにインターホンを活用する場合があります。
 ある時に、私から教室にかけました。
「はい、6年1組です。」
 ふつうだったら、これで終わります。さらに言葉が続きます。
「私は〇〇〇〇です。正寿先生は、今おられません。用件をお聞きします。」
 ここまでくると「お見事!」と言いたくなります。これだと他の先生が伝える場合でも、誰に伝えたかがわかります。また、敬語が自然に出ているところにも感心します。

★その3 休み時間の前に
 昼休み時間といえども、委員会活動があったり、諸活動があったりします。1時5分に給食が終了するわけですが、時には「1時5分集合」という連絡もあります。子供たちは、給食終了時にそうじのために机と椅子を後ろに運びます。集合時刻を優先するとそれに間に合わない時もあります。
「〇〇くん、〇〇に行くから机を運んでおいててください。頼むね。」
「はい、いってらっしゃい。」
 こんな関係が自然にできる人たちがいます。いい関係だなあと思います。

 子供の頃にあれこれ小賢しくなる必要はないと思います。
 でも、年相応に身につけてほしいマナーはあると思います。小学校6年生。どの程度のマナーがふさわしいのでしょうか。悩むところです。
 ただ、「人の心を傷つけない」「相手を思いやる」といった点については、一人一人が行動に表すことは十分にできると思います。問題はその表現の仕方です。これは具体的な場面で教えていくべきことだと思います。
 そのために、いくつかの例を出しました。私の見えないところで、いろいろな行動をしていると思います。子供たちのやさしさをのぞくことができます。

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地域の人のご好意で実現した「茶の湯体験」。心落ち着くひとときを体験できて最高でした。

学級通信 カルチェ・ラタン 第33号 6月25日

室町文化体験・茶の湯を習う 1

■高浜小学校に転勤して、校舎をぐるっと回った時に、多目的ホールの横に畳の部屋があることに気付きました。しかも床の間つきです。
 それを見て、「いつかこの部屋で日本文化に触れる学習をしたいな」と思いました。幸い、我がクラスのSさんのおばあさんがお茶を教えている先生だということを聞きました。
 これは貴重な機会です。ぜひ、子供たちに室町文化の一つである「茶の湯体験ができる」と考えて、昨日行うことができました。

■茶の湯は、若干の子が習い事でしたことがあるものの、多くの子にとっては初めての経験です。私自身も初めての経験です。
 だから、子供たちも私もとても楽しみにしていました。朝の会の発表でも、「茶の湯をするのが初めてなので、とても楽しみです」「正座がつらそうです」「お菓子が楽しみです」といったように、茶の湯に関わる発表が続きました。

■始める前に、日本間に茶の湯の道具等のセットをしました。先生が掛け軸を持ってきてくださいました。
  「心静茶味香」と書かれています。この掛け軸の字をみただけでも、どんな気持ちでお茶を味わったらいいかわかるような気がしました。

■いよいよ始まりです。先生から、お菓子のいただき方、お茶のいただき方をを教えていただいて、一人一人いただきました。子供たちの中で、Sさん、Tさんが実際にお茶を入れてくださいました。
 私が「なるほど・・・」と思ったことがあります。
 それは、いただく前に、お隣の人に「お先に、いただきます」と一声かけるというところです。これは「気配り」の文化とでも言うのでしょうか。日本の伝統文化のよさでもあると思います。
 一言で言えば、お茶をいただいた後に、「ありがとうございました。結構なお味でした。」と私が言った後に、男の子たちも同様に言いました。これには、先生もにっこりです。

■「気配り」という点は、もっともっとありました。たとえば、畳の縁を踏まないところ。お菓子を食べた後に、紙の角ではしを拭くところ。
 これらは、茶の湯だけの世界ではなく、日本の生活の中に根付いたよさでもあるんだなあとつくづく感じました。体験して、初めてわかったことです。

■終わった後で、その場で簡単な感想を聞きました。
  「おもったよりお茶が苦くなかったです。」(うす口だたようです。)
  「お菓子がとてもおいしかったです。」(その通りでした。)
  「足がとてもしびれました。」(私も立つ時はふらつきました。)
  子供たちにとってみれば、室町文化、日本の伝統文化というよりは、まずは体験したこと自体が価値あることだったのでしょう。
 これから、テレビや本等で茶の湯が出てきたときには、今までと反応が違うと思います。興味を持って見ることでしょうね。

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 大きな行事は子供たちにとって節目となります。

学級通信 カルチェ・ラタン 第72号 10月20日

    学習発表会 余話

 学習発表会が終わりました。たくさんの皆様にご覧いただきました。ありがとうございました。子供たちも全力を尽くして発表をしたと思います。

■6年生としての自覚
 6年生になってから、いくつかの大きな行事がありました。運動会、修学旅行、水泳・陸上記録会等々。
 一つ一つの行事を節目として子供たちは成長をしてきたと思います。
 今回も同様です。担任の私としても「学習発表会を通して一回り大きくなってほしい」と願っていました。今回、子供たちの自覚を高めるのに役立ったのが教室の黒板です。総練習や本番当日、一人一人が朝教室に入った時に「自分のめあて」を書きました。たとえば、本番当日のめあては次のようなものが出てきました。
 ★ 自分の仕事を責任をもってする
 ★ 緊張してもがんばる
 ★ 何事にも全力で行う
 ★ とにかくがんばる
 これらの言葉は一人一人の自覚を高めることになりました。子供たちへの満足感にもつながったと思います。

■みなさんと作り上げた発表
 さて、「子供たちの発表」でしたが、実質は「皆さんと作り上げた発表」と言えます。
 たとえば4~6年生での劇では、「祖父母の方への聞き取り調査」をもとにしています。もちろん、衣装面でもご協力をいただきました。
 また、全校音読では、学年委員さんを中心としてギャラリーの暗幕の開け閉めを手際よく行っていただきました。
 全てのことに改めて感謝いたします。本当にありがとうございました。そういう意味で皆さんのご協力でできた発表と言うことができます。

■その機転に感動!
 練習期間が長いですから、いろいろなことがおきます。
 その中の一つのエピソード。
 本番当日の朝練習のこと。Y君が体調が悪く、全校音読の途中で座ってしまいました。最後にY君だけが言うセリフがあります。「どうしようか・・・。私がかわりに言うしかないかな。」と思っていたら、K君が機転をきかして、Y君のセリフをすばやく言ってくれました。
 K君の位置からはY君は見えません。Y君のセリフが出てこないのを「おかしい」と思い、その様子を見て瞬時に言わなければと思ったそうです。しかも、友達のセリフを全部暗記していなければできないことです。さらに、言う勇気も必要です。
 朝練習の後、学級のみんなにもこのことを話しました。この出来事で、「本番は全員成功するだろう!」と確信しました。
 本番の全校音読では、体調不良気味だったY君も最後のセリフまでがんばりました。自分の責任を果たそうとしたその姿勢にも拍手です。

 いずれ一人一人のよさが輝いた発表会でした。

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  陸上記録会で選手宣誓の大役を出すことになった。せっかくの機会だから学級のみんなで考えることにした。

6年学級通信  カルチェ・ラタン  第56号  9月11日

    全員で考える選手宣誓

 来週の土曜日の陸上記録会に向けて、子供たちの陸上練習も熱が入ってきました。今週は、月曜日、木曜日と陸上競技場で記録を測りました。「去年より2秒伸びた!」「今日は最高記録!」といった嬉しい声も聞こえてきました。

 さて、今回の陸上記録会では、実際の種目とは別に大きな出来事があります。それは「選手宣誓」が我が小学校の割り当てになっているということです。
 一人ではなく、全員一斉に「宣誓!」とやったら、とてもいいだろうな・・・と担任である私は夢想していましたが、現実的には無理です。でも、陸上リーダーであるK君、Eさんで行うことは可能となりました。

 さて、問題は宣誓の文言です。
 せっかくの機会だから、学級全員で選手宣誓で使われる言葉を考えようと思いました。
 最初に、「陸上記録会で思い浮かべることは何ですか?」と子供たちに聞いたら、「人間」「よろこび」「感動」「走る」「応援」「練習」といった言葉が出てきました。その数、38種類!
 そして、「この中で、宣誓にふさわしい言葉を各自3つ選びなさい。」と言いました。
 次の4つを選びました。

   「全力」  「一生懸命」
   「頑張る」 「ベスト」

 この4つの言葉は、今の子供たちの陸上練習を表している言葉でもあるなあと感じました。
 陸上記録会の日、これらの言葉が盛り込まれた選手宣誓が行われます。
 きっと、みんなの心に残る選手宣誓となることでしょう。

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2016.04.03

5年生学級通信 その2

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

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4月に学級のキャッチフレーズを決めています。(学級目標とはニュアンスがちょっと違います。)「子供たちがいつまでも覚えている」ことがキーコンセプトです。


学級通信 夢工房・21 第7号  4月14日

合言葉は 「はばたけ 夢のつばさ 未来にむかって」

★ 子供たちがすぐに言えるキャッチフレーズ
 毎年、毎年子供たちの手による「学級のキャッチフレーズ」を作っています。キャッチフレーズを合言葉にして、いろいろな活動の起点にしたいからです。
 4年生の時のキャッチフレーズは、「輝け太陽!プラズマレインボーロード!」でした。
(たいへん長いのですが、「輝け」にも、「太陽」にも、「レインボー」にもそれぞれ意味がありました。)
 さて、そのキャッチフレーズを作る時にはポイントがあります。
■子供たちの願いが込められている言葉を使うこと
■子供たちがすぐに言えるようなキャッチフレーズにすること
 私は、このキャッチフレーズを決める授業が大好きです。新しい学年でロマンのある言葉、夢のある表現が出てくるからです。
 今回もその通りでした。

★ まずは、「願いの込められている」言葉から
 最初に子供たちに、キャッチフレーズに使いたい言葉を発表させました。
 次のように、実に多くの言葉が出てきました。
■ドルフィン(「賢い動物」「大きく跳ぶ」といったところから)
■夢(明るい未来の象徴)
■鬼(力強いから)
■2001・21世紀(新しい時代になる)
■つばさ(どんどん飛んでいく)
■青空(広い、広いもの)
■のびやか(自分の好きな言葉だから) 等
 かっこの中にあるように、その言葉に込めた自分の願いも言わせました。出た言葉の数、22種類です。

★ キャッチフレーズにする
 言葉を出しただけでは、まだキャッチフレーズではありません。ここから言葉を絞り込んで、キャッチフレーズにしていきます。
 22種類の言葉のうち、子供たちが特に共感するものを3つ選びました。
「夢」「はばたけ」「つばさ」です。そして、この三つの言葉を入れたキャッチフレーズを考えさせました。
 いくつかの案の中で、選ばれたのが、

 はばたけ 夢のつばさ 未来にむかって

なのです。大きく、大きく伸びていく子供たちにピッタリのキャッチフレーズです。私も気に入りました。

★ さっそく関連活動
 キャッチフレーズも、活用されなければ意味がありません。まずは、学級のシンボルとなる掲示物を作りました。イメージは「鳥」ということで一人一人が好きな鳥を絵にして、22のつばさができました。(参観日にご覧ください。)
 これからさらに、学級歌、旗作りと活動は広がっていくことでしょう。楽しみです。

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 学級の独自の歌はやはり楽しいものです。この歌を学級会で歌うたびに子供たちはニコニコでした。私もです。歌詞が嬉しいものでしたから。

学級通信 夢工房・21 第98号 9月20日

  学級の歌に取り組んでいます

 子供たちが盛り上がる授業というのがあります。きょうはそのお話です。
 先週の学級活動で、「学級の歌」を作ることに決まりました。
 昨日の音楽の時間を使って、さっそく歌作りに取り組みました。大きくは2つのグループに分かれました。「かえ歌グループ」「オリジナルグループ」です。だから、学級の歌は2曲ということになります。
 かえ歌グループは「森のくまさん」を選びました。今流行の「オハロック」をはじめとして6~7曲候補があがっていたのですが、「みんなが知っている」「替え歌をつけやすい」という理由で選ばれたようです。

 その曲選びでずいぶん時間がかかったのに、歌詞はあっという間に10分ぐらいでできました。
 そのコツは、歌いながら誰か適当な言葉を言うと、「それがいい!」といってどんどん決めていくからです。1フレーズ作る度に、ワッと盛り上がって歓声があがります。「ピッタリ!」「合っている!」という声が飛び交っています。
 最後には、「歌詞の中に先生も入れよう」ということで、入れさせてもらいました。というわけで、次のような歌詞の完成です。

♪ 5年生の歌 その1 「森のくまさん」のメロディで ♪

1 高小(高小)  5年生(5年生)
  はばたけ(はばたけ) 夢のつばさ(夢のつばさ)
  未来に向かって それゆけ5年生

2 高小(高小)  5年生(5年生)
  美男子(美男子) 美少女(美少女)
  そして先生も なかなかいけてるよ

 これからは、この歌が学級会や応援の場等で響くことでしょう。
 さて、もう一つのオリジナルグループ。これは、曲作りから始まるので難しいです。ですが、半分はできたようです。
 あとは休み時間を使いながらということになりました。こちらも完成が楽しみです。完成したら紹介をします。

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 子供たちの成長ぶり、やはり嬉しいものです。教師になってよかったと思う瞬間です。

学級通信 夢工房・21 第127号 10月31日

    爽やかな風

 金曜日は、学級集会係企画の「ミニミニ集会」です。学級みんなで遊ぶので、私は実にいい休み時間だと思っています。
 先週もそうでした。
 給食時間に、係の子が言います。
「今日の集会では、このごろサッカーでみんな楽しんでいるので、サッカーをします。」
 多くの子供たちは、声には出さないけど、「わかった」という様子です。
 しかし、今日は反対の声が出てきました。

「体育でサッカーばかりしているので、今日は別のががいいです。」(注:なるほど、こ れは確かにそうだ。)
「たとえば何ですか」(注:この切り返しも見事。)
「たとえば、ドッジボールとかです」(注:ドッジボールもいいアイデアだ。みんなもこれでいいと言うかもしれない。)
「もっとはっきりと言った方がわかりやすいです。『とか』ではなくて・・・」(注:ん~、国語の学習のようになってきたなあ。鋭いぞ。)

 私が黙って見ていると、次々と手があがります。「賛成!」「反論!」という声も聞こえます。給食時間なのに、まるで討論会、ミニ学級会になってしまいました。

 意見がいくつか出た後、集会係が次のように言ってようやく決まりました。
「今日は、話し合う時間がありません。だからサッカーでお願いします。」(注:この「お願いします」がみんなを納得させるポイント!よくぞ言ってくれた。)
 これにてとりあえず一件落着。むろん、「ドッジボール」という希望はきっとこの次のミニ集会に生かされると思います。

 さて、この後、少し不安になりました。「反対した人たちはもしかして参加しないのでは・・」 ところが、ところが・・・。天気のよい秋風の下、反対した人も一緒に楽しんでいました。男女混合で2チームを作って、ちゃんとサッカーのゲームをしていました。
 男子がドリブルしているボールを女子がとったり、得点シーンでは思わず「ヤッタ―!」と大騒ぎをしたり・・・。皆いい顔で遊んでいます。本当に楽しそうです。

 「話し合いでは自分の意見を主張する、でも決まったことに従う」

というルールがみんなの心の中にちゃんと存在していました。そのことを感じた時、本当に嬉しかったです。
 おりしも、涼しい秋風がサッカーでかいた心地よい汗を乾かしてくれます。
 私の心にも心地よい風が吹いていました。

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 ちょっとしたことから子供たちの知的好奇心を高めることは、実に楽しいことと思っています。

学級通信 夢工房・21 第149号 12月5日

   さらに知的に・・・

 勉強というのは、何も授業中に教科書を使って・・・ということばかりではありません。今日は、日常の中から子供たちが賢くなっている話題です。

■地名を覚えよう
 全校朝会で、6年生のHさんが沖縄の多良間村との交流事業で、多良間島に行くと校長先生が話されました。
 このような話題があると、私は「しめた」と思います。その話題をきっかけに地理的な知識が深まるからです。

 さっそく教室に戻ってから、「沖縄の多良間島を見つけなさい」と言いました。すぐに子供たちは索引で調べ始めます。ところが残念ながら索引にはついていません。仕方なく、沖縄が出ている範囲で探します。
 翔大くんと翔くんが最初に見つけました。沖縄の南も南、台湾まであと百数十キロというところがにありました。(きっと文化も違うのでしょうね。)
 さっそく丸で囲んでおきます。そうすることによって、「以前何かを調べた」という証拠になります。印がつけばつくほど、地図帳を使っていたということになります。

 合わせて、宮古市の姉妹都市の「黒石市」も調べさせました。黒石市と宮古市が姉妹都市であるということは、ほとんどの子供たちはわかりませんでした。もちろん、黒石市が青森にあるということもです。
 地図帳には黒石市の所に大きなりんごのマーク。「きっと、りんごの産地なんだ」と子供たちも思いをめぐらしていた。
 一つの話題から、ちょっとした時間で知識が広がります。

■難解漢字にチャレンジ

 学級レクで教室で会食した時に気づかれたかもしれませんが、教室の黒板に毎朝、いくつかの「難解漢字」が書かれています。朝の会で簡単に取り上げる程度なのですが、読むことができない漢字が出てきた時には、子供たちも黒板の前で「これは何だ?」と首をひねっている姿が見られます。
 一種の「難解漢字チャレンジコーナー」みたいです。
 これはK君が一人勉強ノ―トに書いた難しい漢字がきっかけでした。昨日はたとえば次のような漢字が出ました。

・蝉・・・せみ  ・蛍・・・ほたる  ・飛鳥・・・あすか  ・吟・・・ぎん  ・獏・・・ばく

 これらは私もわかるのですが、T君が出した「こうのとり」(注:漢字に変換できません)の問題は「ん?」と思ってしまいました。
 最初、「鶴」という漢字の間違いだろうと本人に尋ねたら、「いや、ちゃんと辞典にのっています」とのこと。「ほう」と思ってのぞいてみたら、確かにありました。
 子供たちも勉強になりますが、私もちょっと知的になりました。

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「〇年生で〇〇をしてくれませんか」という依頼がくる時がある。そんな時には「面倒」と思わず、「いい指導のチャンス」と思っている。

学級通信 夢工房21 第49号 6月15日

   あいさつ文を考える

 昨日は6年生の修学旅行の報告がありました。
 作文だけではなく、ビデオで実際の見学先(平泉・仙台・松島等)を紹介してくれました。「来年は自分たちの番」ということで、子どもたちは興味深げに見ていました。
 さて、この報告会の時に「5年生から」という簡単なあいさつがありました。
 代表一名でいいのですが、せっかくの機会です。国語の時間にあいさつ文の学習を取り入れました。
 最初に次のように言いました。

 6年生が修学旅行から帰ってきました。
 君たちが5年生の代表として迎えることになりました。そんな時にどのようなメッセージを6年生におくりますか。ノートに書きなさい。

 子供たちは思い思いに書きます。
 この時点では、子供たちの書く内容は様々です。そのうちのいくつかを発表させました。次のようにです。

 例・6年生のみなさん、おかえりなさい。修学旅行は楽しかったですか。その楽しい思い出をわたしたちに聞かせてください。

 このようなものが6つです。それらの中から、このような時のあいさつ文としてふさわしいものを考えました。次のような内容を入れたらいいという結論になりました。

 ■旅行のねぎらいのあいさつ
 ■問いかけの文(例・楽しかったですか?)とそれに対する予想の答え
 ■自分の思ったこと
 ■6年生の留守の間のこと
 ■まとめ(話を聞かせてくださいといった内容のお願い)

 この後、再度書き足しました。下記のようなあいさつ文となりました。

 6年生のみなさん、おかえりなさい。修学旅行は楽しかったですか。たぶん、楽しかったでしょう。
 6年生のみなさんは、小学校生活最後なので、いい思い出になったと思います。
 5年生は、6年生に頼まれた仕事をちゃんとしました。
 これから思い出を教えてください。よろしくお願いします。

 あいさつ文の習得も一つの技能です。高学年として、これからあいさつする機会も多いと思います。今回はあいさつ文を考えるいい機会になりました。

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2016.04.02

5年生学級通信 その1

【HP移行に際してのリバイバル掲載です】

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謎解き風の子供たちとの出会い。そんな遊び心、大好きです。

5年 学級通信  カルチェ・ラタン 第1号  4月7日

       出会い その1

    5年生スタートの日
 5年生・・・いいひびきだ
 クラスがかわる
 友だちもかわる
 教室もかわる
 そして・・・先生もかわる
 君たちが今一番知りたいこと・・・・
 それは担任の先生がだれかということ
 1時間後、その答えは出る
           君たちの担任「ミスターX(エックス)」より

 出会いの日はいつも緊張するものです。子供はもちろん、教師もです。
 「どんな子供たちと出会うのだろうか」という期待と共に、「自分が担任と発表された時、子供たちはどんな反応を示すだろうか?」という若干の不安もあるからです。
 今回は5年ぶりの高学年の担任。出会いを工夫しようと考えました。
 一つは担任が誰か謎解きのようにしておくこと。
 もう一つは、「担任方針演説」です。
 さて、冒頭の文。これは、前日教室の黒板に私が書いていたものです。
 子供たちは、西昇降口で、自分の学級を知ります。そして教室に入ります。気になるのは、担任の先生は誰かということです。ふと、黒板を見ると文が書いています。
「『ミスターX』って誰だろうな・・・」と感じてくれたらしめたものです。
「XってN先生でしょうって聞いたら、『ウーム』って言っていたよ。だから、N先生だよ」
という会話が廊下を通りがかった時に、聞こえてきました。
 まずは作戦成功です。
 さて、紹介式のあとの始業式。
 校長先生が1年生から順番に発表します。私は、じっと5年1組の子たちの反応を見ていました。さすがに前学年で担任だったM先生(1年担任)、I先生(2年担任)、W先生(3年担任)の時には列がゆれて、(あっ、違う先生になるんだ・・・)という心境が伺えます。
 4年生の発表が終わると、残る時間も限られます。
「果たして、誰になるのかな・・・」
といった表情です。
 いよいよ5年生の担任の発表です。
「佐藤正寿先生です。」と言われて、元気よく「はい!」。子供たちの前に立ちました。
 じっと子供たちの目を見ました。
 第一印象。「わりと落ち着いている」。
 子供たちが私のことをよく知らないから、どんな顔をしていいか戸惑っていたからかも知れません。
 担任の謎解きは終わりました。次は、「担任方針演説」です。

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 学級通信のセレクションをして「こういうこともしていたんだ!」という発見もあります。これは教師になって3年目のことです。通信名は「三年」を意識しています。

学級通信  石の上  第5号  4月10日

    「物を大切にすること」とは・・・

 いつも4月初めになると思うことがあります。
 それは、子どもたちの教科書が本当に「きれいだ」ということです。
 まだ、ほとんど使われていないから当然です。
 これが、2ヶ月、3ヶ月たつとだいぶ汚れてきます。
 特に国語や算数はよく使われるので、表紙が折れ曲がったり、角の部分がきたなくなったりしています。
 それは、それで「よく使われた」証明で、愛着のわくこともあるでしょう。
 しかし、私からすれば、やはり長期間、ていねいに扱ってほしいと考えます。
 昨年、一人の男の子の算数の教科書がボロボロになっていました。そういうのを見ると、やはり「物を大切にする心」を養いたいと考えるわけです。
 でも、口で「物を大切にしなさい」と言っても、子どもたちにとってはピンと来ない場合もあるようです。
 実際に、具体的な物で指導することが効果的なようです。
 そこで、昨日、

  物を大切にする心を養うためのブックカバー作り

を行いました。(※1)
 ブックカバーといっても簡単なものです。
 上質の紙を全員に渡し、下の図(略)のようにすると、ものの十分もしないうちに真新しいブックカバーの完成です。
 もっともこれだけでは味もそっけもありません。
 そこで、表紙に明朝体の大文字で教科名を書くように指示しました。(※2)
 子どもたちは喜んでていねいに字を書いていました。
 チャイムが鳴っても、ずっと書き続けていたほどです。
 やはり自分だけの「ブックカバー」だと大切にする気が起きるのでしょう。
 子どもたちには、次のように言って、カバー作りを終えました。

 ブックカバーは、汚すためにあるのです。カバーがボロボロになったら、また新しいカバーを作りなさい。それが「物を大切にすること」です。

※1 ブックカバーを作りをする前に、すでに教科書にカバーをしている人が4人いました。
  このうち一人は、これから作ろうとしていたカバーを自分ですでに作っていました。
※2 早く書き終わった子どもたちは、自分の気に入ったイラストを楽しそうに書いていました。

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 教育実習生を受け持つことは、子供たちにとっては大きなプレゼントです。若い息吹から何を子供たちは感じ取ります。だから教育実習生の存在は有り難いと思っています。担任の負担は増えますが、この通信はそれを逆手にとった実践記です。

学級通信 カルチェ・ラタン 第32号 5月26日

      特別係、動き出す

 教育実習生を迎えるにあたって、私は一つ考えました。「この機会に子供たちに何かしらの力をつけたい」と。
 そこで、H先生(実習生)の教育実習生の期間に、ふだんの係活動とは別に、「特別係活動」を企画しました。
 話し合いをしたのは、先週の火曜日です。そして、子供たちの希望から次のような特別の係が生まれました。

 ■教え係・・・H先生に学校のことは何でも教える。
 ■集会係・・・歓迎の会、お別れ会等の企画・運営をする。
 ■遊び係・・・H先生を交えてみんなで遊ぶ。
 ■新聞係・・・H先生のことを記事にして新聞を作る。
 ■写真係・・・そのものズバリ、写真をとる。

 写真係では、最初に「みんなから少しずつ集金する」という案も出ましたが、私の負担としました(インスタントカメラ)。子供たちにカメラ・・・というのはなじまないと考えられる方もおられるかもしれません。しかし、低学年の生活科では積極的に活用している学校もあります
 さて、昨日、これらの係活動が実質的にスタートです。まずは、改めてH先生を歓迎する会が持たれました。

  ようこそ5年1組へいらっしゃいました。  
  みんな、先生がくるのを楽しみにしていました。
  私たちのクラスは、明るく楽しい元気なクラスです。
  1ヶ月間、いっしょに勉強したり、遊んだりして、いい思い出をつくりたいです。

 このようなSさんの歓迎の言葉から始まりました。
 そして、子供たちの自己紹介、H先生の紹介が続きます。
 やがて質問コーナーになりました。最初は、「どんなことを聞こうか」と考えていた子たちも、S君の「好きなスポーツは何ですか」から、口が滑らかになってきました。(この答えはサッカーでした。)
 続いて、「好きな食べ物は?」「マーボ豆腐です。」
 「好きなテレビ番組は?」「ウゴウゴルーガです。」
 その次に、Rさんの鋭い質問。

 「どうして先生になろうと思ったのですか」(採用試験の面接みたいです。)
 「小学校の時に『熱中時代』というテレビがあって、それを見て、ずっと先生っていいなあ と思っていました。」

 心の中で、私はクスクス笑っていました。
 というのもH先生の「小学校」という部分を「高校生」に変えると私のことになるからです。
 ♪♪♪「ぼくの先生は~(フィーバー) 嵐を巻き起こす~(フィーバー)」♪♪♪
 というメロディーがふと浮かんで来ました。H先生も、我がクラスに嵐を巻き起こすぐらいのファイトでいることでしょう。

 動き出したのは集会係だけではありません。
 写真係はさっそく歓迎会の様子をパチリと写真にとりました。
 教え係も、給食の時のこと、そうじ区域のこと、学校の案内と大忙しです。新聞係は、すでに記事を書き始めましたし、遊び係も遊びの計画を立てています。
 子供たちの特別係、楽しみです。

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  人との別れは感動的です。

学級通信 カルチェ・ラタン 第47号 6月21日

   さようなら、H先生

 H先生の教育実習が終わりました。
 先週の金曜日は、館山の大いちょうの広場に行って、子どもたちからの手作りのプレゼントを渡したり、一緒に歌ったりして、別れを惜しみました。そのあと教室に戻ってきてから、全体の前で実習の感想を話してくれました。
 土曜日は、最後の日ということで、一人一人が書いた作文を子どもたちが手渡しました。その時に、H先生から一人ずつメッセージが送られました。
 どちらも感動的な場面でした。H先生自身が実習日誌に「感動した。泣きそうになって、子どもたちの顔を見ることができなかった。」と書いているぐらいです。それは、子どもたちにとっても同様だったと思います。
 4週間、一緒に学級に過ごしたH先生。授業も一生懸命にしてくれたH先生。朝マラソンや休み時間、一緒に活動してくれたH先生。思い出はつきないと思います。

 子どもたちのお別れの手紙には、楽しかった思い出がふんだんに書かれていました。サッカーの授業が楽しかったこと、音楽の「夢の中」の歌を覚えておもしろかったこと、時には怒られたりしたこと等です。
 どれも今となっては、「思い出」になってしまいました。
 でも、子どもたちとH先生とのつながりは、これで終わりではないでしょう。きっと子どもたちはH先生に手紙を書くと思います。そして、H先生もすぐに返事をくれることでしょう。(私自身もそうでした。)
 子どもたちが6年生になり、この学級が卒業するまで、その関係が続くことを願っています。

 さて、この実習期間中、大活躍をしたのが新聞係(女子班)です。
 この4週間に5号も新聞を発行しました。その中身も、今までの学級新聞のパターンを破った画期的なものでした。
 まず何よりも読みやすい。これは、イラストと活字の組み合わせのセンスがいいからです。
 そして、中身が充実している。私は、子どもたちの新聞から、H先生が6年生の時に児童会長だったことを知りました。そこから、その時の苦労話も聞くことができました。
 さらに、学級文化も高まりました。いつのまにか、5号の新聞を通じて、学級のマスコットキャラクターが決まりました。ブック君とパスタちゃんです。これから広まっていくと思います。
 この新聞係の活動ぶりは、これからの係活動のよい見本となることでしょう。

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 教師3年目の時、「授業が上手くなる」というのが最大のテーマでした(今も変わり
ませんが・・・・)。そのための私的なことも通信に書いていました。

学級通信 石の上  第51号  6月20日

    教師修業の秘密兵器

 私的なことを書きます。
 今月に入り、車を買い換えました。前の車が車検切れのためです。新しい車は1300の4ドアセダン、車名は広告になるので書きません。もちろん中古車です。
 この車には、前の車になかったものがあります。カセットがついています。まあ、ついているのが普通なのですが、前の車にはついておらず、それを不便とも感じませんでした。
 初めの頃は音楽を聴いていましたが、テープの本数が少ないためあきてしまいました。
 そこで、ひらめいたのが「自分の授業を録音して、聞いてみよう」という考えです。
どんな目的で聞くのかといえば、一言で言うと、

  教師としての自分の話し方が子供達にどう聞こえるか知る

ためです。
 私自身は、子供達に伝わるように話をしていても、子供達からすれば頭に響いていないかもしれないのです。また、話し方だけでなく、私の指示の仕方や発問の仕方がどうあるか聞きたいとも考えるわけです。
 「自分の話した言葉を自分の耳で聞くことができるようじゃないといけない」と言われたことがありましたが、新採用になって3年目の私にとっては、授業をこなすだけで精一杯で、とてもそのような余裕はありません。ですから、カセットの協力を得なければいけないのです。
 さて、自分で我が授業を聞いた感想を率直に述べます。
 
 1 発音が明瞭ではない時がある。もごもごして、テープでは聞き取れない音がある。
 2 一般的に話し方は丁寧であるが、子供が自分の考え通り動かない時、乱暴な言葉づかいが出ることがある。たとえば、強い口調で「早く写しなさい!」
 3 指示が長かったり、言い直しをしたりで、子供達が混乱することがある。

 1については、口のあけ方を直さなければいけないと感じました。
 テープを聞いたあと、どんな場合でも「はきはき」した発言をするように心がけています。
 2については、私の心掛けしだいと考えています。(といっても、心だけでできれば、すでによくなっているのですが・・・)
 3については反省ばかりです。短い指示というのは大原則なのですが、授業では意外に生かされていないと感じました。大いなる反省材料です。
 このようにして、また4、5回録音して、聞いただけ(通勤途中)ですが、自分にとって「教師修業」をする上で大切なことがいろいろと発見できます。
 自分なりの秘密兵器(紹介すると秘密ではないのですが)として、役立てたいと思います。

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 2ヶ月もの長期出張。教師になって「授業ができない」初めての経験でした。
 復帰してから、毎日がとても新鮮でした。

学級通信 カルチェ・ラタン  第92号 11月24日

    再び、よろしく

 2ヶ月ぶりに見る小学校の風景はすっかり変わっていました。
 皆様に激励会を開いていただき、アメリカへ旅立った頃はまだまだ暑く、半袖で過ごしていました。校庭の樹木も緑がいっぱいでした。
 それが、紅葉の時期もすでに過ぎ、初雪が舞った中を小学校に戻ってきました。
やはり2ヶ月という月日の長さを感じました。

 でも、それは一瞬のこと。
 11月22日。月曜日。
 全校朝会で子どもたちの前で立って、5年1組の子どもたちの変わりない顔を見て、まずホッとしました。そして、チャイムの音を聞いて、「ああ、本当に日本の学校に戻ってきたんだなあ」と安心しました。(アメリカの小学校には、全校朝会もチャイムもありませんでした。)
 そして何よりも、子どもたちに対して授業ができることが大きな喜びでした。アメリカでは数時間授業をしましたが、それ以外はほとんど参観です。最初は、「参観も気楽でいいな」と思っていましたが、そのうち授業ができないことが苦痛になってきました。教師にとって、授業をする時間を奪われるということが、これほどつらいものなのかということを実感しました。

 1時間目。
 さっそく、この2ヶ月間のことを聞きました。子供たちは、いろいろと話してくれました。
 9月のマラソン大会で女子ががんばって学年2位になったこと。
 陸上記録会で一生懸命に応援をして、圧倒的な強さで上位を占めたこと。
 文化祭の直前、図工と習字を毎日のようにして作品を仕上げたこと。
 市内音楽会で、緊張しながらもベストを尽くせたこと。
 そして、一昨日岩谷堂箪笥の見学にいってきて、高価な箪笥をじかに見てきたこと・・・。
 考えてみれば、2学期のほとんどの行事が過ぎてしまっているわけです。再度この2ヶ月間という長さを実感しました。

 そして、この忙しい時期を私に代わって担任してくださったK先生、教科の指導をしてくださった3人の先生方に感謝の気持ちでいっぱいでした。
 特にK先生には、アメリカにまで子どもたちの手紙を送っていただきました。あの手紙にどれだけ励まされたことかわかりません。
 そのお返しというわけではありませんが、この2ヶ月間の感謝の気持ちを国語の時間に書かせました。思い出がいっぱいあるので、子どもたちもどんどん原稿用紙を埋めていきました。
 帰りの会に、K先生に教室に来て頂き、委員長から「お世話になりました。ありがとうございました。」とその手紙が渡されました。
 K先生は、この2ヶ月間の子供たちのいい面を話してくださいまいした。
 しかも急な辞令で、K先生は別の小学校の教頭先生になられます。今日が離任式でした。
この小学校最後の授業を5年1組でしてくださったことになります。
 私からも改めて感謝したいと思います。

 さて、私にとっては改めて5年1組の担任としてのスタートです。
 2学期は残り1ヶ月あまり。今までと同様に皆様のご協力をお願いいたします。

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2016.03.27

4年生学級通信 その2

【HP移行のためのリバイバル掲載です】

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 社会科の学習で岩手県の各市町村に資料を請求しました。すると、続々とカラフルな資料が届きました。このような経験がなかった子供たちは大喜びでした。

学級通信 トゥモロウ 第90号 9月8日

    県内各地からの返信!

 うれしいです。届いたのです。それも続々と。
 「トゥモロウ」78号に書いたように、岩手県12市町村に資料請求をしました。その市町村に関わるパンフレットのことです。
 かなりの確率で返信はくるのではないかと予想はしていました。ただ、一小学生のお便り(私の依頼書も同封しましたが)に返信がなくても、それは仕方ありません。日々忙しい仕事をしているわけですから。
 ところが、発送して2日後には4つの市町村からパンフレットが届いたのです。これには私も驚きました。それからも続々と届き、12市町村目が昨日届いて全部そろいました。そのうれしさに、昨日は社会科がない日でしたが、さっそくみんなにそれぞれの分担した市町村のパンフレットを見せました。
 子供たちは大喜び。小躍りする子もいます。
 「先生、ほら、温泉だよ!」「これ、手紙だよ!」「英語の文もあるよ!」と興奮したように、次々に私に話しかけます。この経験だけでも、資料請求をした意味があります。
 さて、この返信パンフレットの中で気付いたことを記します。

★その1 豊富な資料
 まず、どの市町村のパンフレットも3種類以上入っていました。しかも、各市町村とも見ていて実に楽しいです。全部に資料がオールカラーです。そして、イラストあり、クロスワードパズルありといったように、子供たちも読み耽ってしまいそうです。
 子供たちに新聞作りの参考になります。

★その2 職員の皆さんの心遣い
 送られてきたパンフレットの多くには、手紙が添えられていました。しかも、下のように、わざわざ子供たち相手のメッセージもありました。この心遣いは本当にうれしかったです。いろいろな仕事でお忙しい中で、パンフレットの発送手続きだけでなく、メッセージも添えてくれるのですから。子供たちにとっても大きな喜びでした。

★その3 こんなものも・・・
 滝沢村からの資料には、絵葉書8枚入りが2セット。水沢市からはしおり。岩泉町からは、3人それぞれにということで3部ずつのパンフレット。すべてありがたかったです。

 このように、ご好意で送ってもらったパンフレット。社会科の授業で大切に使いたいと思います。

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子供のよさを見ようとした通信です。

学級通信 ホップ・ステップ・ジャンプ  第183号  2月3日

    生き生き 2題

■ボランティア隊、がんばる
 金曜日の朝はとても寒かったです。天気予報によると、最低気温が氷点下10度とか。まさに凍りつくような寒さだったわけです。
 そんな日でしたから、体育館わきの坂になった短い通路もつるつる凍って、歩く子たちが大変そうでした。そこで、始業前に子供たちに呼びかけました。
「ボランティアを募集します。誰かいませんか。」
「何をするんですか」
「氷を割る仕事ですよ。」
「行く、行く!」
 数名でもいると助かるなあ・・・と思っていたら、何と13名も参加してくれました。なかなか氷は割れなかったものの、何とか滑らない状態にはなりました。
 一生懸命に氷を割ってみると、そとに出ても寒さなどいつの間にか忘れてしまいます。私のほうは、子どもたちのがんばりぶりに心まで温かくなりました。

■競合!新聞係
 3学期になり、教室の壁が学級の新聞で埋まっています。
 係を決める時に複数の新聞係が6つできました。それらの係がいい意味で競合しているのです。
 そのうち、今日は特に休み時間返上で新聞発行に取り組んでいる3つの新聞係を紹介しましょう。

★トップニュース係
 スピードが売り物で、すでに7号の新聞発行です。B6判の画用紙に身近な話題を一つに絞って書いています。

  今日のテーマはストーブです。みなさん、この世にストーブがなかったらさむくて たまりませんね。ストーブを発明した人にかんしゃしましょう。おわかりでございま すか。(中略)
  今は、石油ストーブやにおいのしないストーブが多いですが。まあ、ストーブがあってよかったということ。では、今日はここまで。

 6号は、こんな感じです。軽いノリでぽんぽんとこれからも出しそうです。

★Qちゃんかべ新聞
 「Qちゃん」なんて、とてもなつかしいです。もちろん、オバケのQ太郎のことです。ここは、模造紙の壁新聞。女の子らしい派手な色づかいが目を引きます。内容は、学級のためになるようなことです。たとえば、第1号では次のようなことを書いており、ありがたいです。

    かぜに注意
  最近、かぜがはやっています。外から帰ったら、必ずうがいと手洗いをしましょう。み なさん、呼びかけをしましょう。手洗いはせっけんでしっかりとしましょう。

★おもしろ新聞ニュース
 本当の新聞を切り抜き、ちょっとしたコメントをして貼るというアイデアが売り物です。ちゃんとジャンル別に切りぬいて、「はやり新聞」「おもしろ新聞」「4コマ新聞」「きれい新聞」とタイトルも別々です。
 「はやり新聞」は、「ルーズソックス」と「たまごっち」の話題でした。こんなものも新聞に取り上げられているんだと読み耽ってしまいました。

 他の係も楽しい企画が続々です。また、紹介します。

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 教育実習生が来ることは、子供たちにとって大いなる刺激になります。授業がうまくいかなくても、その教育効果は大きいものです。この通信は私にとって2度目の実習生です。機会があったら、また受け入れたいと思っています。自分も通ってきた道ですから。

学級通信 トゥモロウ・2000 第147号 11月25日

  明日で終わり・・・教育実習

 もう4週目も終わりに近づきました。そうです。T先生の教育実習です。
 この間、休日返上でT先生は頑張りました。今日まで授業すること、16時間。月曜日は研究授業で、他の先生方の前で音楽をしました。さらに、今日は一日学級経営(担任体験)です。
 私の経験では、実習授業の準備は本当に疲れるものです。特に見とおしの立たない時には、不安でしょうがないものです。T先生は3週間目から毎日授業しました。その分の準備、本当に大変だったと思います。
 でも、1時間1時間の授業がT先生にとって、充実したものになっていくことが感じられました。

 さて、教育実習生は毎日「実習日誌」を書きます。自分の実習の所感、授業の反省等を書き、それを私に提出し、私がコメントを書くというものです。
 T先生の実習日誌の内容が、日がたつにつれてどんどん深まっていくことをひしひしと感じました。たとえば、初日は次のような内容でした。

■授業が進む中で印象的だったのは、発言の中で生まれた疑問は、即その場で解決していく こと、指名なし発表にもかかわらず皆はずかしがらずに良く発言していることだった。

 わりとおおざっぱな感想です。それが、1週間後の参観では次のように変化しています。

■道徳は、「自分にできること」という題で、ほかの友達の作文を参考にしながら、自分にできる  ことを考えていく授業だった。最初に自分の生活について振り返り、次に作文を読むという流れ は、作文と自分を重ね合わせて考えることができるので、とてもよいと思った。

 授業に関わる内容が大変具体的になってきています。その視点も鋭くなってきています。自分自身でも授業を行った後なので、今まで見えなかったことも見えてきたのでしょう。

 しかしながら、授業はそんなに簡単にうまくはいきません。体育の授業をした時には、次のような反省を書いています。

 ■指示の出し方など、考えていったのだが、実際授業をやってみたら、展開のところからボロボロで苦笑いするしかなかった。

 しかし、T先生は失敗した授業から大きな学びをしました。「指導の流れをきちんと把握すること」「指示を的確に出すこと」「臨機応変という考えを持って授業に臨むこと」といったことです。
 この授業以降、T先生の授業は変わります。発問や指示を深く意識し、子供たちの様子を見て授業を変える部分も出てきました。
 そして、今週月曜日の音楽の研究授業では他の先生方から、次のようなコメントをいただきました。

 ★子供たちの指示が的確でした。
 ★T先生の終始ニコニコした笑顔、とてもいい。はっきりした声で発問していたこともすばらしい。
 ★指示に迷いがなく、きっぱりとできていたので、すばらしいと思いました。子供とも一体感がありました。

 まさに大きな進歩です。もちろん、T先生自身の真摯な努力があったからこそです。どの努力ぶりに私も拍手を送りました。
 明日が実習最後の日。T先生にとって、どんな日になるのでしょうか。

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やはりスポーツはドラマにはドラマがあります。

学級通信 ホップ・ステップ 第128号  10月28日

   激走・マラソン大会

 金曜日はマラソン大会でした。
 学年ごとに男女が分かれて走ります。3週間前から体育で、「25日にマラソン大会があるから、そのコースを実際に走ってみましょう」ということで、何回か走っていました。そのつど、日記にマラソンのことを書く子もいて、興味は高まっていました。
 ただ、いざ本番になると練習の時とはまた別です。いやがおうにも、緊張感が高まります。さっそく朝の会の健康観察で、子供たちに「今日のマラソン大会で一言どうぞ」と聞いたら、力強い決意が返ってきました。

・ぜったい、〇〇君には負けないつもりです。
・順位を一つでも上げたいです。
・10位以内に入りたいです。
・今日のマラソン大会は出れないけど、応援をがんばりたいです。
・坂ののぼるところでがんばりたいです。
・とちゅうで歩かないで走りたいです。
・去年より順位をあげたいです・・・・等々

 個人の大会であるマラソン大会でありながら、最終的には学級の平均順位を出して、学級対抗という形になります。だから、上位に入ることも大切なのですが、何よりも自分の順位を練習の時よりも一つでも上げることが重要になってきます。
 
 さて、5校時が本番です。3年生以上が一斉の開会式を行い、いざスタートです。
 コースは、学校の門を出て裏手をまわり、また校庭に帰ってきます。距離にして、700~800mぐらいでしょうか。マラソンというには、短い距離かもしれませんが、登り坂、下り坂の連続で最後はバテバテになってしまいます。
 私は記録担当で高学年の子についていたため、詳しくその様子を見ることができませんでしたが、それでもいくつかの「ドラマ」がありました。
 
■その1 おめでとう、上位入賞
 まずは、10位入賞の子たち。女子は2位Kさん、3位Nさん、9位Kさん、男子は1位Y君、7位T君です。トップ10に入るのは、やはり至難なこと。文句なくおめでとう。

■その2 来年がある!
 悔しい思いをした子たちももちろんいました。「練習の時には調子がよかったのに、(順位が)下がってしまった」という声を何人か聞きました。その中に、転んでしまった子も。
T君は、練習の時には優勝したY君に続いて走っていましたが、転んでしまい10位に入れず。悔し涙でした。それでも明るく励ます友達たち。いい光景でした。
 女子でもNさんが転んでしまい11位。「もしも・・・」という言葉はスポーツに禁句ですがふと思ってしまいました。
 「来年があるよ」という思いです。これは、体調不良で走れなかった子たちにも言えることです。

■その3 一人一人がドラマの主役
 「40人いれば40通りのドラマがある」・・・それがこのマラソン大会だと思います。「緊張しておなかがおかしい」と給食後に言っていたK君、お互いに「負けたくない」と言っていたM君とH君。
 紹介はできませんでしたが、それぞれにドラマがあり、自分の記憶にも残ることでしょう。

 教室に入ってから、「去年よりも順位を上げた人も下げた人もいることでしょう。でも、マラソンは練習すれば必ず伸びます。今日で終わりではなく、また来年に向かってスタートです。」と話しました。
 5年生になると距離が2倍ぐらいに伸びます。その時にまた新たなドラマが生まれることでしょう。

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 3月の学年の終わりに何をするか。恒例イベントのことを書いた最後の通信です。

学級通信 ホップ・ステップ・ジャンプ  第216号  3月18日

        別れの時

 この1週間、4年1組としての「別れ」のイベントをいくつかしてきました。

1 20才の「ぼく・私」への手紙
 タイムマシーンができたら、どんなに素敵でしょう。そんなことを誰しも考えたことがあると思います。でも、現実にはできません。ただし、それに似た気分はできます。
 20才になった時、10年前に自分あてに書いた手紙が届く・・・・これはなかなか興味があります。そんな想定で、子どもたちに10年後の自分あての手紙を書かせました。
 私が10年預かります。そして、2007年に発送します。子どもたちはタイムトラベラー気分で手紙を書いていました。
 10年後、子どもたちは手紙のことをきっと忘れていることでしょう。そのほうが、懐かしさがこみあげてくると思います。お楽しみに。

2 感謝状作り
 この1年間で一番お世話になった人に感謝状を書かせました。
 画用紙に丁寧な字で、しかもまわりのデザインも自分で工夫をしてという条件です。半分の子は家族に書いていました。毎日、お世話してくれることへの感謝の気持ちを綴っていました。残りの子たちは、主として友達。一緒に遊んでくれたことへの感謝の気持ちが多かったです。私も、4枚いただきました。
 休み時間も感謝状作りに励む子供たちを見て、こういう機会は大切だと思いました。

3 クリーンデー
 自分たちの生活の場所である教室。いつも掃除の時に、きれいにしていますが、改めて1時間かけてゆっくりきれいになってもらおうということで、ふだん掃除できないところを時間をかけてきれいにしました。名付けて「クリーンデー」。
 一番汚れが落ちたのが壁です。ストーブから出る目に見えないすすが、少しずつついていたのですね。椅子と机の脚のほこりもとれました。気持ちよく次の4年1組の人に引き渡せます。

4 4年生最後の会
 学級集会活動の最後です。ホットケーキ作りは意外と難しく、失敗したグループもありましたが、満足顔で食べました。

 一つ一つの活動が終わるにつれ、私の中にも「いよいよお別れの時がせまってきたんだなあ」という実感がわいてきました。
 そして、今日、いよいよお別れの時です。
 先のいろいろな活動が、私にとってはすばらしい思い出になりました。

       ☆    ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 この学級通信もおかげ様で216号を達成することができました。
 通信名も、1学期は「ホップ」、2学期は「ホップ・ステップ」、3学期は「ホップ・ステップ・ジャンプ」と私の願いをこめて、言葉を増やしていきました。子供たちもその願い通り、大きくジャンプしたと思います。
 5年生になって、心も体ももっともっと大きく育つことでしょう。期待をしています。
 1年間のご愛読、ありがとうございました。

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2016.03.26

4年生学級通信 その1

【HP移行に際してのリバイバル掲載です】

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★私が日々話していることの中からの素材です

学級通信ホップ・ステップ・ジャンプ 第186号(2月6日)

    賢さが子供を伸ばす

■一昨日の午後は私が出張の日でした。
  研究会では、算数・数学の個人研究の発表を聞きました。3人のうちの お一人がおもしろ数学の課題をレポートに書くという内容で、なかなか興味深い内容でした。
  実例として8人の子供たちの作品があげられていました。それを見て、胸にこみあげてくるものがありました。そのうち4人の子が、小学校時代に 私が担任した子供たちだったからです。
  発表を聞きながら、その子たちの小学校時代の様子が浮かんできました。不思議なもので、エピソードや会話までが鮮明に浮かんでくるのです。時間を超えてタイムスリップしたような感じでした。
  それくらい子供たちの様子は教師の心に刻まれています。

■さて、昨日学校に行って、私が不在の時の様子を子供たちに聞きました。
 するとそうじ時間に、具合が悪くて吐いてしまった子がいたとのこと。体のことですから、それ自体は仕方のないことです。
  感心したのは、その子のとった行動です。
  すぐさま、近くにあった防火用の砂を吐いた所にまいたとのこと。確かに、ティシュやぞうきんでふいてもあまりうまくいきません。砂をまいて、それをほうきで集めれば、処理に時間がかかりませんし、においも残りません。事実、他のそうじ区域だった子供たちは、そのようなことがあったこと知らないくらいです。

■ その機転のきいた行動に感心した私は、子どもたちに聞きました。
 「もし、君たちが同じように具合が悪くて吐いてしまったら、どうしますか?」
  かなりの子が「わからない」「困ってしまう」と答えました。
  そこで、子供たちに「かしこい人」について話しました。

  「かしこい人」とは、勉強ができるという意味とはちょっと違います。何か困った時に、自分でどうしたらいいかわかる人のことです。
  ふだんの生活の中で、いろいろと考えなければいけないことがあります。
  そんな時に、どうしたらいいかしっかりと考えることができる人です。

■ たとえば・・・・ということで、次のように聞きました。

  君たちが1階廊下を歩いていました。玄関からお客さんがきました。図書室がわからないようです。君たちが、「図書室はどこですか?」と聞かれました。君たちはどうしますか。

 もう4年生ですから、このような場合にもきちんと応じる力はあると思います。すぐに出てきた答えは2つでした。
・「ついてきてください」と言って、一緒に行く。
・その方向を指差して、「階段をのぼって3階まで行って右側にあります」というように詳しく説明する。
 私は、「すぐにそのように考えることができれば、かしこい人です」と話しました。
 このようなかしこさは、きちんと学習できることと同様に大切と私は考えています。

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子どもたちのトラブルも、「子どもたちのよさ」の発見につながる場合がありま
す。だから「トラブル」があった時は、場合によって「チャンス」でもあります。

学級通信 ホップ  第27号  5月17日

    水槽がこわれた!

■「先生、4年教室の水槽がこわれて、水が教室に流れています!」
 昨日のそうじの時間、1年生の教室掃除の手伝いをしていた私にSさんとMさんが教えにきてくれました。
 1年生にはまだ掃除が大変ということで、4年生が掃除をするシステムになっています。4年生の教室から1年生の教室までは結構距離があります。だから、二人とも少し息がはずんでいます。私がすぐに教室に向かおうとすると、今度はD君が「大変!大変!」ととんできました。

■「教えてくれてありがとう」とまず言いました。
 そもそも、水槽が割れるという経験は初めてです。廊下を歩きながら、いくつかの心配をしました。
・教室が水浸しで、学習用具等にも被害がいったのでは?(水槽はカラーボックスや ロッカーの近くにありました。)
・ガラスが割れたのだから、ケガをした子がいる可能性もある。
・何よりも、子どもたちがパニックになっているのでは?

■不安げに行ってみると、子どもたちはぞうきんで水を絞り、バケツにどんどん水を入れていました。その行動も落ち着いたものです。まずは、一安心。
 そんな中でH君が「魚は大丈夫かな?」とつぶやきました。私は、ハッとしました。割れた時に、魚のことは思いつかなかったからです。子どもの生き物に対するやさしさです。
「そういえば、魚は?」
 あわてて聞くと、ちゃんともう一つのバケツに入れていました。

■「さすが4年生、こんな時にもきちんと対処できるんだなあ」と感心して、割れた水槽を教室から持ち出しました。
 戻る途中、廊下でY君とNさんと会いました。プラスチックの水槽を持って、「先生、これをさがしてきました。使っていいですか?」と聞きます。
 学校でいくつか買っておいたものの一つです。二人の頭の中には、「魚がバケツの中だったらかわいそう」という考えがあったのでしょう。そして、水槽探しの行動にうつったのでしょう。そのやさしさと自主性。

■次から次へと子どもたちのやさしさが出てきて、私はうれしくなってしまいました。5時間目のはじめに子どもたちに、そのうれしさを話しました。

  みんなも知っているように、学級の水槽がこわれてしまいました。
  水槽はなくなってしまいましたね。でも、それよりももっともっと大きなものを得たような 気がします。
  それはみんなの「やさしさ」です。教えにきてくれた人、一生懸命に水をとってくれた人、 魚のことを心配してくれた人、別の水槽をもってきてくれた人・・・みんなやさしいです。
  そのやさしさに拍手を送りたいと思います。

■ところで、なぜ水槽が割れたのかと思った方もいると思います。自在ぼうきの棒の部分が間違ってあたってしまったのだそうです。もちろん、責められることではありません。
 でも、帰りの会、その子から「ぼくが、間違って水槽をわった時に、みんなが手伝ってくれてありがとうございました。」と感謝の言葉を述べてくれました。それが自然に出てきたことにも拍手です。

■ハプニングがあっても、それが時には道徳教育のいいチャンスとも言えます。そんなことを感じました。

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子供たちのちょっとした様子や変化のことを書いた通信は、親御さんがよく読みます。

学級通信 トゥモロウ 第7号 4月13日

  ささいなことも喜びです

 毎日子供たちと生活をしていて、微妙な変化(いい面)やささやかな成長が見られる場合があります。それは、どんなささやかなことであっても、教師にとって大きな喜びです。今日は昨日の出来事から、その喜びをいくつか拾ってみました。

■「どうぞ!」「ありがとう!」
 昨日の給食のこと。
 当番の子供たちが一人一人に対して、「どうぞ!」と声をかけて給食を渡していました。それに対して受け取る方も、「ありがとう!」「はい、どうも!」と明るく受け答えをしています。何ともほほえましい光景です。
 実は子供たちとの出会いの日に、一つ布石を打っておいたことがあります。それは、「どうぞ・ありがとう作戦」です。プリントを配布する時に無言で後ろに渡す子供たちに次のように言ったのです。
 
 プリントを後ろに渡すときにには「どうぞ!」と言って渡しましょう。もらった人も明るく「ありがとう!」と言おうね!

 ささいなことです。プリントの受け渡しには「どうぞ」と言おうが言うまいが、何ら変わりありません。
 しかし、これを毎日続けているうちに子供たちが気軽に「ありがとう」と言えるようになるから不思議です。それが1週間後の給食で出てきたのです。
 これは、私にとっては大きな喜びでした。「ありがとう」がたくさん出てくる学級になってほしいからです。言ってくれた給食当番の子たちにありがとうです。

■自分たちの力でやりきった!「1年生を迎える会」
 これも昨日の話題です。「1年生を迎える会」がありました。この会で各学年で出し物をします。先週の木曜日から取り組んで2週間で出し物を完成させました。
 内容は「〇×クイズ」と「劇・ドラえもん」です。実はこの二つとも、私はほとんど手をかけませんでした。子供たちなりに今までの経験から内容を決めました。特に劇は、短い時間の中で配役を決め、大まかな劇の流れを決め、さらに実際の練習をしました。練習風景を見ていると、ワイワイガヤガヤと言い合っていました。そこに、「自分たちで成功させるんだ」というパワーを感じました。
 この自主性があれば、学級の係活動も楽しみです。

■必死に練習、交通安全教室
 延期になっていた交通安全教室をしました。
 実際の自転車練習では、手信号がなかなかうまくいかなかったり、左端に寄ることがなかなかうまくいかなかったりといった面が見られました。しかし、何度も練習をして路上での運転も大丈夫になりました。
 さて、昼休みの校庭では4年生の子供たちの自転車練習の列が続けていました。安全教室だけでは練習不足と感じたのか、自主的に練習をしているのです。
 この意欲ぶりにも拍手です。
 ささいなことでしたが、これまた大きな喜びでした。

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大きな行事にはいろいろな裏話があります。

学級通信 ホップ 第35号 5月26日

   運動会余話

■一昨日の運動会、天気がよくて何よりでした。
  練習の時には、半袖で寒い日もあったのですが、本番は半袖短パンが本当に気持ち よかったと思います。
  私も半袖でいたら、腕時計のあとをのぞいて日焼けのあとがくっきり。実はこの日焼け、 私の運動会の楽しみ?の一つです。もう一つの楽しみは、昼食後に水分補給をしないこと。こちらは、反省会でのビールの一口目を最高に味わうためにです。
  今年の運動会は両方ともでき、私にとっては大満足でした。

■さて、ふだんの練習通りに実力を発揮すれば、運動会での子供たちは心配ないと思っ ていました。練習段階で天候に恵まれ、順調に仕上げることができたからです。
  ところが、ハプニングは予期できないものです。団体競技の「アレーすい星」で、事前に準備していたフラフープの色が違うことに気付きました。チーム別にフラフープの色を「赤・青・白・黄」にしていたのですが、実際に出てきた色が、「黄2本、白2本」でした。「あれ?」と思ったのが、スタート直前。子供たちは、次に渡す人をもちろん覚えてはいるものの、今まで慣れた色のフラフープを見て間違う子もいるのでは・・・と不安がよぎりました。
  でも、フラフープを変えるには時間がありません。せっかくテンポよく進んでいる運動会にも水をさすことになります。

■子供たちの力を信じてスタートです。
  無事アンカーの子までトラブルなくリレーできた時にはホッとしました。
  考えてみれば、一番時間をかけたのが団体競技でした。その分、「いざ」という時に力が発揮できたのだと思いました。これが、中途半端な練習だったら、トラブルがあったかもしれません。

■さて、私は今年は審判係でした。順位を判定したり、その順位の子を並べて座らせたり、等賞リボンをもらいに行かせたり・・・という仕事です。仕事自体は高学年の子供たちがしますが、一番忙しく動かなければいけない係でした。
  特に徒競走。
  ゴールして、ゴールテープが少しからまってしまった。あわててとったら、もう10m前には次の人たちがかけこんできていた。そんなあわてる場面もありました。
  まさに時間との勝負。一瞬の判断が要求される中で、子供たちはよく動いていたと思います。
  今の4年生の子たちも来年は、この係活動をすることになります。きっと嬉しそうに活動するだろう・・・そんなことを考えました。

■運動会には中学生も見にきます。
  私は、現在の中学校2年生の子どもたちを担任しました。昨年は、卒業したてということでかなりの子供たちが見にきていました。(今年は、かなり少ないだろう)と思っていたら、それでも10人くらいの子供たちと会いました。
  係の仕事についていたので、十分に話す時間はとれなかったものの、「〇〇くんと同じになっちゃたのよ。6年生の時と同じように(その子を)鍛えているから。」と元気な女の子の話を聞いて、思わず小学校時代の様々なエピソードを思い出しました。
  卒業生に会える・・・これも元担任からすれば大きな楽しみです。

■ いずれ子供たち一人一人のがんばりぶりがよく見えた運動会でした。

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★社会科でこんな形の学習をしてみました

学級通信 ホップ・ステップ・ジャンプ 第176号  1月24日

    沖縄に引っ越しするには 1

 社会科で、暖かい地方の沖縄の学習に入りました。自分たちが住んでいる岩手とは、同じ日本でも気候、風土、農産物等いろいろと違いがあります。教科書を読んでその知識を得るだけでもおもしろいのですが、ちょっと工夫をしてみることにしました。

 あなたたちが、岩手から沖縄に引っ越すことになりました。引っ越しする時にはいろいろと大変です。持ち物や家のこと、仕事のことなど考えなければいけません。
 今日は、引っ越しの持ち物を考えてみましょう。

 まず、どんな服を用意したらいいですか。
 沖縄はあたたかいということを子供たちは知っていますから、「半袖、短パン」といった夏向きの服がどんどん出てきました。
 さらにおもしろいものとして、「水着」「ダイバースーツ」も出てきました。「どうして?」と聞くと、「沖縄の海がたいへん美しく、サンゴ礁があるから、それを見る」とのこと。確かにそうです。
 「マフラーやジャンバーは必要ないですか」と聞くと、「必要ない!」という答え。それはそうです。昨日の沖縄の最高気温は20度ということですから。

 その他に、沖縄にぜひ持っていきたいものは何ですか。

 沖縄の気候に合わせたものが続々と出てきました。

・サングラス、麦わらぼうし、うちわ、せんぷうき、クーラー(暑さ対策のもの)
・台風が来た時に家に打ちつける板、ラジオ、カッパ(台風対策)
・雪(沖縄には雪がふらないので、ぜひ見せたい)
・地図(全く見知らぬ土地の行くので必要)

 このほかにも、虫網、うきわといったものが出てきました。
 こんな形で、引っ越しをする時の持ち物を考えていく中から沖縄の気候の様子がみえてきました。
 今度は、引っ越しをして実際に家を設計するお話です。これまた気候に合わせるわせた家になるわけで、どんなアイデアが出てくるか楽しみです。

■このあと、次号では引っ越し先の検討、家の設計、仕事選びをしました。教科書と 地図帳をもとに楽しい学習になりました。

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子供たちが進んで活動をした時には、ついその様子を学級通信に書きたくなってしま
います。

学級通信 トゥモロウ・2000 第54号  6月24日

    自主的に、自主的に

■子供たちが自主的に活動をしてくれる時ほど、うれしいことはありません。たとえば教室のすみにゴミが落ちていて、それを拾ってくれた時。窓を進んであけてくれた時。
 そんな小さいこともうれしいものです。
  それとは別に、「自分たちの学級で、こんな企画をしたい。そしてそれを実現したい」 という大掛かりな活動を自主的に行ってくれることもうれしいです。それは、子供たちに 「自主性」という力をつける点でとても大切だからです。そして、それを実現させるための システムを作っておくことが教師の役割です。

■教室に「プラズマ・ボックス」があります。学級に対する提案、意見や悩み等を入れる箱です。「プラズマ」は子供たちから決めたキャッチフレーズからとりました。ここに入れられたものは毎週月曜日に取り出し、朝の会や学級会で取り上げられます。「給食をグループごとに食べたい」という希望もそこに入っていました。

■今まで給食は勉強の時の席と同じでした。それを変えたいという希望です。さっそく学級会で取り上げました。議題は「給食の席を工夫しよう」です。
  子供たちが工夫のアイデアを出し合います。

  ・好きな人と食べる  ・男女別にして食べる  ・学級を半分のグループにして向かい
  合って食べる  ・輪になって食べる  ・班ごとに食べる 等

■先に出たアイデアから「いくつにしますか」と議長が聞きました。
  私からすれば「全部いいです」というようになっても構わないのですが、子供たちは「3つがいいです」が圧倒的。1週間に5回の給食と考えると、「いつも通りの席での給食」も2回あった方がいいのでしょう。
  一番最初に選ばれたのが「男女別に食べる」です。次が「向かい合って食べる」ものです。
 ここまではすんなりです。あと一つが大変でした。「輪になって食べる」派と「好きな人と食べる」派で完全に、真っ二つに分かれたのです。
 
■「輪になって食べる」派の主張は、「好きな人と食べるとなると、残る人が出てしまうかもしれない」ということです。それに対して「好きな人と食べる」派は、「そういう時には入れればよ い」と反論します。
  片方の主張が出るたびに、「よし!」という声が出たり、拍手が出たりと白熱した討論です。意見が出尽くしたところで、教師の出番です。「どちらの意見も取り入れた形で新しい提案は ありませんか」と言いました。「輪になって、好きな人と食べる」という意見が出て、みな納得です。

■ さっそく昨日の給食から工夫した席で給食を食べ始めました。ふだんと違う雰囲気に、みんなにこにこ顔です。話題も盛り上がっているようです。
  私からすれば一人のささやかな提案から、みんなが真剣に考え、決まったことを実行する・・・それができたことがうれしいです。そこにみんなの自主的な姿が出ていました。今回だけではありません。これからも、きっといろいろな活動が生まれてくることでしょうね。

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