2016.08.14

HP移行原稿「室町文化」「ネグロス島」「ユニセフ」

★室町文化茶の湯体験(6年)

 日本の伝統文化を伝えることを大切と考えてはいるものの、学校では教える時間が限られている。
 そんな中でも、歴史での室町文化の体験は有り難い機会である。今の日本の生活様式に関わりのある部分が数多い。身近なところに教えてくださる先生はかならずいるはずである。あとは教師がちょっとした努力をするかどうか。
 私は茶の湯体験を6年生の子どもたちと一緒に行った。子供たちが学んだのはもちろんであるが、教師である私自身もいい体験をさせてもらった。その様子を学級通信から紹介をする。

学級通信 カルチェ・ラタン 第33号 6月25日

室町文化体験・茶の湯を習う 1

■ 高浜小学校に転勤して、校舎をぐるっと回った時に、多目的ホールの横に 畳の部屋があることに気付きました。しかも床の間つきです。
  それを見て、「いつかこの部屋で日本文化に触れる学習をしたいな」と思いました。幸い、我がクラスのSさんのおばあさんがお茶を教えている先生だということを聞きました。
  これは貴重な機会です。ぜひ、子供たちに室町文化の一つである「茶の湯体験ができる」と考えて、昨日行うことができました。

■ 茶の湯は、若干の子が習い事でしたことがあるものの、多くの子にとっては初めての経験です。私自身も初めての経験です。
  だから、子供たちも私もとても楽しみにしていました。朝の会の発表でも、「茶の湯をするのが初めてなので、とても楽しみです」「正座がつらそうです」「お菓子が楽しみです」といったように、茶の湯に関わる発表が続きました。

■ 始める前に、日本間に茶の湯の道具等のセットをしました。先生が掛け軸を持ってきてくださいました。
  「心静茶味香」と書かれています。この掛け軸の字をみただけでも、どんな気持ちでお茶を味わったらいいかわかるような気がしました。

■ いよいよ始まりです。先生から、お菓子のいただき方、お茶のいただき方をを教えていただいて、一人一人いただきました。子供たちの中で、Sさん、Tさんが実際にお茶を入れてくださいました。
  私が「なるほど・・・」と思ったことがあります。
  それは、いただく前に、お隣の人に「お先に、いただきます」と一声かけるというところです。これは「気配り」の文化とでも言うのでしょうか。日本の伝統文化のよさでもあると思います。
  一言で言えば、お茶をいただいた後に、「ありがとうございました。結構なお味でした。」と私が言った後に、男の子たちも同様に言いました。これには、先生もにっこりです。

■ 「気配り」という点は、もっともっとありました。たとえば、畳の縁を踏まないところ。お菓子を食べた後に、紙の角ではしを拭くところ。
  これらは、茶の湯だけの世界ではなく、日本の生活の中に根付いたよさでもあるんだなあとつくづく感じました。体験して、初めてわかったことです。

■ 終わった後で、その場で簡単な感想を聞きました。
  「おもったよりお茶が苦くなかったです。」(うす口だたようです。)
  「お菓子がとてもおいしかったです。」(その通りでした。)
  「足がとてもしびれました。」(私も立つ時はふらつきました。)
  子供たちにとってみれば、室町文化、日本の伝統文化というよりは、まずは体験したこと自体が価値あることだったのでしょう。
  これから、テレビや本等で茶の湯が出てきたときには、今までと反応が違うと思います。興味を持って見ることでしょうね。

 この時間に学んだ日本文化のよさ

■「茶の湯」という文化
■掛け軸の持つ意味
■気配りの言葉かけ、しぐさ

 改めてすばらしい体験をさせてもらったと感じた。

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★ネグロス島で活躍した日本人 ~古川外男氏~(6年)

 古川氏は、1971年にフィリピンのネグロス島に一家で自費で移る。慢性的な貧困の島に棚田を作り、二期作・三期作に成功する。さらに技術面を教えるだけではなく、フィリピン式と日本式を融合させた栽培管理システムを作る。
 苦難を乗り越え、国際協力への高い志を果たした古川氏。彼の生き方は、私は同じ日本人としての誇りを感じる。「国際協力のためにこんな先人がいたのだ」という思いである。

★授業の様子

1 フィリピン・ネグロス島の位置を確認。島と人々の様子を示した写真提示。
   →「自然が豊か。いい所。」という感想を子供たちは持った。

2 ネグロス島の説明。「砂糖の島」「慢性的な貧困」
   →1で出てきた子供たちの見方が変化する。
  発問 このような貧困の解決にはどんな方法がありますか。
    「お金・物を送る」「ボランティア」「その国に行って技術指導」

3 古川外男氏が一家でネグロス島に行った事実の紹介。
  資料を用いて紹介をする。
  発問 なぜ行こうと思ったのですか。

4 古川氏の農業での国際協力の説明。「棚田作り」「三期作」「安定した生産体制」。十三年間住み、地元の後継者にバトンタッチ。今も住民から慕われている。

  インターネットの写真を次々と見せる。
 発問 古川さんはネグロス島でどんな仕事をしたと言えますか。
  「人々を助けた」「一から村を作った」「島の未来を作った」

5 ネグロス島を去ったあとの古川氏の説明。インドネシア、フィジー等で指導。今、フィジーに古川外男記念日本語学校がある。
 →子供たちから、驚きの声がした。

★授業の感想
・世の中にはこんなすごい人がいるんだと思った。ぼくも自分にできることをしたい。
・このような外国の歴史に残る日本人がいることを初めて知った。

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★ ユニセフから世界を知る(6年・1998年の実践)

 世界のいろいろな子供たちのことを知ることによって、自分の生活を見直します。それは自分が有難い環境で育っていることの自覚にもなります。

■授業

 最初に「1日の40000人」板書する。
 「何の数字ですか」と聞く。前時の続きということで、「何からの貧困に関する数字」というのは子供たちはわかっている。
 しかし、見当がつかない。それでも、「一日に死ぬ子供の数?」という声が出てきた。「本当にそうだったら多すぎると思いませんか?」と切り返す。子供たちは、「うん、そうだ」と頷く。
 「でも、その通り。これは一日で世界で死ぬ子供の数なのです。宮古市で言うと7割の人が一日に死ぬことになります。」
 これには子供たちも驚きである。何せ一日にこれぐらい死ぬのである。さらに、日本の人口以上の1億3千万の子が家のない生活を送っていることも伝えた。
 「そのような人に対して手助けをしている団体があります。何ですか。」と聞いた。
 これはすぐに「ユニセフ」「ユネスコ」と出てきた。すぐにユニセフのマーク(このホームページを参照)を黒板に貼った。
 子供が抱っこされている地球が表現されていることを確認してから、子供たちに聞いた。

 「この大人は子供にどう話しかけているのでしょうか」
 ・がんばってほしい  ・生きていてよかったね  ・幸せに生きようね
 ・ごめんね  ・幸せになるんだよ

 子供たちは親の気持ちになって考えていた。
 ここで、ユニセフについて簡単に解説をする。

  「世界の子供のために」というのがユニセフのキャッチフレーズです。そのために全世界で活動をしています。特にアジア・アフリカの国でユニセフの活動は盛んです。実は日本も30年ぐらい前までユニセフから助けられていました。ミルクやお医者さんの治療用機械などを援助してもらいました。

 この後に、ポスター等でユニセフの活動を紹介した。子供たちはユニセフの活動の大まかな点を理解した。しかし、それだけでは「自分と関係ない」という意識になりがちである。そこで子供たちに次のように言った。
 
 これからビデオを見せます。「世界子供白書」というものです。この中に君たちと同じくらいの年のアジアの子供たちが出てきます。どんなことを思い、どんな生活をしているか考えながら見ましょう。

 ビデオはユニセフの運動をしている地元のスーパーから借りたものである。(発行元は記録していない。)次のような内容であった。

■10代前半の子供たちが、一日12時間働いて得られるお金はわずか55円。もちろん学校へは行けない。(インド)
■「学校に行きたい。知識や技能を身に付けるんだ。」と明るく語るバングラデシュの小学生。ふだんは貧困のため、就学できない。
■そのような子供たちに対してユニセフの具体的な援助・・・等々

 「自分たちと同世代の子供達」ということで、子供たちのビデオを見る目は真剣であった。ビデオが終わった時に「ウーン」という声が出たほどである。そして、改めて自分たちの置かれている環境を見つめ直した。

 「では、みんなにできることは何ですか」と聞いたら、すぐに「募金」とでてきた。
 「そうです。たとえば、君たちの100円で次のようなことができるのです。」と言って、下のような例を示した。

栄養障害による失明を防ぐビタミンAカプセル    11人分
肺炎やかぜの薬(抗生物質)     4びん
学校で教育を行うためのチョーク    55本
 この事実は子供たちにとってインパクトが強かった。なかには、「この学習は今まで1番説得力があった」と言う子もいたほどであった。

■感想
・今まで100円をじゃんじゃん使っていたけど、100円でビタミンざいが買えるなんて知らなかった。100円の使い道を変えようと思った。
・アジアの中で貧しい人たちは、小さくても働いていて大変だと思いました。私だったら、その中では生きられないないなあと思いました。

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2016.08.12

HP移行原稿「漁業サミットを開こう」「伝統工芸品は日本の誇り」

★漁業サミットを開こう(5年)

 水産業の学習のまとめとして「漁業サミット」を開いた。同時期に話題になっていた「九州・沖縄サミット」にひっかけたものです。その様子を学級通信3号の中から抜粋します。

■5年学級通信  夢工房・21  第66号より

 社会では漁業の学習のまとめに入っています。
 今回は、次のようにして、まとめをすることにしました。

  宮古の漁業について提案しよう。そして、漁業サミットを開こう。

 サミットという言葉を子供たちは「聞いたことがある」とのこと。やはり、「九州・沖縄サミット」という言葉がマスコミから流れてくるので、自然と耳に入るのでしょう。
 さて、どんな内容の提案にするか。最初は子供たちと話し合って、次の5種類に絞りました。

・宮古の漁業で、働く人をどのように増やしたらよいか。
・宮古のいろいろな商品をどのようにして広めたらいいのか。
・宮古の港町をどのようにしたらいいのか。
・宮古の環境を守って、魚を育てるにはどのようにしたらいいのか。
・宮古のイワガキの養殖をどのようにして広めたらいいのか。

 どれも興味のあるテーマです。それぞれのテーマで希望するものを選ばせて、アイデアの出し合いをさせました。

5年学級通信  夢工房・21 第69、70号  7月16、17日発行

    漁業サミット実況中継

 みなさん、こんばんは。こちらはサミットの会場になっている5年生教室です。
 間もなくここでサミットが開催されます。今回のテーマは、「宮古の漁業をいかに盛んにするか」です。5グループが提案をいたします。今、どのグループも発表の練習をしています。どのグループも「自分たちの発表を強くアピールしよう」とがんばっているようです。
 さあ、いよいよサミットの開催です。今回は、次のような次第です。

  1 はじめのことば
  2 基調提案
  3 意見交流
  4 議長から
  5 サミット宣言採択
  6 おわりのことば

 では、基調報告の部分を簡単にレポートしましょう。今回の提案はメンバーが現実的にできそうなものを一生懸命に考えたものです。

■「こんな港町にしよう」
・人が来る港町にするために、イベントをもっと開催する。
・光を海底に送る施設を作ろう。
・海中ステーションを作ろう。
・・・・・このグループの目玉は、科学技術の粋を集めたものを宮古港に集中させようとするものです。確かに第一次産業も技術の力で大きく変わることでしょう。それに対応した発表でした。

■いろいろな商品を売れるようにしよう
・商品を本、ビデオにして売る。
・インターネットにして流す。
・魚クッキー、魚ジュース、魚型携帯電話など魚にちなんだ商品を開発する。
・・・・・すでにいろいろな水産商品がありますが、「本、ビデオで売る」というアイデアが出てきました。商品を広めるためには、戦略が必要ですから、これは効果が出るかもしれません。

■「働く人を増やすにはこんな方法で」
・宮古の漁業に関するホームページを開く
・アルバイトをどんどん募集する
・宣伝を増やす。
・・・・宮古でも水産業に携わっている人がどんどん減っています。ホームページで全国から募集すれば、志のある人が来て働くことも考えられますね。現実的なアイデアです。

■「増やそう!おいしいイワガキ」
・東京に行って売る。
・インターネットでイワガキの情報を流す
・他にもいろいろと宣伝をする
・・・・・いいものは高くても売れるということを考えると、東京で売るのは価値があると思います。岩手にはそういう生産物が多くありますね。イワガキもそうなればいいですね。

■「魚彩王国・宮古市の魚を救え」
・グリーンマーク集めの運動をしよう
・宮古市のみんなからポスターを募集する
・少ない魚を増やすようにする。
 「森は海の恋人」の畠山さんに触発されて、山に苗木を植えることを提案していました。しかもグリーンマーク運動からスタートです。確かにこれならみんなでできそうです。
このサミットの手順は次の通りであった。

1 「サミット」という形の学習の目的(提案する)と方法について説明する。
2 提案すべき内容を出し合い、5つのテーマに絞る。
3 自分が行いたいテーマを決め、グループを決める。
4 提案内容を吟味する。(数多くアイデアを出し、3つに絞る)
5 提案内容を画用紙等に表現する。
6 途中で交流会を設けるものとして発表の練習をする。
7 漁業サミットを開く
  →この中でお互いのよさを認め、「サミット宣言」をまとめる。
8 感想を書く。

 提案を考え時に留意したのは単なる「夢物語」に終わらせてしまわないことである。あくまでも現実の宮古に即したものにすること。これがポイントである。
 子供たちは現実の宮古の漁業について真剣に考えることができた。

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■ 伝統工芸品は日本の誇り

 美しい日本の伝統工芸品。それらを改めて「日本のよさ」「日本の誇り」として実感させる授業。
 単元の最後のまとめので行う。

★1 (教科書や資料集で全国の伝統工芸品一覧を用いて)日本にはみんな学習した伝統工芸品の他にどんな種類のものがありますか。書きなさい。

      ・たんす  ・ふで  ・すずり  ・おわん  ・せんす  ・着物  ・仏だん
      ・刃物  ・人形 等 30種類以上出る。
      特徴のあるもの、珍しいものは資料で確認をする。

★2 全国にある伝統工芸品を見て、思ったこと、感じたことを発表しなさい。

    ・こんなにたくさんあるとは思わなかった。
    ・全国にあるので驚いた。
    ・自分たちの生活の中でいろいろあるものだと思った。

★3 全国の伝統工芸品がそれぞれ続いている理由は何でしょうか。
    
    ・日本人が残したいと願っている。
    ・日常生活に必要だから。
    ・すばらしいものだから、受け継がれている。
    ・日本のシンボルとなるように皆思っているから。
    ・技術がきちんと受け継がれているから。
    ・材料がずっととれるから。

★4 伝統工芸品がある生活で、いい点は何ですか。

   ・日本のことや作った人のことがわかる。
   ・昔の日本に暮らしている気分になる。
   ・高いものなので使い心地がいい。
   ・安心して使うことができる。
   ・こわれにくい。

★5 外国の人に「日本の伝統工芸品をお土産にするとしたら何がいいですか。」と聞かれました。君たちだったら、どこの何をおすすめしますか。理由も入れて紹介文を書きなさい。

  ・(例)わたしは、福岡県の博多人形をおすすめします。博多人形は、昔からの日本のふくの着物を着ています。着物は日本のシンボルですし、とても落ち着いていて、作った人の心がとてもよく伝わってきます。その人がどんな願いをこめて作ったのか、日本人のことがとてもよくわかりますよ。

 この授業のポイントは「日本全国に伝統工芸品が伝わっていること」「その理由」「伝統工芸品のある生活のよさ」を考えさせる点にある。最後の紹介文の課題を最初に提示して、その観点を考えて最後にまとめる展開も考えられる。

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2016.08.11

HP移行原稿「鞭牛和尚資料館を作ろう」「津波のことを伝えよう」

★ 鞭牛和尚資料館を作ろう(4年)

1 資料館作成で意欲化を図る
 社会科での「先人の開発」の学習。ここでは、郷土の先人の地域の開発に功のあった人物を追究していくものである。
 今回は、江戸時代に閉伊街道(今の国道106号線)を切り開いた鞭牛和尚を取り上げることにした。
 ただ、鞭牛和尚のことを資料から学ぶだけではおもしろくない。何とかして子供たちに興味を持たせたいと考えて、次のようにした。
 実際に多目的ホールを資料館にして、他学年の人に見てもらうことにした。このような意識があるとないでは、子供たちの気持ちもずいぶんと違う。

2 資料館のイメージの確認
 まずは「資料館」のイメージを確認した。「資料館にはどんなものがあるか」ということである。
 子供たちがすぐに思いついたのは、地元の「水産科学館」。他に行ったことがあるものとしては、「宮澤賢治記念館」が出てきた。私も自分が取材した新里村の「新里村民俗資料館」をビデオで紹介をした。ここには、実際に鞭牛和尚が使った道作りのための道具等も展示されており、子供たちにとって興味を示すものばかりだった。
 それらのイメージから資料館の内容を考えさせた。

3 資料館作り途中経過
 資料館作りに入る前に、当然子供たちは鞭牛和尚についてかなり学習を深めている。ある程度の知識や共感がなれけば、何を内容としていいかわからないからである。ここでは、それらを略す。
 さて、子供たちを5つのグループに分けた。鞭牛和尚に関わるキーワードから、次のようにした。

1 道作りグループ・・・道を作るときの苦労を紙芝居にまとめる
2 道ができた後のグループ・・・できた後の人々の生活の変化を紙芝居に。
3 道具グループ・・・・使った道具を再現して、劇化する。
4 石碑・像グループ・・・鞭牛にまつわる石碑等を画用紙に再現し解説する。
5 道がないころのくらしグループ・・・悲惨な生活ぶりを本にまとめる。


4 オープン前に厳しい交流会
 資料館オープンの前に子供たちに、各グループの交流会を、次のように言って、行った。

  今度の資料館での発表は、今までの発表とは違います。他の学年に見せるものです。「より分かりやすく伝える」発表にしてほしいと思います。そのために、他のチームの発表への要望をどんどん言いましょう。それが、「分かりやすく伝える」ために大切なことです。

 実際に交流会では、一つの班が終わるごとに次々と要望が出てきた。
・声が小さいので、もっと堂々と言った方がいい。
・簡単すぎる発表なので、もっと付け加えをした方がよい。
・これは間違いなので直してほしい。
といった具合である。
 この交流会で本番は見違えるような発表になった。

5 資料館オープン
 当日は休み時間のオープンとなった。(全校に見せるため)
 5年以外の学年70人のうち、半分ぐらいの子供たちが見学にいた。
 1~3年生の子供たちには一生懸命に学んだことを説明する。5・6年生の先輩方からはアドバイスをもらったり、自分たちが知らない鞭牛和尚のことを教えてもらった。
 「資料館にする」ということで、子供たちはより鞭牛和尚のことを深く学ぶことができたのである。

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★津波のことを伝えよう(4年)

1 災害の中での人間の尊さ
 昭和35年のチリ地震津波。この歴史は本地域にとって忘れられない。
 一瞬のうちに財産はもとより、時には生命さえも奪う津波。
 そのチリ地震津波によって本地域も壊滅的な被害を受けた。小学校校舎もブランコやすべり台校庭の遊具は流され、丸太が教室の壁を突き破り、机や椅子も荒れ放題という有様であった。
 この津波の歴史は、人々の努力によって語り継がれてきた。その恐ろしさ、悲惨さについてである。

 今回4年生の総合的な学習の一つとして津波を扱った。単に津波の恐ろしさだけではなく、津波が起こるメカニズム、自分たちにできる津波対策、チリ地震津波の時に助け合ったという人間の尊さ等に範囲を広げて学習をした。最後には「津波のことを伝えていく」活動を通して、まとめた。
 この中で私が一番重視したのが、津波被害の中での助け合いである。
 現代と違い、情報量もなくボランティアもシステム化していなった時代に助けあった人々。そうした人々の励ましによって、高浜は津波からの復興に立ちあがる。これはまさに「人間の誇り」「地域の誇り」である。

2 岩田アイさんへの聞き取り
 チリ地震津波の被害にあった岩田アイさん(学区在住)に、学習の一環として聞き取りを行った。
 事前に子供たちには、次のように言った。

  チリ地震津波の被害の様子はいろいろな記録に残っています。でも助け合った様子はあまり記録に残っていません。岩田さんにその点をたくさん質問してください。

 さっそく岩田さんに助け合いの様子を聞く。

 Q「中学生や高校生は、どんなふうに助けてくれたのですか」
 A「5~6人で一軒の家をそうじしてくれました。かべをふいたり、衣類を洗ったりしてくれました。」
 Q「どんな気持ちでしたか。」
 A「子供たちががんばるのを見て、私たちもがんばらなければと思いました。」
 Q「神父さんにも助けてもらったと作文に書いていましたが、どんな感じだったのですか。」
 A「神父さんはスイスから来た方で、スイスから多くの衣類を送ってくれました。その時代に岩手の片田舎に外国の物が届いたことに驚きました。」

 直接人から学ぶことはインパクトが強い。子供たちも次のような感想を持った。
・大ぜいの人々を助けてくれたしんぷさんや中学生の人の話にかんげきした。私も心のやさしい人になりたいです。
・いろいろな人に助けられて、その助けた人に会ってみたいと思いました。

3 見える日本人のよさ
 岩田さんの話には私も感動した。人間はここまで助け合えるんだということが深く感銘を受けた。
 この話を聞いた直後、偶然にテレビで関東大震災の時の様子を写したテレビ番組を見た。そこに映ったのは、大震災の直後にもかかわらず、パニックにならずに整然と並んで援助物資を受け取る大正時代の人々だった。その姿に、フィルムを回していた外国人も驚いたという。
 私たち日本人には、本質的のそのようなよさが伝わっているのかもしれない。

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2016.08.10

HP移行原稿「高浜のまちづくり」「岩手のよさ発見」

★提案・高浜のまちづくり(4年)

1 ねらい
 「まちづくり」という視点で改めて自分たちのふるさとを見直し、よりよいまちづくりをするというのがこの単元のねらいである。ふるさとの一員として自覚が増す点、対象が身近なので調べ活動が具体的にできる点がこの学習のよさである。(社会で・全8時間)

2 留意点
 ■まちづくりの視点の明確化
  まちづくりを空想的な夢物語風にしては意味がない。あくまでも現実の高浜というまちに立脚したものとする。
 ■提案のための情報蓄積
  まちづくりのための具体的な情報を子供たちに蓄積させることが大事である。そうしてこそ、初めて子供たちからもアイデアが出てくる。
 ■よりよい発信方法の吟味
  提案内容に即した方法を考えさせる。よりよい発信方法が効果を生む。

3 学習の実際
 ■まちづくりに至るまで
  単元の導入で、写真やビデオから「まちづくり」という概念を教える。
  「君たちの住む高浜でも、こうなったらいいと思うことはありませんか」と聞くと、すぐに「公園にもっと遊具があればいい」「車の音が大きいので静かなまちになるといい」といった反応が出てきた。そして、「みんなもすてきな高浜のまちづくりを提案しましょう」と最終的な目標を示す。
 ■まずは調査
  まずは実地調査である。
  今まで意識しなかった学区も「まちづくり」という視点でみると、いろいろと不便な点が見えてくる。「ここは歩きにくい」「ここは夜になると暗くて不便」といった発見をしていった。
  また、身近なまちづくりの工夫の情報を蓄積することが大切である。宮古駅前の中心地に行き、目の不自由な人のための設備、デザイン化された街灯等を見学してきた。
 特に、車椅子体験・アイマスク体験をした直後だったので、人にやさしいまちづくりに子供たちは興味を示した。
 ■いよいよ提案
  そしていよいよ「まちづくり」の提案である。子供たちから出たアイデアは次の5つである。
  ・安全なまちづくり
  ・美しいまちづくり
  ・便利なまちづくり
  ・楽しいまちづくり
  ・人にやさしいまちづくり
  それぞれの計画に応じて、「ここの歩道は段差をなくす」「バス停のほかにも、あちこちに休むためのベンチを置く」といったアイデアをそれぞれのグループで10個以上出した。
  発信方法も、カードにアイデアのイラストを書いて自作の画用紙地図に貼ったグループ、画用紙に木々や街灯の実物模型を作って、立体的になるようにしたグループと工夫が見られた。
  発表会が盛り上がったのは言うまでもない。「友だちのアイデアを見て、自分たちの住む高浜が本当にすてきなまちになるといいと思いました。」という感想からわかるように、子供たちのふるさとに対する意識は高まったのである。

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★岩手のよさ発見!(4年)

 4年生の社会科で岩手県の様子を学習をする。「岩手県という地域のよさ」を学ぶの恰好の教材である。
 次のような手順で学習を行った。

  1 岩手県で有名なものを自分たちで出し合う。
  2 家の人に聞いたり、自分で調べて有名なものをさらに出し合う。
  3 それぞれがどの市町村に関わりがかるか確認をする。
  4 自分が興味をもった市町村を決める。
  5 市町村へパンフレット請求の手紙を書いたり、本で調べたりする。
  6 その市町村のよさを新聞にまとめる。
  7 その新聞を発表し、岩手県の各市町村のよさを理解する。

 この中で子供たちが一番学んだことは、5の各市町村への資料請求だった。
 まずもって、資料請求の手紙を書いたことなどないと言う子がほとんどだった。
 そこで、手紙の簡単な様式を教え、それを自分なりに変えて書くことにした。たとえば次のようにである。

  〇〇村役場の皆さんへ
  ぼくは、宮古市立高浜小学校の4年生です。
  社会で岩手県のいろいろな市町村のことを勉強することになりました。ぼくは、〇〇村をえらびました。わけは、〇〇が有名だからです。
 そこで、村のパンフレットがあったら送ってください。どうぞよろしくお願いします。
                                     〇〇  〇〇

 経験のない子供たちにとっては、これも一苦労だった。むろん教師である私の手紙も同封をした。
 インターネットであれば手軽に各市町村のホームページを調べることができる。しかし、残念ながらこの学習の時点では、接続されていなかった。
 が、このことが子供たちの力をつける点、意欲を喚起する点では幸いであった。
 早いところでは3日後、最終的には10日間ですべての市町村からパンフレットが届いた。それもカラフルだったり、手紙が添えられていたり、絵葉書があったり・・・と子供たちが感動するものばかりであった。
 さっそく子供たちに次のように投げかけた。

  この資料を使って、その市町村のいい点をPRする新聞を作りましょう

 子供たちは当然やる気満々である。
 模造紙半分ぐらいに子供たちは新聞を作成した。大人向けのパンフレットだけにわからない言葉もある。その点は辞書で調べて、何とかクリアー。実際にいただいたパンフレットを切り貼りして、カラフル〇〇村新聞の出来あがりである。
 それぞれ新聞の発表をして、各市町村のよさについて理解することができたのである。

 それと同時に、各市町村の担当の方々のご好意も実感することができた。これは、手紙だったからできたことである。ホームページを見るのだったら、味わえなかったことである。礼状も国語の時間を利用して出した。これもほとんどの子が初めてで、実にいい学習ができたと思っている。

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2016.08.09

HP移行原稿「宮古の民話を伝えよう」

2000年8月に自分の実践を記録化しようとHPを立ち上げた。
2004年の5月にこのブログをはじめたので4年近く、HPに記録化したことになる。
プロバイダーから連絡があり、そのHPも9月末をもって閉鎖となる。

4年間のみといえどもせっかく毎日1本以上は記録化してきたので、土日を中心に記録を転載してきた。しかし、このペースだと9月末日までに、残したい記録を全て保存できないことに気づいた。
そこで、土日はもちろん、平日も自分の実践記録として一部掲載していく。また、土日の分は予約投稿をして、9月末日が過ぎても更新ができるようにしておこうと考えた。皆さま、よろしくお願いいたします。

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★ 宮古の民話を伝えよう(4年)

 国語で「吉四六」という昔話の学習がある。その学習の発展として、地域に伝わる民話を扱うことにした。ふるさと学習の一環である。
 最初に子供たちだけの手で調べさせようとした。しかし、お家の人に聞いても学校の図書館で調べてもなかなか見つからなかった。私自身インターネットで調べても、岩手県のものはあるが宮古のものはなかった。
 結局、「調べさせる」にではなく、私が市立図書館から借りた本を読み聞かせることにした。

★扱った民話
 「赤前は、まだ昼前」(江戸時代に赤前にクジラがきた時のエピソード)
 「乞食坊主とサケ川」(津軽石川の名前の由来となった話)
  『陸中海岸の民話・今野静一著)より』

 この話を読みきかせたら、子供たちは「おもしろい」「初めて知った」と大いに興味を示した。
 さっそく子供たちに次のように投げかけた。

  今度は君たちが語り部となって、この民話を工夫して伝えていくようにし ましょう。班ごとに方法を考えて練習しましょう。

 準備と練習に2時間をかけて発表会である。発表会の様子について、学級通信から紹介をする。

■宮古の民話発表会(学級通信「トゥモロウ」64号より)

■ぼくたちの町にいっぱい民話があるなんて、初めて知りました。ぼくたちの町がわかってすごいと思いました。
■自分がすんでいるところの民話ができて、民話のことがよくわかりました。
■民話の勉強をして、昔のことや津軽石とかまだ名前もついていなころのことがいろいろとわかりました。こういう風に自分たちのすんでいたところの勉強ができて楽しかったです。

 これは土曜日に行った「宮古の民話発表会」の子供たちの感想です。
 自分たちのふるさと宮古に伝わる民話。それを自分たちなりに発表して、このような感想を持ちました。自分たちのふるさとに愛着を持ったことがわかると思います。

 私自身も宮古の民話は初めてです。読んでいて、なかなかおもしろい話と感じました。
 さて、子供たちの民話発表会は、この民話をいろいろな方法で自分たちなりに工夫して発表するというものです。班ごとの発表でした。

★1班
 「乞食坊主とサケ川」をペープサ―ト劇で行いました。事前にシナリオを書く場合には、思いっきりカットしてと話していたのですが、その通りこの班は大胆にカットしました。だから、すっきりとした劇になりました。

★2班
 「赤前は昼前」を劇で行いました。選んだ民話も方法も一つの班だけで、みんなの注目をあびていました。劇では、クジラをまねていたところが大受けでした。(以下、中略)

 感想に見られるように子供たちは、宮古の民話に興味を持ったようです。いろいろな学習で郷土宮古に関心をもっともっと持つようになればいいなあと思っています。

 この発表会で子供たちの民話に対する興味は高まったし、さらに郷土の民話の理解にもつながった。
 発表は学級内だけでしたが、より目的意識を持たせるには「〇年生に宮古の民話を伝えよう」というようにすれば、よかったと思う。場合によっては全校の集会で行ってもよかったであろう。

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2016.05.24

日本庭園

テレビ番組で、日本庭園のランキングの話が出ていた。
取り上げられていたのは、島根県の足立美術館。調べてみると、安来市にある。人口4万人足らずにある美術館だが、来場者はかなり多いようだ。
実際のランキングもこちらにあるように、堂々たるもの。

先の番組でも、その日本庭園のすばらしさが紹介されていた。
・日本画の世界をイメージした日本庭園
・木が成長して日本庭園の様子が変わるので、そのための交換の木々をストックしていること
・バックとなる山も買い取っていること
・管理している庭師さんの仕事ぶり…
日本庭園自体には自分は興味はそれほどないが、一度は見たくなるような番組であった。

ちなみに先の日本庭園ランキングに岩手はないのか…と見ていくと毛越寺がランキングされていた。
我が家から車で30分あまり。再度見てみたくなった。

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2016.04.07

お花見は桜と共に

この一週間ほどは,フェイスブックのタイムランには桜の写真がたくさん流れた。
こちら岩手はまだまだだが,そのうち迎えるであろう。
心に残る季節である。その小話。

1 お花見する人々、日本人
 春。日本のあちこちで桜が満開になります。
 ニュースでも、「公園では、今桜の花が満開です。その桜の下では、お花見のお客さんでいっぱいです」と、楽しそうにお酒を飲んだり、団子を食べたりする風景が写し出されます。皆さんも、お花見をしながらおいしい団子を食べたこともあると思います。
 このようなお花見は外国ではあまり見られません。日本ならではのものです。しかも、「花」といえば数多くの種類があるのに、お花見といえばまずは「桜」です。
 いつころからお花見をするようになったのでしょう。

2 江戸時代のお花見
 お花見のはじまりは今から千年以上前と言われています。貴族の間で桜を観賞するのがすでに行事になっていました。
一般の人々に広まったのは江戸時代です。特に江戸(今の東京)には上野をはじめとする桜の名所がいくつもあり、ガイドブックまでできたほどです。その時には、金持ちも貧乏な人もそれぞれ仲間を作って、お弁当を持って出かけました。桜の下では、飲めや歌えやの大騒ぎ。「茶番」と呼ばれる劇をする人たちもいました。こうなると、ほとんど今の花見と同じですね。
 江戸時代の花見は、生活するのが大変な中であって、人々にとって大きな楽しみでした。 たとえ、貧しい中でも、かまぼこのつもりの大根、卵焼きのつもりのたくあん、そしてお酒のかわりは番茶で・・・というように楽しんでいました。

3 桜の木を大切にする
 お花見に欠かせない桜は、自然に咲いているわけではありません。美しい桜を保存していくために、活動している人々もいます。
 「日本さくらの会」では、「さくら百万本植樹・愛護運動」を行っています。さくらを保存するだけではなく、桜を育てる運動を日本人の心を育む運動に高めていこうとするものです。
 確かに、このようにお花見の歴史や桜の大切さを知ることによって、「日本のよき楽しみ」を続けていきたいという気持ちになります。そんなことを思いながら、皆さんも今年のお花見を楽しんでみたらどうでしょう。

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2016.03.03

ひな祭りで女の子の成長と幸せを願う

1 なぜ人形を飾るのか
 三月三日。ももの節句です。
 ひな人形を飾るお家もあることでしょう。どうして、ももの節句の時にひな人形を飾るようになったのでしょうか。
 昔の中国には、三月の初めに川に入って、身のけがれを清めるというならわしがありました。それが日本にも伝わってきましたが、やがて紙でできた人形に自分のけがれを移して、川や海に流すようになりました。「流しびな」という行事です。
 それが時代が変わるにつれ、「流しびな」と「人形あそび」が結び付いて、今のように人形や道具を飾って、女の子の成長と幸せを願う日になったのです。

2 早くしまわないと・・・
 ひな人形を飾ったことがある人はに、「おびなとめびな、どちらが右、左?」と迷いませんでしたか。おびなは向かって左、めびなは向かって右に並べます。ただし、関西では逆になっています。
 もともと川や海に流してしまう人形ですから、ひな祭りが終わっても飾っていると、厄を祓(はら)ったことになりません。そこで、「しまい遅れると、お嫁に行くのが遅くなる」といういい伝えができました。これは「片付けができない娘さんはお嫁には行けないよ」という気持ちも込められているという説もあります。

3 色には意味がある
 ひな祭りで出てくるものにひしもち、ひなあられ、白酒があります。
 ひしもちは白、緑、赤の三色が多いです。白はとける雪と清らかさを、緑は草がめばえることを、赤はももの花を表していると言われます。ひなあられも似た色で作られています。これらのお菓子を食べることで、自然のエネルギーをもらい、健康の育つと言われています。白酒は飾られるもので、ももの紅色と白酒の白色で「紅白」となり、めでたいとされているものです。それぞれの色にこめたれた意味があるのです。
もともと「ももの節句」ですから、「もも」にも大きな意味があります。ももの花は、「悪魔を祓う」と言われている木です。鬼退治に行くのが桃太郎というのも関係がありそうです。

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2016.02.11

建国記念の日に古代を知る

1 再び祝日になった日
二月十一日の建国記念の日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」祝日とされています。「建国記念日」と言う人もいますが、正しくは「建国記念の日」です。
この日は、明治時代から昭和二十三年まで、「紀元節」という祝日になっていました。「日本書記」という歴史の本の中に、初代の神武天皇が天皇になった日とされています。
 一度祝日としては廃止になったのですが、その十八年後に今度は「建国記念の日」として、また祝日になった日なのです。
 ただ、日本が実際にいつごろできたのか大昔のことだけに史料も少なく、この祝日を作るには賛成・反対の意見があり、時間がかかりました。

2 日本の建国史
 資料が少ないながらも、今までのいろいろな研究によって、日本がいつごろ建国されたのかはおおよそ明らかになってきました。
 弥生時代の中ごろ、神武天皇によって基礎が築かれましたと言われています。そして、古墳時代までに、今の九州から関東に至る主なところが、大和朝廷によって統一されました。この統一の中心になったのは歴代の天皇や皇族たちです。
「古墳時代」という名称の通り、このころ力のある人たちの大きな墓(古墳)がさかんに作られました。仁徳天皇の墓とされている大仙(だいせん)古墳は特に有名です。

3 外国の建国記念日
 日本では今までないことですが、外国では一つの国が分かれたり、いくつかの国が一つになったりすることがあります。また、苦労して新しく国を作るという例もあります。
 だから、世界地図上での国名もどんどん変わってきています。ここ百年で、百を超す新しい国ができたと言われています。
 それぞれの国では、その新しい国になった日を「独立記念日」として、大切な祝日とされています。たとえば、アメリカ合衆国はイギリスから独立した七月四日を独立記念日にしています。
 その点で、日本のように長い年月、国が変わらないのは、世界でも珍しいといえます。

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2016.02.03

節分で邪気を追い払え

1 節分でなぜ豆をまくのか
 二月三日は節分の日です。暦には季節が始まる日があります。「立春」「立夏」「立秋」「立冬」です。その前の日を「節分」と言っていました。文字通り「季節を分ける日」です。
 それがいつの間にか立春の前日を節分と言うようになりました。もともと、日本では元日が立春の日でした。そうなると節分は、その頃では大みそかにあたります。
清らかな状態で新年を迎えたい。そして新しい年の前に豆をまくことで厄を祓(はら)いたい・・・そのような考えから、豆まきが始まったのです。

2 誰が豆をまくのか
 節分の豆まきと言えば、鬼になったお父さんに向けて豆を思いっきり撒く・・・そんな家が多いのではないでしょうか。
 もともとは、家の主人や年男などが撒くことになっていました。今は家族みんなで撒くことでしょう。福豆といってあらかじめ神棚に供えられていたものを使います。
撒く時には、家中の玄関や窓等をあけます。寒い季節ですが、鬼を追い払うためです。二階建ての家なら、二階奥から順に一階の玄関まで撒いていきます。「鬼は外!福は内!」という声掛けは大きな声でしましょう。自分の中にいる鬼も祓うことになるからです。
撒き終わった部屋の窓や戸はすぐに音を立てて閉めます。鬼が戻らないようにするためです。最後に玄関で撒いて戸を閉めたら終わりです。
終わったら、自分の年より一つ多い数の豆を食べます。昔は立春に年を一つとっていたので、その分も加えていたのです。
 どうですか。皆さんの家の節分とはだいぶ違っていたかもしれません。地方によっても違います。

3 豆も地方によって違う
 ところで、豆まきに使う豆は大豆が多いのですが、北海道や東北地方では落花生を使っているところが多いです。殻ごと撒くことができるので、どこに落ちても殻を割って食べるので汚れを気にしなくてもすみます。大豆より大きいので拾いやすいということもあります。これまた地方によって違うのです。
ただ、鬼を外に出し、厄を祓うという点は同じです。清らかな気持ちで豆をいただきたいものです。

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