2018.06.09

久しぶりの教育実習校

自分が教育実習に行ったのはもう35年も前のことだ。
昨日,学校公開研究会に参加するために久しぶりに教育実習校を訪れた。校舎自体は新しくなっていたが,門を入った途端,教育実習の思い出が一気に蘇ってきた。その時に学級の子どもたちの名前や顔も今だに印象に残っている。もちろん数名程度であるが。今は40代。社会の一線で活躍していることであろう。

今回の目的は社会科の授業から学ぶことと,研究者がどのように学校研究に携わっているかということを知ることだった。社会科の授業はここ10年以上は公開研究会はもちろん,県の大会にも参加できなかったのでよき学びとなった。さらに研究者の関わりについては短い時間だが,大学の先生の話をお聞きすることができたので,こちらもよき学びとなった。

自分が秋田出身なので,可能性は低いが知っている人が参加しているかも・・・と思ったが,年代的には公開研究会の参加者はほとんどいないと感じた。学生が熱心に学んでいる姿が印象的だった。そう思っていたら,高校時代のクラスメートに三十数年ぶりに会った。高校を卒業してから年賀状のやりとりは欠かさずに行ってきた友人だ。ほんの1分ほどのやりとりだったが,自分にとってはその内容は大きなエネルギーとなるものだった。「あいつも今の立場でがんばっている。自分もがんばらないと」・・・そう思った。クラスメートとして一緒に過ごしたのは高校2年生。当時担任だった20代の先生は今は教育行政のトップとしてご活躍中である。こちらに記事。学力面も運動面も生活面でもさえない高校時代だったが,友人と担任には恵まれ,それが土台となって今があるんだと思った秋田行きであった。

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2018.05.31

あっという間に・・・

気づけば前回の更新から2週間あいてしまった。4月に続いて5月も毎日が学ぶことばかりで新鮮な日々だった。
簡単にこの2週間の振り返り。

・4月からまずは学内業務を・・・ということでキャンパス・メインで仕事をしていたが,5月後半は研究会に参加して講演を聞いたり,学会研究会で研究発表から学んだりした。東京と大阪。遠いところだが,仙台からだと岩手よりはやはりアクセスが格段に違うと感じた。

・取材も2本。どちらも社会科関係なので,今まで実践してきたことを例にして自分の考えを話した。取材自体は2年ぶりだった。

・講義は順調。気づけば前期分は7回目や8回目だから折り返し。(合計で15回) 毎回新しい内容を考え出すので,教材開発が自分の勝負だと思っている。

・学内業務は今までに比べて会議や打ち合わせが増えてきた。何かしらの取り組みを行うためには不可欠。今までのペースがむしろ少なかったといえるであろう。こちらでも自分の経験を生かせればと思う。

・研究は何とか学会研究会の発表論文に取り組んだ。昨年は学会発表が1本のみだったが,今年は積極的に取り組んでいこうと決めている。力不足と感じた今回の取り組みだったが,努力を重ねていくしかないと思っている。有難い共同研究のお話もいただいた。感謝しながら取り組みたい。

・運動会があったので,前任校に2回伺った。事前と当日である。わずか2ヶ月前はこの職場にいたんだな・・・と思ったが,かなり前のことのようにも思える。それぐらい2ヶ月は密度が濃かったといえるであろう。

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2018.05.16

「人間性にも優れ、技術も優れている人が「プロ教師」」

時々見るブログに有田先生のことが書かれていた。こちら

有田先生がお亡くなりになったのが,4年前の5月。あの頃のことを考えると自分の当時のことも思い出す。
有田先生は次のように述べている。

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 子どもの状態に合わせ、クラスの実態に合わせて
(1)ふさわしい言葉をかけ
(2)ふさわしい指導を行い
(3)ふさわしいほめ言葉をかけ
(4)ふさわしい方向性を示す
 教師であろう。
 今の社会を見ると、人間性より技術の優れている人を腕があると見ている。
 しかし、私の考え方は、人間性の方に重点を置きたい。人間性の方を技術より上に置きたい。
 私の考えは、人生最大の財産は、ユーモアのセンスであり、人間性そのものである。
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名人といわれる指導技術をもつ有田先生が「技術より人間性が上」と言う。実に説得力がある。
あの声が天国から聞こえてきそうである。

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2018.05.06

大型連休

4月28日から始まった大型連休が終わった。この間は暦通り。前半はそれまで着手できていなかった書籍関係の整理や転勤の挨拶状の第一弾を行うことができた。後半の休みは次の仕事に向けてのもろもろを含め,焦ることなく自分のペースで仕事ができた。この数年間に比べて時間の流れがゆったりした連休だった。(昨年度は延び延びになっていた本の原稿を書いていた。)

家族でも車で出かける機会があった。前半には,まだ桜が咲いているという情報で秋田県に向かった。生まれ故郷の五城目インターで降り,大潟村の菜の花と桜の景色を楽しんだ。それにしても故郷の景色はいいものだ。車中から地元の森山を見た時に,40年以上前の小中学生のときの思い出が一気に蘇ってきた。大潟村もそうだった。6年生の夏休みの他校生との2泊3日の宿泊研修が大潟小学校で行われたことを思い出した。「自分が変わった」というほどではなかったが,他校の参加者のアクティブさには驚くばかりだった。単式で同じクラスメートと長年過ごしていた自分にとっては「違うものだな」と実感した記憶がある。その小学校も今は廃校になっている。

今度は廃校になった小学校にも訪れてみたいと思った。

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2018.04.30

4月が終わった

本日で4月も終了。
この1ヶ月は「転職」ということで、毎日が新しい日々だった。
今までの「転勤」とは当然のことながら、まったく違っていた。1ヶ月前に後任者への引継ぎのために全力を注いでいたのが、かなり昔の出来事に感じる。

・大学で出会う人々からの学び
・講義の準備の大変さとやりがい
・学生への期待
・縁があった方々の研究室訪問
・新たな職での日常の仕事のスタイル
・学内と学内業務を知ること

これらのことを考えているうちにあっという間に1ヶ月が過ぎた。「仕事には慣れた」という状態まではまだまだであるが、自分に求められているのは即戦力と結果。その点で5月はさらにアクティブさが必要となるであろう。

そのような中でも依頼の原稿は2本、何とか書き終えた。ここ1~2年、ギリギリという状態が続いたので次回からは余裕をもって提出できればと思う。さらに研究のための時間確保も喫緊の課題である。大学に勤めながら学生でもあるのは、自分の研究にとって大きなアドバンテージ。今年はそれを生かす年度であることを自覚できた。

明日から5月。新たな学びの日々は続くであろう。1ヶ月後、「研究がこれだけ進んだ」というように言えるようでありたい。

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2018.01.01

今年のモットー

2018年となりました。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

毎年元日にその年の目標やモットーを書いていました。
今年は「努力と挑戦」の年と位置付けています。
昨年,一昨年は「チャレンジ」としていましたが,それと同様です。そして,挑戦する前提としての「努力」は当然のことです。
しかし,年々気力も体力も若い頃のようにはいかないと痛感しています。昨年は修士課程を終え,さらに新たな学びの場に入ったのですが,新たな学修はなかなか進みません。自分に必要なのはまさに「努力と挑戦」です。

さらに今まで無頓着でもよかった健康面でも,管理するための努力が必要になってきています。その面でも時間を割きたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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2017.11.05

郷土芸能伝承の誇り(H23)

 平成23年の原稿です。

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奥州市立広瀬小学校へ異動となった。水と緑に囲まれた地域にある全校児童五十一名の小規模校である。

 転勤してその学校の特色を感じる行事は、五月にある運動会である。紅白リレーや玉入れ等の運動会の定番競技と共に、本校では「広小剣舞(ひろしょうけんばい)」が披露される。

 もともと学区は郷土芸能の盛んな地である。学校近くの国道沿いには、「人と自然・光り輝く郷土芸能伝承の郷」という看板が輝いている。剣舞だけではなく、鹿踊や人形芝居といった多くの伝統芸能が代々引き継がれてきた。

 広瀬小学校でも、学区の特色である郷土芸能を引き継ごうと、三十数年前から「広小剣舞」を地元の鴨沢念仏剣舞保存会の指導を受けながら取り組んでいる。 

 運動会に向けた練習の段階でこの剣舞を初めて見たのであるが、その時の子どもたちの迫力に圧倒された。 思わず、本番ではどれだけすばらしいのだろうかと想像をしたほどだった。

 さて、広小剣舞では子どもたちは多くの衣裳と道具を身に付ける。自分たちで着ることは難しいから時間をかけて家の人に着せてもらう。衣装を身に付けた子どもたちは、まさに「郷土芸能の伝承者」そのものである。家の人たちも誇りをもって我が子や孫を晴れの舞台に送り出す。

 運動会の本番は「勇壮」の一言に尽きるものだった。子どもたちが一心不乱に伝統の舞を披露する姿に、見ていた地域の皆さんから、大きな拍手が送られた。それは郷土芸能をしっかりと引き継いでいる子どもたちへのエールと言えるものだった。

 地域に伝わる郷土芸能とそれを受け継ぐ誇り。子どもたちはその誇りをもちながら郷土芸能を代々伝えていくに違いないと確信した。

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2017.08.17

夏休み終了!

今日で夏休みが終了。
岩手の夏休みは遅く始まり、早く終わる。
今年も一気に駆け抜けた夏休みだった。
8/11~15は主に在宅で仕事をしたが,それ以外は休みなく走り続けた感じ。
これは自分にとっては最適なペース。いったん休んでしまうと、充電ではなく「放電」になりダラダラ…というパターンもかつてはあった。

この夏休みは、自分の仕事の上から大きく3つに分かれた。

○第1週
 夏季休業最初に不可欠な事務仕事や水泳記録会。週末には4度目の熊本教師塾。一気に過ぎていく。

○第2週。2つの講師役を行った。週末はゼミ合宿に参加させていただいた。すべてよき出会いとなった。

○第3週。地味な通常業務。これはこれで大切なこと。11~15日までは在宅がメイン(職場には短時間で2度行く)。これからの研究について考えたり,多くの文献読み。

そして、昨日と今日は登校のための準備。明日は子どもたちも登校。新たな気持ちで取り組みを再開しよう。

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2017.08.11

「山の日」にちなんで

 「山の日」について書いた原稿です。

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 山の日の趣旨は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことです。
 八月十一日という日にちに特別な由来があるわけではありません。
当初は盆休みと連続させやすい利点があるとしてお盆前の八月十二日を祝日とする案でしたが、その日はかつて大きな飛行機事故があった日だったので、その前日の八月十一日となりました。

 ただ、全国各地には「ぎふ山の日」(岐阜県)や「えひめ山の日」(愛媛県)というように独自の「山の日」があります。それらは、「八」や「一一」の数字にちなんだ月や日を使っていることが多いです。それは「八」が山の形に見えるため、「一一」は木が立ち並ぶ様子に見えるからです。
その点では八月十一日も全く縁のない日とは言えません。

 さて、日本の面積で山の占める割合は七割ぐらいです。世界の平均森林率が約三〇パーセントですから、日本は世界の中でも森林大国と言えます。
  山の数は二万五千分の一の地形図に載っているものは一万六千以上もあります。みんなの住んでいるところから見える山もきっとあることでしょう。

 一番高い山はご存じ富士山です。標高三七七六メートルです。日本には三千メートルを越える山々が二一あります。夏を中心に多くの登山者が頂上を目指します。日本の登山人口(年一回以上登山した人口)は二〇一二年には八六〇万人で、最近では女性や中高年に人気があります。

  では、一番低い山はどれぐらいあるのでしょうか。二万五千分の一の地形図に名前と高さが載っているものの中では、何と三メートルの日和山(宮城県仙台市)があります。これなら皆さんでもすぐに登山ができますね。

 日本では昔から人々が山と共に生きてきました。山は里山とよばれ、薪や山菜をとったり、土を利用したりして、手入れをされてきました。また、「山崩れといった災害を防ぐ」「水をたくわえ、生き物のすみかになる」「木材を生み出す」「空気をきれいにする」というように森林の果たす役割は大きいものなのです。

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2017.08.10

学び続けるのは若手もベテランも同じ

岩手の夏休みは短い。本校は23日間である。
お盆以外は毎日出勤か講師役,研修で出かけていたので,学期中と同じであっという間に過ぎていく。
その講師役もこの夏は5ケ所。これは例年並みであり,増えたら校務に差し支えるのでちょうどよい回数とここ数年思っている。すでに4ケ所が終わり,あとはお盆あけに一つである。

さて,講座の合間に休み時間が10分~15分ぐらいがある。
担当者からは「控室へ」とご案内されるのであるが,基本的に会場や教室にそのままいるようにしている。次の準備もあるからだが,参加者との会話等を大切にしたいと思っているからである。
これは自分が若手だった時に,講師の先生にご挨拶や質問等を時々していて大変有難かったことが記憶にあるからだ。

今回も例によって休み時間に待機していると,20代の先生からご挨拶を受けた。社会科の研究授業があるということで,学びにきたとのこと。続いて私と同世代ぐらいと思われるベテランの先生から講座で紹介した本のことを質問された。購入して学びたいとのこと。

短い時間にお二人に対応して,自分の役割を改めて考えた。若手だけではなく,ベテランも学び続けている。講師役の時にはその皆さんの意欲に応えるような内容・構成をしっかりと準備しないといけないのである。自分としては毎回そのつもりで準備しているが,今回改めて思った。

そういえば2年前に県外の研修会で講師を務めた時に,最前列に年配の先生がおり,熱心に受講されていた。担当者にお聞きしたら,その年に定年退職予定という方だった。残り数ケ月でも学びを止めたら,それは子どもたちのためにならない。そういう意志をもった先生だったと思う。自分も同じでありたい。

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